旅行・地域

2010年7月 4日 (日)

梅雨の晴れ間 蒸し暑い スイスは今日も涼しいのかな?

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チューリッヒ中央駅。旧市街出口?。この時まだ雨が降っていた。路面電車が大きい。

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こちらは反対側。市街地に出る事無く電車に乗り込む。

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パノラマカーの車内が移りこんでいるが何処に向かっていたのかな?

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ツェルマットから下って来た処。何気ない風景の中に鉄路工事の苦難の歴史がある。

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グレッシャー・エキスプレス(氷河特急) 緑の草原もこんな雪景色も見れる。

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これも一回公開?この特急、一番高い処は2000メートル。ゴンドラでは無い。

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雲の上を走る。ここが最高点。冬季もこの路線運転されているから驚きです。

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車窓の下に村が見える。

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山が近くなる。もうすぐツェルマット。

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ツェルマットのお店。公開したかな。これから一気にお見せします。

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ここがツェルマット、ゴルナーグラード鉄道の終点。団体のガイドさんが細々とした説明をしていた。ここから雪道の散策?コースもある。しんどい人は電車で降りて下さいと言っていた。こんな高い処から歩ける人の心臓に敬意を表す。此処で3000メートルです。少し目線を右に動かすとこの景色です。

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これは公開済みのマッターホルン。でもこの山を見に来たのだから本当に感激でした。この絵はプロでも天気に恵まれないと撮れないでしょう。自慢のショットです。大きく引き伸ばしても額縁決定です。今月は蒸し暑い気候が続きますがこの絵を見ていると、そんな気持ちも何処かに飛んで行きます。暑い日が続きますがご自愛下さい。

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スイス ハイジの村には立ち寄れなかったけれど・・・

スイスに行くと言った時、殆どの人が「何しに行くの?」と怪訝な顔をされた。「確かに」そう思いながら長年の屈折した思いを語る事無くハイジを引き合いに出した。誰もが知っている天真爛漫の少女の姿は、アニメの印象でそれ以上の説明は不要だった。

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すでに公開した画像。ハイジが見ている?まさか?

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サンモリッツの駅。湖の向こうの山は昨日の雪が残る。これから3日目の鉄道の旅です。

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これが2日目の朝。サンモリッツの駅。これからイタリア国境の町、ティラノに向かいます。ホームに雪が積もり、天気も冬の景色ですが何故か寒くない。雪も歓迎して呉れたのだろう。

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サンモリッツの駅から市街地を見上げる。駅の横は湖。この画像は君の物。

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駅前の広場。まるで雪景色。親父はカメラを失くしてしょんぼりしていた。慰められる。

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後ろの車両切り離され喜んだのも束の間、パノラマカーが連結される。電車はその後、再び駅に戻る。嬉々として2人で次の駅で移動すると車掌に制止され下車させられる。なんにも無い駅の改札で君が説明を求めると、指定券を持っていなかった。(旅行社のミス?)

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峠越えの踏み切り。こんな所でも歩いている人が居る。何処でも乗車出来るからだろうか?

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鉄道と並行して走る道路。きちんと除雪されている。この時期の雪は珍しくないのだろうか?

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峠ももうすぐ頂上。今は夏季。冬季もこの路線を電車は走る。凄いなあ。この先の下りでその事を痛感する。寒さは全く感じない。完全暖房?そうではない。Img_0388

これはすでに公開した画像。国境かな?良く見えない。

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もうすぐトンネルを抜けると下り。大パノラマが広がる。君の画質親父の無料ブログのスペックをオーバーしているので見れないかもしれない。

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これもすでに公開した画像。こんな絶壁の上の工事と冬季のメンテナンス。想像できない。

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残念此処まで何とかパソコン騙しながら画像の挿入を続けたが此処まで。パソコンに逆襲された。「いい加減にして下さい。スペックオーバーです。このままだとストップします。」

スミマセン。君のメモリーも編集されているのでパソコンも戸惑っているのでしょう。このカメラマンに免じて許して下さい。カメラも良いし良い男だね。では又。

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2010年7月 3日 (土)

欧州の豪華ホテルの朝食の味 どんなジュースだろう?

