日記・コラム・つぶやき

2010年1月 7日 (木)

         寒い朝、それでも今年は六甲の山が白くならない。それでも今朝はさすがに寒い

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この画像は夜の駅前の風景だけれど、今朝は本当に寒かった。それでも今年も何とかパンツ一丁で乗り越えられそう。年寄りの冷や水とか痩せ我慢とか言われても、これも辛抱。8年前の島根と敦賀の雪山を想えばこれ位の寒さに弱音を吐けない。

雪国の人の防寒着と住宅を考えると関西の寒さも結構、老体には応える。(こたえる)。それでもズボンもペラペラの生地で寒さに耐えられるのは気持ちだけ。そのうち辛抱出来ずにズボン下を履くか、血管が収縮してダウンするかだろう。それとも平然としてコートだけは温かい薄汚れたお気に入りを手放さないかだろう。

手足と頭と首は我慢すれば何とかなるが、上半身は今日温かそうな快適素材のシャツを3割引きで手にする。本当はメタボな腹廻りに2Lサイズは小さいが、ギリギリセーフ。これまでは3Lではデカかったが、今はそうでもない。アカンで減量せんと。服を買う度にそう思う。

昨年末からようやく寒くなり、やっと衣料品も売れだすと思いきや3割引き。オイオイそれで利益は出るのと思いきや、メイドインChinaと中にはVietnam。古いと言われても親父世代には何としてもメイドインJapanで無いとアカン。ソフトなタッチとボリューム感を両立させたマイクロフィーリング。東洋紡のマイクロ糸「カルエアーラ」使用。文句無し。この肌ざわり。モリリン製。

物が売れない時代。デフレの時代。先行き不透明の時代。成長戦略が無い時代と言われて今年の景気は暫く低迷の時を続けると言われている。しかし、一見そう見えてもそれが全てでは無い。一口に消費者と一括り(ひとくくり)にして政治経済のリーダーとコメンテーターは尤もらしく語るけれどその中身は正に多種多様。何でもかんでも安ければそれで良いのかと問われればそうでもない。今一番求められている事はお得感。

安ければ安い方が良いと言える人でもお得感を求めている。自分の収入は出来るだけ多く、支出は出来るだけ切り詰める。それでもほしい物は無理をしても手に入れる。そんな人をどれだけ囲い込み、お気に入りの買い物をして貰うかがこれからの勝負だろう。

安売りだけの勝負は目玉にはなってもそれで飯は食えない。利益が出ると言い放つ経営者もいるが代償も少なくない。安売り競争に限界利益が無い。スーパーで安売りの繁盛店がテレビで紹介されるがあれも目玉品。全てが目玉では利益が出ない事を誰が知るのだろう。

77歳の財務大臣が健康上の理由で退陣し、管副総理が財務大臣になる。有言実行の次期総理候補だが言う事がセコイ。為替の発言は甘い。円安発言は余りのお粗末。為替は思惑が左右する。どんなに多くの思惑を語っても思い通りには行かない事をこれから思い知る。

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2010年1月 6日 (水)

親父の仕事初め ぼやき始め

仕事初めは遅いけどぼやき始めはおかしんとちゃうと言われそうだが、今年も始まりました。遅い。普通仕事初めは4日。親父が現役の時、働いていた会社はこの日が創立記念日。だから長い間仕事初めは5日だったが、今年の親父の仕事初めは今日でした。

今年は景気の先行きと生活不安、健康不安、色々有るけれど動けなくなったらおしまい。今日、高齢者社会とか言われているが本当は如何だろう?様々だろう。元気で悠悠自適の人は良いけれど、そうでない人はどうすればよいのだろう?死ぬしかないのだがそうも行かない。誰かの世話になる。世話になれる人は良いけれどそうでない人は本当に困る。

これからそんな時代になる。8年前、そんな嘆きの言葉を聞いたことがあるが、あの時言った閻魔大王の面接が冗談では無くなる。人にやさしい社会とか生活弱者の為の社会とか言われても現実はそう甘くない。これからそのレッドゾーンに足を踏み入れなければならない。

自分でどんなに若いと思って見た処で肉体の老化は急速に進む。自分の体と体型を鏡に映して見ると良い。何たる無様何たる姿、何たる衰えだろう。鏡に写さなくても体と会話をすれば良く分かる。ほとばしる若さの時は何処に行ったのだろう。楊貴妃が不老長寿の媚薬を求めた気持ちが分かる。(ほんまかいな) いや無理だろう。貧乏人は貧乏人らしく老いさらばえるしかないのだろう。

