天下の宝刀 それは手にしていない
公園通路階段の下。ここに落ち葉と水が溜まるので公園内の石を拾い集めて大きな石を玄翁で叩き割っているがその面積が増える、最初は20センチ足らずの石がもう直ぐ1メートルの幅になる。玄翁の威力は恐るべし。ここは玄翁でもっと叩いて小石にしないといけない。
小石にしてもその価値はない。そう思われている。ここも余計な事をしたと思う人もいるだろう。そんな人は気に入らない。しかしこれだけ徹底的にやられるとなす術はない。ここが完成すると公園の整備も終わり。オイラの仕事も無くなる?それは無い。その時は動けなくなっている時?あと10年はない?それはどうだろう?10年前のブログを見ると今と何も変わらない。嘘をつけ。
この水溜りは今日は消えていた。そして砂だけが残る。この水溜りを無くす事は難しい。ただ砂だけは毎日掃けば少なくなる。しかしこれも難しい。毎日ここを掃く人はいない。そんなおばちゃんが現れる事は奇跡に近い。ミラクルは起きない。ミラクルを起こせ?それも難しい。
それにしてもこの清掃は見事だな。ここを綺麗にしたのは10年前。当時より綺麗になっている。そんな(こんな)掃除は役所では出来ない。それでも彼らはそれを恥とは思わない。「余計な事をしてくれた」そうも思わない。左の残りはもっと綺麗になる事を知らない。綺麗なまちづくり。この言葉は責任者も知らない。責任者はいない。だから綺麗にしても意味は何もない?そうかな。違うだろう。そんな事も分からない。
ここは明日綺麗にする所。用水路の中から草が爆発している。この草は簡単にハサミで切れる。問題は硬い木が無いかどうか?有れば5センチ以上は切れない。2センチは切れるハサミが要る。その時は仕事が残る。そんな仕事はしない?嘘だろう?嘘です。そこ迄の宝刀は手にしていない。この感じでは木はないな。草なら何とかなる。何とかしろ?それは明日になれば分かる。
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