Img_1930 スイスのホテルの食事は6泊全てモーニングとディナーのセット。どれ位したのだろう?味は文句有りませんでした。全てバイキング。でも日本のホテルの様に最初から勝手にどうぞではない。テーブルに案内されてスープともう一つ料理を聞かれる。それから席を立ち好きな料理を取れる。日本の様に慌ただしさが無い。ゆっくりと時間が流れる。

サンモリッツ、そうカメラが出て来た宿でメインの料理が口に合わなかった時、殆ど喰えなかった。それでも替わりの料理を出す訳でも無くウエイターの男性はウインクをするだけ。料理にもサービスにも誇りを持っている。全体的に食事の時間は長い。そしてマナーにうるさい。それでも堂々としていれば何も気にする事はない。サンキュウーだけは上手くなっていた。

今日の日経のプラス1に「夏に美味しいご当地ジュースの何でもランキングがある。佐賀田島柑橘園の「セニョリータ陽子」が1位にランキングされている。その中のコメントに欧州豪華ホテルの朝食の味と紹介されているが、確かに朝食でも手抜きが無い。

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親父の日常は仕事の時はトースト2かじりと梅と昆布のおにぎりとお茶のペットボトル。休みの時はモーニングコーヒー。トースト2枚とゆで卵、ミニサラダ。昼はお弁当。流石にヨーロッパ人でも貴族か伯爵で無い限り豪華な食事は無いだろううと思いきや、そうでもない。ホントよう食う。人の事は言えないが腹が出るのも良く分かる。メタボの言葉は彼らの頭に無い。

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これはグリンデルワルドのホテルのウエルカム飾り。日本の高級ホテルにもあるのだろうか

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こうして眺めると凄いね。夕食のテーブルです。流石の親父もマナーの確認をしていた。

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何処の料理が美味かったかと聞かれ、ロープウェイを見上げながら土瓶風のコンソメと言って笑われていた。「確かに」 日本のコンソメの味がした。これは?結構でした。

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これは君のスープ。何も言わなかった。

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これは親父が喰った。大麦のの上にホタテが乗っていた。違う?イヤイヤそうでしたよ。

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これは君が喰ったもの。子羊の肉だな?違う?そりゃそうでしょう。食ってないもの。

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このサラダ、余り上手くなかった。それでも美味そうに食っていたな(笑い)。

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これを見た時ニンマリ。米だ。食って見るとタイ米。米粒が小さい。駄目だ。でも残さず。

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これは君の分。美味そうに食っていたが不味かっただろう?違う?失礼しました。

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窓の外見上げると人が飛んでいた。近くに飛び降りる所がある。信じられない。

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これはバイキングのレザート。他にも料理多数。とても勝負できない。それでも彼等は本当にスマートでした。

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叔父さん、エーデルワイスのリクエストに答えて呉れてありがとう。叔父さんは長野にも来ていました。多くの事を一杯喋って呉れてありがとう。君が通訳して呉れたけれど握手で充分

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彼女も仕事に誇りを持って本当に優しい人でした。スイス人かどうかは分からないけれど、日本人が英語を喋るのが大変な様に、この国で英語が喋れる事は大変なステイタスです。それでもそんな事は微塵も感じさせずに、君の英語にも答えて呉れました。(失礼)。この時親父は本当にスイス人のもてなしの心を痛感し感謝していました。お幸せに。

6泊7日の旅はあっという間もなく終わりました。それでも親父のカメラのメモリーだけでも多くの記録が残り、君から預かった2枚を合わせると画像は1000枚を越えるでしょう。暫くは整理に追われても記憶の中には消える事は無いでしょう。

もう一度行くかと言われればノーサンキュウですが感謝の思いで一杯です。この歳老いた親父を連れて廻るだけで大変だったでしょう。人は老いると希望を失うと言われますが、その認識に欠ける頑固さを理解するのは本当に並大抵の接待ではありません。次は親父が接待する番ですがどうでしょう?大泉洋さんなら「大丈夫でしょう」と言いきれるでしょうが、分かりません。そう分からない事が又、楽しみでもあるのです。まだまだ続く。まだ?信じられない。親父は本当に高所に弱く平地では人並み以上のバイタリティーが有りました。

ブログもまだまだスイスの旅、続きます。お楽しみに。(君だけかも)

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スイスから帰った時は雨、今日も雨 日本は梅雨明け、何時?