今は幸いにして苦しい時、病院に行かず山に行き英気を養っているが、いずれそれも出来なくなるだろう。その時、如何する。如何にもならず神の助けを求めるのだろうか?神の存在を否定し己の欲望のみに生きる不遜な生活を変えなければ、神の憐みすら手に出来ないだろう。その為に今為すべき事。それは減量。難しくは無いけれど容易ではない。煙草とパチンコをやめた決意のみだろう。準備は良いか?良くなくてもやるしかない。血圧を下げる薬を飲まずに体重を減らす。言うは易し行うは難しだろう。

今の体重 90㎏。血圧 下100 上190 信じられない。どんな生き方をすればこんな数字になるのだろう。それでも体重血圧が標準でも親父の数値は笑えない。健康とはそんな単純なものではない。人は生まれながらの生きる力があり、誤りは正せば救われるが自分の誤りに気付かない方がもっと始末が悪い。(開き直り?まあ、ごもっとも)

単身化。単身赴任では無い。核家族でもない。家族分散。一人で生きる事の哀れを感じながら雄々しく生きる。これも減量以上に難しい事だろう。しかし、この問題もこれからの社会を生きて行く高齢者の課題だろう。それが出来なければ生きる術を無くすだろう。

多くの人が多くの事を語るけれど、自分に出来る事を自分の裁量で出来る喜び。その事を考えれば困難に打ち勝てる。その事は親父だけの問題では無く今はお一人様で無くても、いずれお一人様になる予備軍にも同じ事が言える。人は年に関係なく性別にも関係無く、厳しい時を迎える。その心準備が求められている。

夕食はモヤシ炒めにイワシ味噌煮の缶詰めを合わせる。イケる。最近缶詰めにハマる。長い間見向きもしなかったがサバは無論、イワシも臭みが何も無く味も工夫されている。親父が若い頃、ハイキングの時に持参したあの青春の味とは全く違う。これから減量の時、食い物にも大きく左右される。親父がこんなにメタボになった原因は明らかに食い過ぎ。

少ない食事の量と内容。工夫とカロリー計算が必要になる。カロリーの計算は出来なくても量は減らせる。缶詰めの上手な使い方はこれからの食事のポイントになるかもしれない。それでも夜食に日清のどん兵衛 年明けうどんを食う。(あちゃ)まあ、親父の決意もこんなもん。でも見ていなはれ。決意の強さは誰にも負けない。

どん兵衛の開運おみくじは中吉。「うどんのように純白な恋に出会えるでしょう」薄汚れて老いさらばえば、今更純白とは言えないまでも太く、長~く、そして強くぶっとく行きましょう。たのまっせ。今年のお年賀はこれだけ。神頼みでは無い自分頼みの航海がスタートする。

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2010年1月 4日 (月)

夢は逆夢

新年早々の夢は初夢と言われるが、良い夢を見たいと願うささやかな願いとは裏腹に、最悪の夢だった。それでも自分の心の一部を見透かされ気もする。親父が長い間、正しいと思っていた事が、見方を変えれば逆で在った事をこの歳になって思い知らされる。遅い。

それでも夢の中で何を教えたかったのだろうか?人を信じ人を愛しても所詮、人は一人で生きるしかない悲哀の思いを感じさせたのだろうか?そう考えて見れば思い当たる事も少なくない。阿吽(あうん)の呼吸。同じ空気を感じるとか言われても、本当に分かり合える事は、人の痛みが分かる優しさを持ち合わせる事かも知れない。

一方で夢は逆夢とも言われる。自分の都合のよい言葉で自分に言い聞かせても、大事な事は「禍転じて福となす」(禍福は糾える縄の如し)かもしれない。自分の是までの生き方をこの休みの間にもう一度見直し、本当の意味で夢を逆夢にしなければならない。

新年早々、国内外のニュースがテレビ、新聞で尤もらしく伝えられているがあくまでも一部分。多くの人が多くの思いの中で仕事初めの日を迎えている。仕事と住まいの無い年越しの人達も報道が伝えている10倍も100倍も居る事を、どれだけの人が理解しているのだろう。