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インターラーケンからグリンデルワルトに向かっている。この電車、途中で分かれる。この時はその後。目的地は近い。大分、旅慣れて来たがそろそろお疲れ気味。でも景色がその思いを癒してくれる。ぼんやりと外の景色を見ていると頭の中は空っぽになっている。

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これはすでに公開した画像。それでも緑が濃い。田舎の今頃の緑を思い出す。

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目的のグリンデルワルドは近い。山は高く空は青い。でもいつもがこれが日常だと退屈かも

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そろそろ、着くよ。身支度をしている。正面が目的地。

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着きました。グリンデルワルド。正直、この街は知らなかった。ユングフラウとアイガー北壁が見える。但し、麓の村からは影も形も見えず。登山列車で登る。スイスに行ったらこの駅はお薦めです。でも途中の中継駅から先の料金は滅茶高い。山も高すぎて何も見れずに済みません。それでも満足でした。

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ホテルのベランダから見える麓の村。良く写真で見る風景。これはパンフレットに使えそう。

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登山鉄道で見る麓の村。一気に登る。

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上の画像はこの写真の左上。登山鉄道は良く見えないがこの画像拡大すれば見えるかも。無理だな。右中央を登っている。

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この先はすでに公開のアイガー北壁に続く。

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この駅のベンチで高度に慣れる為、ベンチに座り眼前の風景を見つめていた。新田二郎のプレートはこの駅舎の反対の小高い丘に在る。この景色です。

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ここから上に登山鉄道で上がらず、ハイキングコースを下がる人も居る。2人の御同輩、何を相談しているのだろう?一つ、2つ、3つ、それともした迄歩くのかな?どれ位掛るのかな?

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みんな真剣に観光していた。酔っ払いは居ない。山を愛する人が新田二郎が静かにアイガー北壁と案内の看板を見つめていた。このスナップもなかなか撮れない。それだけの天気。

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ユングフラウ鉄道はほとんどトンネルで高度を稼ぐ。この鉄道は驚く事に1912年(大正元年)から走っている。乗り継ぎになるのはレールの幅がそれぞれ異なり直通運転が出来ない。そして料金もここから先が高い。御免なさい。高い料金を楽しめなくて。トンネルの中で幼児が高度に耐えられなくて泣きわめいていた。大人では途中で2回停車して高度調整をしているので殆どの人が平然としていた。行きも帰りもアイガー北壁の下を走る。

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スイスのお土産。娘に渡すつもりが何故か愛着を感じて手元に残し、他のお菓子にしました。楽しい旅も終り一週間しっかり働いたので部屋の中もただこの有様です。足の踏み場もありません。これからの日常に疲れた時、この人形を撫ぜながら元気を出して行きます。

アメリカの詩人サミュエルソンの言葉に「青春とは心の持ち様」と歌われていますが、今度の旅で痛感した事は「飽くなき挑戦」です。今頻りに高齢化社会とか社会保障の充実とか言われていますが、政府や行政に何かを期待するのではなく自分に何が出来るかでしょう。

人の本当の幸せは健康とそれを支える生活力でしょう。今、多くの人が多くの言葉を声高に語りますが、本当の意味で青春を謳歌出来る時は短く、腹が出ては何も出来ません。今迄、一日一生とか不遜な生き方をしていましたが、これからはスイスで君から問われた言葉の意味を噛みしめながら頑張ります。スイス旅記録、まだまだ続きます。

これから部屋のお片付けです。それからお気に入りのパンを買ってコーヒータイムです。

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そろそろスイスの旅も終わりかな?まだまだ未公開映像たっぷりです

スイスの国土は日本の九州の広さとほぼ同じとか感じとしては九州の南北がスイスの東西だろうか?今回の旅の目的はスイス鉄道の旅。そしてマッターホルンとアイガー北壁、ユングフラウの峰を見る事。鉄道の旅は最高。マッターホルンとユングフラウには高さに圧倒される。