自治体改革は大阪府庁からしか出来ない?橋下知事が声高に訓示しているが何様だと思っているのだろう?ある時は新政権に媚(こび)、又ある時は国政の誤りを声高に語り、自己の存在をアッピールする。こんな知事が全国的に注目される。大阪人が何時までもアホではアカンやろう。

米軍の辺野古沖の基地移転。これは多くの日本人にとってどうでも良い事だけでなく、この事が今年の日米関係の大きな問題である事も知らない人が多い。かく言う親父も辺野古沖をテレビの画像でしか知らない。アメリカの極東、西アジアの軍事戦略は長い間、日米軍事同盟が基軸だった。(おっと、難し事いを言う)。そう、その事が多くの国民は知らない。

その事が長い間、自民保守政権でアメリカと基本政策となり、この国の安全と平和が保たれて来た。アメリカと軍事同盟を結び、アメリカの核の傘と軍事力で守られながら、独立国としての存在は軍事的にも経済的にも無い事がこれまでは問題にもなら無かった事が、異例だったのかもしれない。

その事が今年、顕在化(けんざいか)する。鳩山総理がアメリカのオバマ大統領のその事を正確に伝えていない。トラスト、ミーとは何を任せろと言いたかったのだろう?私を信じて今迄通りで行きますと決定出来ると思っているのだろうか?出来ないだろう。

その時、政権公約を国民にどう説明するのだろう?アメリカとの信頼関係を壊してまでも、今迄の経緯をほごに出来ず普天間の負担を軽くするために、辺野古沖に軍事基地を移転しますとは言えなくなった事を、この国にリーダーは理解していない。間違い無く問題を先送りしても解決の糸口さえ手には出来ず、連立与党の強硬意見を抑え込めると思っているのだろう。沖縄の基地問題は完全に規模の縮小を段階的に進めなければいけない事を、どれだけ理解しているのだろう?

そんな事は親父に言われるまでも無く、先刻承知。沖縄の問題は今日昨日の問題では無く自民党政治の負の遺産だろう。今は引退した元総理も未だに沖縄の重要性を口にし、日米同盟の重さを説明するが、沖縄の人達の難儀をこれからも放置しても仕方ないと思うのだろう。今年は間違い無く日米軍事同盟、貿易の相互依存が問われる。何時までも固定的な古い軍事同盟が続いた歴史は無い。その時、次の時代を見据えた政治と経済の在り方が問われる。

そんな覚悟をマスコミは政府に求めるが、それもナンセンスだろう。意味が無い。マスコミの論調を見ると今迄の継続。それが無難では無く問題の解決を先延ばしにする事を、どれだけ理解しているのだろう。政府の成長戦略を求めるのは良いが、自分達の建設的な提言にマスコミは何が出来るのか、自己批判をしなければならない。親父が読んでいる日経が20円の値上げ。この物が下がる時代に20円の負担を求めなければいけない意味を理解していない。誰が?新聞社だろう?新聞社の誰?経営のトップ?ならば買うな。景気、経済の情報を安く手に入れる術を探さなければならない。      休憩。食事です。お疲れでした。

昼食は近くの総菜屋さんが今日までお休み。仕方が無いのでコンビニ弁当にするかと思いながらも、スーパーの弁当にする。お弁当の一番の強みは温かさだと思うが、冷たい弁当を平然と売る。3時間も5時間も前に造られた弁当を買う人は居ないと何故、考えないのだろう?それは無理だとしたらお弁当を売る工夫がこれから求められる。そうでなければ売れない。結局1時間前に作られたカツ丼、受験合格のシールが貼られていたがマズイ。これで合格できるか?物が売れないと言われる時代。物の売り方にも工夫が無ければアカン。

国民の皆様の為の政治?そんな物を国民は求めているのだろうか?国民が求めている物。それは単純明確。政治家の為の政治では無く国民に約束した政治改革と無駄の排除、国民生活の安定と安心。原点に戻るとか戻らないとか3カ月足らずで言われるのは心外だろう。

何よりも視聴率が低迷しニュース番組として期待外れの番組が、如何に多くのコメントを発しても説得力が無い。それでも福袋のニュースでフランス人が唖然としていたのが実感だろう。クレイジーと言われてもこれが日本。フランスにはこんな光景にはお目に掛らないのだろう。安ければお得感が強く行列しても、もみ合いをしても平気なのだろう。

トラ年の株価は上がる?経済のコメンテーターに言われても関係者。政府の政策に期待が掛ると言われてもお前達のやるべき事は無いのか?スキンヘッドならぬアローヘッド。株取引のスピードが飛躍的に変わるらしい。今年の株価の動向は今週の株価で決まるとも言われているが、それもあくまで過去のデータ。今年は如何だろう?

路上生活5年目。おばあちゃんホームレスが取材を受けている。公設派遣村。ハローワークで予約が必要で入所出来ず。これもお役所仕事だろう。派遣村の村長?なんかおかしくない。仕事が無い。生活費が無い。蓄えが無い。済む所が無い。支援者が無い。そんな人は全国に五万(ごまん)といる。それが現実。それが改善する兆しは暫くは無い。

それでも景気の回復が期待できるのだろうか?出来るらしい。景気の回復は意外な処に有る。政府に何かを求めてもそれは回りまわって自分達の世代で無く、次の世代に残される。今、尤もらしく景気対策を口にしている多くの人は間違い無く最後っ屁(きたない)だろう。

夕方、近くの山を目出す。年末年始の不摂生が足と腰と心臓に来ている。足腰は分かるけれど心臓の音がのどからプチプチと聞こえる。オイオイマジかよと苦笑いをしながら、歩く事を決める。それ程の決意が無くても歩かなければいけない。

中敷きを変えて歩きだす。歩く事は考えているほど簡単ではない。ズボンのポッケに手を入れて歩いている足の付け根の外側を触って見ると歩いて居る事を実感する。歩かなければならない。歩く事は誰にで出来る。しかし、怠けた体はその単純な行動を拒否する。

Img_1277 新年早々の画像が昨年の続き。南天。

しかし、この樹はでかい。デカイ南天の実が生き生きとしている。今年も又、元気でと言われている。頑張りまっせ。体に気をつけて。

歩き始めて靴の下敷きが合わない。100円は安すぎ。引き返して800円の物に替える。

関西無策。セイフティネットは自分で張れ。

Img_1280 山登りが遅れて途中の城址公園で、日の入り後の六甲山を望む。残照。穏やかな正月も終わり今日から官庁は仕事初め。

大阪府知事が今年は地方の時代と声高に語っても、何か空々しい。京都府の職員は着物姿。なんかパホーマンスで物事を解決できると思っていないか・・・。

Img_1282 城址公園西門の十月桜。まだチラホラだけど桜の時は遠くない。その時、どんな顔をしているだろう。今年はアルプスの少女ハイジに会いに行く?メタボな体がどれ位、締まるだろう。

みずほ総合研究所のエコノミストが今年の景気見通しを語っている。しかし、親父は今の状態がそう簡単に変わるとは思わない。

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日は沈み日は又登ると単純に言える時代が終わり、先行きの見えない時が続く。その事が長い間続いたけれど、今年の初夢は逆夢の予感がする。この城跡で昔を想えば多くの人を思いだす。長い長い失意の時、それが歓びに変わる時マッターホルンも黄金の色に見えるかも?

景気の先行きは分からないけれど、全てが良くなる事は無い。景気を良くして呉れの合掌は大きいけれど、出来る事と出来ない事がある事ぐらいは理解しなければならない。なんで景気が良くならないのか?それは明確な理由がある。それ位の事は理解しなければならない。

今、テレビで小沢幹事長が多くの事を語っているが景気の話は明言していない。富の分配は豊かな人が多く受け取り、貧しい物はそのおこぼれに預かるしかないのだろう。そのお零れ(おこぼれ)にも預かれない人も少なくない。それどころか踏みつけられる。それが現実。

夢は適うとか言われるがそれは夢が夢であり続ける事。殆どの(ほとんどの)夢が幻と消える。今年の初夢はその事を教えているのだろう。それでも親父は変わらない。今年もブログを重ねて作成件数500に挑戦です。

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2010年1月 3日 (日)

箱根駅伝(復路) あと2区で終了 この絶叫解説 なんとかならんか 

今年は天候にも恵まれ不運のアクシデントも無く、順調にレースが進んでいる。それにしても耳触りはこの絶叫解説。新人アナウンサーの気迫も分かるが、今年はテンションが高すぎる。人に聞かせる実況は難しいが選手の奮闘が一番。中継が邪魔をしてはならない。