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ツェルマット2泊目の朝。窓の外は快晴。残念ながらマッターホルンの山肌に当たる朝日は拝めず。それでも満足していた。前日までの天気が嘘の様に歓迎して呉れました。

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これが東京放送のテレビクルー。最高の天気。最高のマッターホルンが撮れていた筈。

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これは朝日が既に山を下りている。でも感じは出ているね。

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日は登り太陽が東から西に移動している。この日チェックアウト午後になっていた。前日、ゆっくりして良いか尋ねると全く気にしていなかった。これは別れのスナップかも?

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先のブログ、ロープウエイの場所は左の山を横に移動。展望台は左の高みにある。

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ホテル最寄りの登山鉄道駅迄の送迎電車。来る時は霧の中でした。

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これはホテルの記念品。又来れると良いね。来れるかな。その為には一杯稼いで、一杯長生きをして、一杯元気で無いと。親父は無理だな。上高地の帝国ホテルか伊豆の川奈ホテルにします。(贅沢)。でもこのホテルの思い出は消える事は無いでしょう。ありがとう。

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ツェルマットの駅前のお店で口にしたバナナケーキ。美味いかと言われてうなずいていた。見た目はうまそうでも、量が多い。半分だけ口にしていた。一昨日、駅に着く前、電車のお土産(ピーナッツ)を口に入れようとして叱られていた。あの時恨めしげにいじけていた。暫くふてくされていた。それでもシャツを買って貰ったら機嫌は直っていた。親父、食い過ぎです。

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移動中。もうすぐ乗り換え。

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これが買って貰った長袖。これで暑くなかったから涼しかったのだろう。胸のツェルマットが記念の印。何に感心しているのだろう?ひげが伸びて来た。何時もそんな顔をしていなさい。

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この電車は早かった。ベルン行きスイス国鉄?シューピーツ乗り換え?なんせ金魚の糞でしたから。(それにしては態度がデカかったよ)。親父の親父らしさが分かる人は少ない。

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グリンデルワルトは近い。正面の谷間。

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着きました。グリンデルワルトの駅です。逆光で看板の地図が見えないが人の顔も見えない

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これは親父の画像。正面の建物が駅舎。ホテルもその向こう側。少し歩く。

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これは駅舎側から。アングルが少し雑。疲れていた。早くホテルに行こう。そう思ってはいなかったが・・・。

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これはグットです。正面奥の山がホテルのベランダから見えていました。

スイスの旅は計画任せ。でも希望は聞いて貰っていたので本当に楽しい旅でした。サンモリッ、ツェルマット、インターラーケンそれどれ2泊。ベル二ナエキスプレスの旅はサンモリッツからイタリア国境のティラノ往復。意外に雪の中を峠を越えながら最後はブルージオのループ橋(坂本冬実のコマーシャル・・また君に恋してる)あの橋が見える。

3日目4日目はツェルマット。マッターホルン。三日目のスイス横断のグレッシャー・エキスプレス。サンモリッツからツェルマット迄の7時間半。高さ2033メートルの峠越えは正に圧巻。そして天気に恵まれたマッターホルン。その威容は驚きと感動でした。

5日目と6日目はグリンデルワルト。身動きすら出来なかったユングフラウは見れなかったけれど、君の写真で充分です。本当に感動の一週間でした。最後の君の靴の底が外れるアクシデントが有りましたが、東京駅の靴屋さん、あの修理は見事でした。

親父のブログはまだまだ未公開の映像を公開します。そして親父節炸裂です。お楽しみに。それ位が親父に出来る恩返しでしょう。

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2010年7月 2日 (金)

一週間前は飛行機の中 11時間は長かったね。それでも帰りは2時間早い

成田ーチューリッヒは行きの方が時間長い。それでもそんな感じがしなかったのは何故だろう?まだ見ぬ景色に胸を躍らせていたのだろうか?そうではあるまい。帰りの方が早かったのに楽しみが無くなったのかもしれない。後ろの席の他愛ない無駄話が神経を逆なでていた

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マッターホルンがこのトンネルの右側に広がる。怖かったゴンドラの終着点からこのトンネルを抜ける。途中迄大阪のおっちゃんが君の事を褒めていた。親父もそう思っていた。ホント。

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これはマッターホルンでは無い。近くの山が目前に迫る。美しさを感じる前に別の怖さを感じる。山の美しさはロープウエイトゴンドラで来たグレッシャー・パラダイスからではなく、遠くから眺めたゴルナ・グラードだったかもしれない。

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少しピンボケ。親父の事が心配になっていたかな?