今年はタスキが途切れる事も無く、各校の実力の差に大きな差は無い。それでも歴然と見える順位の差。個人の力の差を見せつけたのは箱根の登りだけ。後はチームのまとまりと作戦の差だろう。新年早々、選手が練習の成果を充分に発揮できるのは、何よりと言えるだろう。

今日は新年も3日。経済新聞には今年の経済見通しが出ているが、どうだろう?20人の回答者の人選に?を感じる。景気の見通しを現役の社長に聞いても意味は無い。自分の会社だけならともかく、日本経済の事は個人的な感じでしかない。実質経済見通しがマイナスは1人それも0.1.大半は1.5%前後。それ位の予想は親父にも出来る。(根拠はないが・・・)

失業率は5%の半ば。この数字の意味は如何なのだろう?その事の分析が無ければ今年の景気見通しは厳しい。大半の経営者とエコノミストは今年の後半は、明るさが見えるとかとぼけた事を言っているが、そんな会社もあるが全てでは無い。失業率の改善が無いまま、景気の回復は望む術もない。

賃上げ率の回答にプラスが半分。そのクラスでも1.5%前後。今年もまだ賃上げどころではないと言える経営者の責任は無いと言えるのだろうか?経営の資源を何に求めるのか?その待遇改善が出来ない経営者に、この国の今年の景気見通しを聞くこの皮肉。おかしくないのだろうか?大体、景気のバラツキが大きくなり勝ち組と負け組が明確になれば、この経営者も政権交代が求められる。

このそうそうたる各社の納税額を明示する方がどれだけ、その数字に説得力があるか分からない。アメリカの経済成長力の見通しにはばらつきがあるがこれも皮肉。願望だろうか?アメリカ経済に頼る日本経済はその見通しに明るさを求める事が、厳しいだろう。

最後の重点政策課題のコメントがあるが、未だに成長戦略を求めても無理だろう。今年は間違いなく成長格差が拡大するだろう。生活格差の是正も求められるが競争社会、資本主義社会、共産主義社会にも生活格差を無くす妙案はない。無い物ねだりをするな。

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2010年1月 2日 (土)

ラデツキー行進曲、85歳の指揮者

今年のニューイアーコンサートの指揮者は85歳。ジョルジュ、プレ-トル。二ュイアーコンサート2回目の指揮は名人芸。本当の喜びは生で聴く事だろうがそれは叶わなくても、こうして今年も年の初めにコンサートが聴けた事は何よりのお年玉かもしれない。今年の景気を何だかんだ言う前に心、豊かに音楽に耳を傾ける余裕がなければ、今年も明るい思いを手には出来ない。スイスの国の大きさも人口も日本よりはるかに小さいが人々の生活は比べ物にならないだろう。それだけ自然が身近で田舎暮らしが出来て、生活の水準が高いのだろう。この差は一体何なのだろう? 田舎暮らしが実は究極の豊かさかもしれない。

今、この国も観光立国とか言われているが、外人を呼ぶ前に自分達が旅をする喜びを感じ無くてそれは無いだろう。二ュイアーコンサート、アンコールのテープを聞きながらスイスの勉強をしなければならないと思う。考えて見れば親父の知識は同世代の人よりは多くても、何も分かっていない。この国の歴史に興味がありそれで君に多くの事を語るけど、それさえも一部であり多くは間違いだろう。

お正月のテレビも田舎に帰省した時とか、家で何もしない時は笑いながら見ていた特番も一人では見る気もしない。そんなもんだろう。人は年を取り最後は一人でお迎えを待つしか無いのだが、その事さえも忘れている。それまでの年を如何生きるか?その事が今年も又、問われる。85歳のプレイトルさんのタクト(指揮棒)はなかった。指先で充分だったのだろう。

口先で朝令改暮(ちょうれいかいぼ…朝の命令を夕方には改める。方針が一貫しない)を繰り返すリーダーに見せてやりたいが、それも余計なお世話だろう。今年の政治も経済も日々の生活も二ュイアー、コンサートの様には行かない。

昔、水前寺清子が歌った「365歩のマーチ」だろう。3歩進んで2歩下がる。反対は駄目。安物買いの銭失いとは良く言ったもんだ。安物しか買えない経済に希望は無い。その事が分かった時、この国の先行きに光が差すのだろう。