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ゴンドラがこんなに近い。親父の気持も分かるでしょう。分からない。そうかもね。

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それでも此処に立てただけでも満足でしょう。ゆっくり眺める事も出来ずに(親父は見ていない)。この画像アップは2回目。それだけの価値は有るね。君の思いが籠っている。登山鉄道の終点(ゴルナグラード・・3090m)とは迫力が違う。これは大きく引き伸ばします。

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ゴルナグラードの展望台から。これはこれでナイスショット。マッターホルンは登山鉄道が雲から抜けてやっと見える。この画像も2回目のアップ。比べて見るとその違いが良く分かる。どちらが綺麗かと言われるとこちらかも。スミマセン。上の景色見ていないくせに。

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フェンスの先の雪と雲の境が分からない。山の怖さがひしひしと感じる。

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正面マーターホルンの頂上は4478m。この展望台の高さが3883メートル。雲が目線の延長に見える。親父が見れなかったのも分かる。分からない。やっぱり。ホント何しに行ったのだろうか?でも無事に帰れたのだから其れが最高の歓びでしょう?アホか。がっくし。

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これで見納め。少しアップしたのかな?親父が心配だしと思って呉れたのだろうか?親父はひたすら君の帰りを待っていた。哀れと言うより其れが正解でした。山の怖さを思い知らされたのでしょう。(オイオイ、言い訳ですか?)

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これなら如何だ。親父でなくても下は見れない。良くこんな景色撮れたな。尊敬します。親父はひたすら横を見ていた。目線を下げなければ足元がすくまない。お尻はむずむずするけれど。

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良く行けたなあ。これを見ているだけで怖さが甦る。もう2度と行けない。

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それでも叔父さんの顔を見ていると安心。何も説明して呉れなかったけれど・・・

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親父、尻を掻きながら山を見上げている。此処まで降りて来れば大丈夫?

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マッターホルンはホテルの左前方に雄々しくそそり立っていた。到着の日は夕方まだ明るかったけれど霧で何も見えず。ホテルのフロントで山は何処ですかと尋ねると「目の前」と笑われていた。それでもパソコンの画面を見せながら「これが見えますよ」と胸を張っていた。

まだ今シーズンオープンしたばかりのホテルは歴史の古い格式の高いホテルだった。此処でもカップルの旅行と間違えられる。そうだよなあ。親子と言われると分かるけれど。一番、嬉しく感じた事はもてなしの心。日本人は本当に優しいけれど彼ら彼女らはその上を行っていた。

仕事に対する誇り、もてなしの心、日本人に欠ける余裕。あれは一体何処から出て来たのだろう。但し、例外も居たけどね。人の事は言えないかもしれないがその事も痛感する。画像マダマダネタ切れには為りません。親父の拙いコメントもこれからが最高です。

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2010年7月 1日 (木)

一週間前はグリンデルワルト スイス最後の夜 又、来れるかな?

君から笑われたロープウエイで行ったマッターホルン・グレーシャー・パラダイスは親父にとって足元がすくんだだけ。その様子は前のブログを見ればよく分かる。早く済んだのでもう一つの高所、ユングフラウの素晴らしい景色(親父も見ていない)を見て見よう。

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ツェルマットからグリンデルワルトにむかう途中の駅からの写真。トウーンの駅。湖はプリエン。グリンデルワルトでユングフラウに行った翌日遊覧船を予定していたが止める。その分工程がゆっくり出来て正解。多くの事を求めても疲れるだけ。一か所に2泊で正解。

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インターラーケン、オスト駅(東駅)で乗り換え。この時だけは老いては子に従うのみ。