今、FM放送でジャズを聞いている。親父達が若かった頃、ジャズ喫茶があったが今の若者はそれも知らない。コーヒーを飲みながらデカイスピーカーで腹に響く音楽を聞くと説明すると馬鹿にされる。でもあの頃の方がやる事が明快、爽快だった気がする。(それは年寄りのセリフ)。しかし、イアーホンでデカイ音を聞いていると間違いなく難聴。間違い無し。

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箱根駅伝

親父がこの駅伝のニュースに初めて接したのは高校一年か2年の時、通学駅前の自転車置き場を兼業していた旅館のテレビだった。駅から学校迄3キロ前後の道、親父達は歩いていた。少し小金持ちの限られた女生徒と社会人が利用していた。汽車の待ち時間、覗き見をするのが楽しみだったが、親父が見たのはダイジェスト版スポーツニュースだったのだろう。

その駅も今は無人駅。最終の列車は9時過ぎ。親父達が利用していたのは8時過ぎだった。その電車も今は無い。殆どの社会人が車通勤となり学生は家族が送り迎えしているのだろうか?親父は部活をしていたのでそれが終わると学校が用意した自習室で、遊んでいた。

あれから40年弱。あの頃の箱根は雪景色で白一色だったが、その面影も今は無い。温暖化の影響はこんな所にも出ているのだろうか?宮の下温泉郷。沿道の応援が熱狂的。それ以上に実況中継のアナウンサーの絶叫がうっとうしい。

山登りの半分で昨年の覇者が首位を奪い返す。この道を車で逆走したのが11年前だったろうか?今はその道も応援の馬鹿共に占有され車は走れない。確かにこの急峻を走る事は凄いがこの交通整理はイカンだろう。この時期走る車も車だが通行規制をしないのなら、道路上まで応援者を出してはイカンだろう。

凄いね。箱根の山。もうすぐ峠を越える。国道1号最高点を越える。芦の湖が見える。ゴールは近い。今年はスタートしたばかり。初夢は親父の長年の思いを嘲笑っていた。その今年は積年の思いが変わるだろう。長い間思っていた事を変えるには容易ではないが、それが出来なければ一歩を踏み出せないだろう。人に何かを求めるな。自分に出来る事をやれ。

たかが大学駅伝。されど大学駅伝。何が起きるか分からないけれど、自分が変わらなければ何も変わらない。今年も多くの事を求められるが、その覚悟も無いまま是までと同じ生き方をすれば人を批判するしかない。それだけでなく惨めな生き方しか出来ないだろう。

芦の湖、ゴールイン。アナウンサーが絶叫している。勝者を讃えるだけでなく敗者への思いが無ければこのドラマに学ぶ事は無い。ゴール近くの道路標識に小田原方面渋滞と出ている。景気も同じだろう。景気を悪くしているのは固定観念。考えを変えれば道は開ける。

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2010年1月 1日 (金)

ニューイアーコンサート

新年の1日も兄貴夫婦とお茶しただけ。元気だから1年振りの再会にも笑いがあるが、これが病気ならそうは行かない。昨年末君から言われた血圧を下げる薬も、飲まないなんて言っては居れない。これからは自分の体との勝負。体が壊れた時、行き延べる術は無い。

これからは高年齢化、少子化が進み担当大臣までいるが高齢化担当大臣はいない。それでもこの国の平均寿命は延び健康な年寄りも少なくない。それでも高齢者の介護はどんなに国が豊かになったも大変。増してや個人の負担を考えると深刻な社会問題となるだろう。

さすがの親父も「桑の葉抹茶」を通販で求め、年末から飲み始めた。感想?まだ分からないけれどガスの出方が多くなる。親父は別に便秘ではないが、内臓、大腸のガスは細胞の奥まで食い込み容易に出ていなかったのだろう。それが崩れつつ成っているのだろうか?まさか|

夕飯、白采と鶏胸肉、豆腐とコンニャクの鍋にする。アルマイトの鍋で水を沸騰して肉を入れようとして慌てる。ぶつ切りにされていない。塊。オイオイ。いくら胸肉と言っても塊かよとボヤイテも始まらない。出汁が出れば良いかと思いながら白采を先に煮る。アクを取ればOK。

白菜の根元、固い所が柔らかくなれば出来上がり。肉の塊も箸で取り出して包丁でカットすれば出汁は出ているが柔らかくなっている。味も悪くない。皮付きの肉が簡単に取れ皮も食える。昨夜の年の瀬もそうだったが新年の夕食に賑わいが無い。それでもこんな生活にも慣れ老いぼれてて行くのだろう。