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それでも電車内の態度はデカイ。親父、寝ているのか、起きているのか 聞かれたな。

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グリンデルワルトに向かっている。

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グリンデルワルト。右正面の看板はインターラーケンはこちらの標識。

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これから山に登ります。余裕があったのは途中のクライネ・シャイデック(ユングフラウ鉄道乗り換え駅)迄。ここからアイガー北壁が良く見える。

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ここで暫く休憩していると結構日差しが強い。乗降客は結構団体が多い。それでも車掌は客数をきっちりチェックして定員以上は乗せない。その意味は上に上がると良く分かる。それ程にトンネルの傾斜はきつい。

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左の黒い絶壁がアイガー北壁。右がメンヒ。この山は今は見えないユングフラウに挟まれて余り知られていない。高さはアイガーより少し高くユングフラウには負ける。それでもその差は小さい。

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何を見て感嘆の言葉を発しているのだろう?皆んな見ているなあ。親父、髭も伸びて来たな

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トンネルの先が出口。緊張感より不安が高まる。流石に皆足元が重い。親父は頭が重い。

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展望台の外。トップオブヨーロップ?4158メートル。富士mountainは日本一の山。其れがはるか下。親父はこの時、下のスフィンクステラス(食堂)で身動きせず。しかし、ふらつきは無し。空を飛行機が飛んでいる。

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良くこんな所歩けるな。落ちる心配はないのだろうか?

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君は何処迄行けたのだろう?親父は君の帰りを待つだけだった。それにしてもこの夫婦余裕。アンビリバブルです。ゆっくり景色を満喫できずに面目ない。それでも親父は動き回らずで正解でした。

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早いもので先週の今日はスイス最後の夜でした

今日は君からのメデアが来たので今迄にない感動の記録(親父がビビった所)の公開です。

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この高低差は左程感じられないがこのゴンドラの終点の裏からマッターホルンがまじかに見える。この高さが3883メートル。親父が動けなくなるのも当然。しかし、他の人は本当に動き回っていたから信じられない。テラスの外は銀世界。サングラス無しでは眼が痛い。

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親父は見ていないマッターホルン。食堂でコーヒーだけを飲みながら机に突っ伏していた。

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こんな高い処でスキーをする気分は分からない。命懸けかと思いきやそうでもない。コースは整備されているが親父の様なおっさんにはとても無理。とても出来ない。

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親父はガラス張りの中から見ているだけでした。それも長くは続かず息苦しくなる。

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おいおい落ちたらどうすんんや?安全なリフトの中で喚いていた。氷河が見える。

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こんな階段。何の為に在るの?すごいね。このサービス精神。親父には無用の長物。

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こんな所で落ちたらどないすんのや?それよりもこんな所に立てない。

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ヨーロッパで一番高い展望台。凄い。でも見ていない。スミマセン。

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展望台は書面の尖がり帽子の上。ここから見上げた時、其処だと分かっていたら行けなかっただろう。この区間はゴンドラで最後の絶壁をいとも簡単にせり上がる。今思い出しても怖い。あの時、下は見ず丁度大阪の叔父さんに話しかけられていた。「さすがスイス、景色が凄い。日本では見られない」合図ちを打ちながら親父の顔は引きつっていた。

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このゴンドラです。落ちる心配はないが高さが良く分かる。信じられない事に落ち着きの無いのは親父位で皆平気な顔をして歩き廻る。その度にゴンドラは揺れ親父は内壁にしがみついていた。昔、子供達が小さい頃、余裕綽々(しゃくしゃく)で北アルプス西穂のゴンドラに乗っていたのは何だったのだろう。(いやー比べ物にならない。スケールが違う。)

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親父、腰が落ちている。君の笑い声に返す言葉も無く腰かけているだけだった。この親父が下に降りると態度が変わる。こうして見ると本当に親父です。情けない。

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このロープウエイ。高さが半端では無かった。それでもこれで6人乗り。これは麓に近い。この近くの中継所で食事をする。コンソメのスープが何とも言えない塩味。美味いかと聞かれてニンマリとしていた。その時の写真は無い。