そんな時、ニューイアーコンサートは始まっていた。慌ててラジカセのテープを探すが無い。年末の掃除の時、使わないと思い捨てたのだろう。諦めきれずに探すが無い。ふとラジカセの中を見るとテープは入っている。それでも30分。途中で止まる。

アンコール曲3曲しか取れない。それでもお気に入りの曲。「ラデツキー行進曲」。軽快な元気lと力が沸き出る曲。指揮者の思いと歓客、オーケストラが一体となるお馴染みの曲。それが取れれば充分。もう一曲これもお気に入りの「ウイーンの森の物語」。これで又、寂しい時悲しい時、何度でも繰り返し聴ける。親父には音楽でしか聞けない風景が鮮明になる。

今年、スイスに行けたら一日ぐらいウイーンの街並みが見れるだろうか?今日、ウイーンの人たちにとってワルツは何なのだろう?日本人の多くが演歌を歌わない様に耳にする事も無いのかもしれない。ヨハンシュトラウス、ワルツの王と聞かれても知らないと言われるだけかもしれない。そんなもんかもしれない。

明日は箱根駅伝。箱根の山は天下の嶮(けん)と歌われたのは昔の話。今は車で簡単に越せる。それでもあの登り坂を健脚で越えるのは大変な事だろう。そのスタートの新聞社に仕事の確認に行ったのは昔昔の話。今でもあのデカイバーコードの仕分けはされているのだろうか?今思い出して見てもあの仕事のクレームは1度も無かったし凄い事をやったのだろう。

カメラを持ち込んで仕事の流れとポイントをバシバシ写しても何も言われなかったのは、仕事の重要度を認識して貰いたかったのだろう。新聞社の地位は新聞の発行量と配送の時間との勝負。それが出来たから今でも全国紙のトップとして君臨出来るのだろう。残念ながら記事の内容と論調は個人的には興味が無い。しかし、トップを取り続けるにはそれなりの厳しさを求められるのかもしれない。

親父は自己の観念が若い頃と何も変わっていない。マスコミには期待していない。新聞社の誤りは報道の責任を無くした事。そんな事は無いと言われる人が少なくないが報道の責任とは何か?事実を正確に伝える事。感情を排除し事実のみを伝える。それが無ければ新聞がその役目を終える。今、宅配の新聞を手にする人が少ないのはその事の表れだるう。

駅伝にはドラマがある。筋書きのないドラマ。一本のタスキの重み。日々の生活の中に無い緊張感と健脚。100メートル親父も走れない。そんな人が自分の想いを託す。そんなドラマを見れるのが明日と明後日。久しぶりに(そうでもないか)テレビの前で今年も証人になれる。

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謹賀新年

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謹賀新年。今年も又、新たなる想いで新たなる出会いを求めて、新たなる挑戦です。新年早々、又南天かと言われてもこの写真は屋根瓦が雪をかぶった感じで、年賀状の写真に使いたかったお気に入りの一こまです。今年もこの写真の南天の様に困難を物ともせず、全力投球で悔いのない生き方をしたいと思っています。困難を転じて福として下さい。

今年も昨年同様、ニューイアー駅伝を見ながら穏やかな元日の朝を迎えています。違う事は朝起きて食事をする前にコンビニで160円になった経済新聞を買った事。駅伝の画面を見ながら平穏な一年の始まりを感じている事です。雑煮は昨夜口にしなかった年越しそば。雑煮は白菜と薄味で無いと不味い。長い間、美味い雑煮を口にする事は無いが、これも努力の足たらなさかもしれない。(どんな努力?)