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食事をしながら山を見上げていると時の経つのを忘れていた。

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2010年6月29日 (火)

旅の記録 スイスは涼しかった そして高かった

これは今回の旅のまとめです。親父の一度失われたデジカメも381枚の記録を残していました。一度は行きたいと思っていたスイスの旅も君のお陰で行く事が出来ました。本当に感謝です。税関のお姉さんに叱られたりホテルの人と握手が出来たり、食事の時、アコーディオンの叔父さんがエーデルワイスを弾いて呉れたり、親父が案外、高所恐怖症になっていたり。記録に残せぬ思い出も全てが頭の片隅に鮮明に残るでしょう。これは感謝の記録です。しかし、肝心な処が抜けていますがそれはデジカメを失くした時と、高所でうずくまっていた時でしょう。老いては子に従えと先人は言われましたが、この親父には釈迦に説法でした。スイスは綺麗でした。それでも高所と英語が強くなければ親父並みの旅しか出来ません。最後にツェルマットでTBS(東京放送)の撮影とディレクター、現地案内の女性に会いました。衛星放送で最高のマッターホルンが見れるでしょう。(放送日時は未定とか) 確認してください。

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ユングフラウ、アイガー、メンヒからグリンデルワルドのホテルに帰る時。天気最高。

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グリンデルワルド駅前。車の規制はないが歩行者優先。ドライバーのマナーが違う。

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グリンデルワルド駅前。前の山の右奥にユングフラウがある。正面の山は違う。

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ここは登山鉄道(ユングフラウ)の乗り換え駅。正面にアイガーが見える。この山はアイガー北壁と呼ばれて多くのアルピニストの命を奪っている。

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この山を愛した小説家新田二郎の記念プレート。奥さん(藤原ていさん)がこの碑を設置。場所がなかなか分からず。でも意外に質素で日本人観光客しか知らなかった。

ここで登山電車を乗り換える。トンネル内で2回停車し1回は外の景色が見れる。多くの人が下車し君も子供連れの奥さんから進められ景色を見に行くが、親父はじっとしていた。子供と一緒。この頃からおかしい。ガイドブックで読んだ高山病らしき人は誰も居ない。

2回目の停車は対向車待ち。ここから展望台は近い。登りが下りに変わると頂上は近い。出口に全面ガラス張りのテラスが有るがそこには食堂テーブルもある。その一番外が見える椅子から立ち上がれない。歩く事は平気だが見晴らしが良すぎる。本当に申し訳ない。

君の写真で編集が済んだら見せて下さい。絶景です。でも早く帰ってねとお願いしていたから見れなかったかも。それはそれでしょうが無い。この時ばかりは立場が変わった事を痛感する。横の窓際のインド女性も身動きすらしなかった。頭上に見えるドームが天文台。スミマセン画像無しです。足もとは怖くて見れない。

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下の展望台。正面の電車で下の街(グリンデルワルト)に下る。メンヒの山裾?

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ランド、バスター橋。ベストショット。これはサンモリッからツェルマットに向かう途中。この頃からオーストラリアの夫妻と話を始める。但し親父は日本語オンリー。

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谷あいの村を抜けて山を下る。アプト式のレールの音は余り気にならない。

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心配された天気はご覧の通り。これは3日目。車窓から見える風景にもスイスの生活が有る

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これも車窓の風景。景色が停まって消えるのはカメラの性能?デジカメのPRでした。

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これがアプト式のレール。急こう配でも中のギアーがかみ合いながらスムーズに走れる。

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少しピンボケ。場所は違うがこんな景色もあり。寒さは全く感じない。

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2010年6月28日 (月)

スイスの旅 結構個人的写りこみあり 君の画像です 整理して見るとこれは良い

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チューリッヒ中央駅(ZurichHB)。空港で入国の手続きを終えるとSBB(スイス国鉄)で10分~15分。空港駅は終点では無いので行き先注意。旅の途中で君が何度も確認していた。親父が何番ホームと聞く度に日本と違うと教えられていた。日本は本当に親切、丁寧、明解。