そんな事を感じながら昨日久しぶりに手にした朝焚き納豆(甘なっとう)を食っている。甲斐の国の天然水でふっくらと炊きあがられた白花豆はしっとりとした口当りで、甘過ぎず食い過ぎ注意です。昨年末、一念発起して桑抹茶を買いました。多くに人に笑われても自分の体は自分で管理をし、健康を維持しなければ人の事は言えない。

人の事はどんなに批判出来ても、自分の事を自分で批判できない。昨年、景気の低迷とデフレの進行、自分の心の病でも自分に何かが出来たから変化があり、何も出来なかったから問題の解決を政府、金融当局に求めたのだろう。その事は納豆を食いながらお茶を飲めば良くわかる。己の無策を棚に上げ然も他人が何もしていないと思うのは、問題の解決ではなくボヤキであり嘆き、愚痴でしかない。その事が分かれば今年は色んな事の分岐点であるかもしれない。

年末の国民的全国放送、紅白歌合戦を見なくなって久しい。「なんで」と訝る(いぶかる)人に格闘技と答える親父の馬鹿さ加減に自分では結構満足するようになった。格闘技と言えば元ヤンきーとか馬鹿が多いが、例外も少なくない。今回王者吉田に挑戦したのはオリンピック金メダリストの石井。試合には負けたが間違いなく世代交代。

殴られても蹴られても前に前に進むチャレンジャー精神は、久々の清涼感。試合は王者の上手さに交わされ為す術もなかったが、その姿は間違いなく次の時代を背負う姿だった。最後の試合は親父の嫌いな選手の引退試合。それもショウとは見えない迫力が有った。

今年は間違いなくテレビがその役目を終える。皮肉にもデジタル放送が始まる前。テレビが話し相手の高齢者の楽しみは娯楽番組。そのテレビが興味本位、視聴率本位の番組編成。その自覚も無いまま、口も拭かずに尤もらしい正論?を語る。テレビは次の時代で何を語るのだろう?

赤城降ろしも今年はテレビの解説者が言うほど強くない。静岡掛川の遠州空っ風は如何だろう?関西でも寒い新年になっているが雪国の事を思えば、比べ物にならない。その事を思えば今年の生き方も又、違ってくるだろう。正月休みは5日まで。9日に掛川に行く。

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2009年12月31日 (木)

そない甘いもんやおまへん。それでもこれからの時代を背負う若さ

今年もあと2時間足らずで終わり、2010年の新たな年が始まる。今年は親父に取って豊作でも不作でも無かった。病気も失業もせず生き抜いたのは評価できても、手にしたものの大きさは満足出来る物では無かった。そない甘いもんやおまへん。

政治の世界でもそうだった。地滑り的大勝で自公政権を倒しても何も変わらず、それよりも政権与党のもたつきと総理のリーダーシップが皮肉にも問われた。それでも保守と公明党の利権の政策は支持を失う。何故だろう?何を見間違えたのだろう?

その事が分からなければ民主党も同じ穴の狢(むじな)かもしれない。同じ穴のドツボにハマる。新しい年はその事も問われる。夏の選挙を待つまでも無く小沢民主党は不動の勢力を固めた時が、ポイントだろう。

間違い無く政治の形は変わっても中身は大同小異の気がする。何故そうなのか?人と国、政治に多くの事を求める人達は、個人的には何もできない。その何も出来ない一人一人が想いを重ねて時に歴史は大きく動く。その事がこの年の政権交代だったのだろう。

新年になり各地の様子が中継されている。独身の頃から見ていた風物詩。多くの人が多くの思いの中に新年の時を迎える。親父もそろそろ生き方を変えなければ、長くは生きられない。その思いの中に寒い日がある。有り難い事に正月休みは5日。今年はどんな生き方が出来るのだろうか?

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今年は歳の瀬の慌ただしさも無し。寅さんの番組見ながら、笑っている

渥美清の寅さんシリーズ。どれ位続いたのだろう。親父が結婚前、同じ職場のひょうきんな若者が寅さんの語り口を真似していたから、40年前位前から始まったのだろうか?ストーリーは毎回同じでも年末とお盆はこの映画が全国の映画館で封切り上映だった。

親父が映画館で見る事も無くテレビで見る様になったのも、大分後になってから。でもあの頃はまだ今日の生き方を知る術もなかった。今回のマドンナの大原麗子も今年、誰にも看取られる事も無く来世に旅立つ。人の生き方は生まれながらにして生きる年が決められていると言われても、誰もその時を知る術もない。これからそのドラマを見るのは親父だけでは無い。

今年も多くのドラマがあり泣きと笑いがあった。本当の哀しみはそんなもんではないと思いながらも、唇を噛みしめる事も少なくなかった。喜びの時は少なかったけれどそれもこれも来年に続くドラマかもしれない。寅さんも今は居ないけれど来年は寅年。きっと多くの事を語りかけて呉れるに違いない。では又明日。今年はもう一日仕事です。

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