日本の常識が外国では非常識。もたもたしていると旅は出来ない。此処でもまだ雨。それでも人々の顔に暗さが無い。日本人だけだろうか?天気の事を悪く言うのは。雨の風情が感じられない。ここで初めて固いパンを口にする。でもソーセージにはニンマリ。美味い。

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ここから本日の宿、サンモリッツ迄の快適な旅。初めてのスイス。眼は車窓の外に釘づけ。それでも言葉の心配と旅先のスケジュールに無関心の為か、何故か子供のピクニック気分。こんな親父を横目に見ながら君にも無事到着の安ど感。列車は1等空いていた。

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簡単な食事も何故か気分が高揚して空腹感は無し。スイスはまだ食事もサービスも良しと言われても首を傾げるだけ。しかし、その言葉を実感にするのに長い時間は掛らなかった。それでも例外はホテルの食事。サンモリッツはイタリアの影響が強く口に合わなかったが・・・。

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オイ。親分。役者じゃのう。この画像、何故かサングラスしてないし、腹は出ているけれど、リラックスこの上無し。旅の始まりにしては疲れが出ている。何とも言えぬ哀愁と期待感が感じられ、ナイスなショットです。(全く気付いていない)

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北海道。でっかいどう。親父の故郷の高原にもこんな景色は有るけれど、とにかく爽快。これから始まる景色に期待が膨らむ。スイスの国土は九州と大差ないのにこの広さは何だろう。

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段々、スイスらしい風景。この時の親父の風景が上の写真。ハイジの村を探していた。こんな処で生活しているとどんな気分になるのだろう?意外に大差ないのかも。それにしてもこんな風景が何処までも続いている。これがスイスと思うのは日本人の錯覚かも?

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山に掛ると霧で景色が霞む。これもなかなか撮れないスナップ。鉄路に生活道路が重なっている。驚いた事に別の路線で停車場が踏み切りと重なっていた。遮断機が下りて車が停まっても運転手は平然としていた。ここは峠道。列車はスイスイと登る。

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一転して2日目。この時親父のデジカメはまだ出て来ていない。その所為かな?元気が無い。このエキスプレスはサンモリッツからイタリア国境のティラノ迄のベル二ナ急行。雪の国境越えは壮観。2駅目で車掌からパノラマカーの予約が無いと降ろされたけれどね。

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サンモリッツの朝、起きると雪が降っていた。カメラはなくすし雪は無いだろうとしょんぼりしている親父の替わりに君が撮って呉れた。何故か外の温度は下がっていたが心は温かく、駅まで行く内に心は晴れていた。寒くは無いし景色に心が解けて居たのだろうか?

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この朝は雨が雪に替わっていたが寒くはなかった。なごり雪をスイスで見るとは思ってもみなかったが、サンモリッツは高原の街。そう納得していたらこの街の晴天日は年間平均322日とか。嘘でしょう?それとも今回の珍道中の幕開けにふさわしい天気だったのかも。この夜、タクシーの運転手がデジカメ届けて呉れたしね。まずこんな幸運は2度とは味わえないだろう。

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外は冬景色。鉄路は道路を簡単に横切る。車も日本とは全く運転マナーが違う。お互いの思いが重なり合いながら安全運転が続く。車内にも寒気は全く感じられない。

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良くは見えないが峠の国境?この時親父が分水嶺の講釈をしていた。峠を越えると息をのむ高低差が続く。高原列車の域を完全に超えている。

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車窓から見下ろすと高所恐怖症の腰が引けている。そのくせ口は達者。

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もうすぐ峠を下る。その最後にお目当てのループ橋。「また君に恋してる」CMソング。

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出ました。親分。無精ひげがまだ出始め。このひげが旅の終わりには立派になる。真剣に見ていたからこのスナップも気付いていない。頼みますよ。勝手に撮らないで下さい。でも真剣に景色見ているね。そろそろ、着くよ。お腹も減ってきたな。

残念ながらこの先の画像は動画で撮られた部分が重なり、ブログにアップできない。親分の顔が無言の圧力になったのかも。でもこんな感じで旅していたのかも。と言っても鉄路とロープウエイの旅だったけどね。これに懲りずに又来て下さいと言われていた。

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