桜の満開の時は関西では今週末?そんな盛り上がりも関係ない
ここは公園の通路 ここは水溜りができてもその水は次の日に退いていたが大雨が降るとその水は残る。今年はまだその大雨に祟られていないが梅雨前にその事が試される。そんな事は誰も知らない。オイラが一人でコツコツと投げ捨てられている公園の大きな石を拾い集めてここの低い場所に補充しているがその石を掘り出すアホがいまだに絶えない。
誰かがいたずらでしている事は否定できないが真犯人は意外に子供の仕業?それを親は見ても止めさせない。石を穿り出して近くに並べる。それはだめですと教えられない?今日小学生が石を蹴飛ばしていて親父に怒鳴られる。それ位の事を怒鳴るな?そんな親も居る。
ここは公園のベンチの下。空き缶のポイ捨てはしばらく無いがあれば速攻で捨てる。それでもゼロにはならない。それは何故?その程度の生き方をしても何も問われない。そう思われている。今日はチラシの紙が捨てられている。これは近くのゴミ置き場に置いても無視される?
公園のセンター通路の端。ここを綺麗にする術を教えても公園清掃のシルバーのおじさんは学習出来ない。それは何故?その程度の日当も手にしていない。ここは公園の管理者はいる。しかし日本全国どこも同じ。これだけ汚れても気にならない。これから冬の間を耐えた葉っぱが役目を終えて落ちて来る。春の落ち葉。そんな事を知らない。感動を与える仕事。そんな仕事は賢くても出来ない?
これだけ綺麗に捨ても落ち葉で直ぐに汚れる。だから少しぐらい綺麗にしてもダメ?なら徹底的に綺麗にして見ろ。それもしない。落ち葉の頃は仕方がない。そう思われてきた。ところがそれは違う。汚いところを綺麗にして見ろ。汚いところが目立つ。そこを綺麗にしろ。そんな知恵はない。ここは本当に綺麗な歩道になる。それでも市のリーダー達は見向きもしない。その差は大きい事を知らない。
ここは公園の西南。ここに何故か長い花壇が歩道に置かれていた。それが撤収され歩道は広くなっても掃除をする地域のおばちゃんはいない。現代はそんな時代ではない。近くのおばちゃんに怒られる。その心配はありません。近くにおばちゃんは住んでいない。
そんな事はない事も知らない。近くに市役所がある。きれいなまちづくり。口先だけです。ここの掃除当番は居ない。それでもここは綺麗になっている。その細工をしている。そんな細工を行政も地域住民も知らない。市長も知らない。関心もない。全国どこも同じです。
久々の春の城跡公園です。名札を確認しないと花の名前が分からない。
ゆきやなぎ。九州桜島の先で車の中でお袋と歌った思い出は忘れていない。しかしあの時は季節が違っていた。
楽しみにしてきた枝垂れ桜はまだ蕾が固かった。今月末が見頃だな。
岐阜根尾村の淡墨桜を知る人は関西でも少ないが5、6年前に見に行きました。樹齢1500年を超える?見事な大木の枝を挿し木で支えていました。この桜はその実生(種)から若木を育てそれを大きくしている。この桜を初めて見たのは20以上前。それから見事に成長して本家本元の桜とは感じが若やいで見えた。しかし花は真っ白。この花も満開を過ぎるとくすんで見えるのだろうか?これも4月になれば分かる。
これは空海が初めて中国唐の都で初めて見たと伝えられているハクモクレン。白木蓮と書く。青空にその白さが際立って輝いていた。空海は平安の昔に自ら志願して国司では無く最澄とは身分も比べ物にならない程に低かった。それが中国ではその才能が高く評価される。それは知識の深さとその文章の力だった。そんな事は現在人は知らない。どうでも良い事。空海の力?真言密教の力は高野山に行かないと分からない?
これだけの素晴らしいハクモクレンは今は中国でも中々お目に掛かれない?今年の春は吉兆の予感?空海でも中国ではそんな予感はなかったに違いない、司馬遼太郎の「空海の風景」はどれだけ真実か?そんな事は誰にも分からない。しかし間違い無く空海が持ち帰った真言密教の教えはこの国の形を変えている。
問題は現在の私たちの生き方。何が大切で何をしなければいけないか?この歳になってもまだ無様な生き方をしている。街が綺麗になる?その為に何が出来るのか?流石の空海もそんな事は教えていない。四国遍路度もそんな事は教えてくれない? パンツをウンコの汁で汚しながら精々踏ん張れ。それで手にした教訓を生かせ。その事が問われている。
それはどうかな・パンツを見ればよく分かる。長くは生きられない?そんな無様な生き方はしない。それも今年の春に問われる。今週末はオイラの田舎でも「春まつり」オイラが小さい頃は4月の初めだったから10日ほど早い。70年で10日ならなんだかんだ言いながら季節変動も大した事はない?尤もその確認は地上では出来ない。歴史の残る人物でもそれは儚い夢幻。そんな春が来る。
この先の通路のベンチで手にしてきた弁当を開ける。風は冷たく無くなっていた。それでも通路を歩く人は無言。そんな時代になっている。
音の無い風景。そんな静けさは最近貴重品。近くの芝生の上でキャチバールをしている親子がいる。この親は芝生の価値を雑草の様に思っている。ブルーシートを置いて座り込んでいると思っていたらキャチボールを始める。芝生の悲鳴が聞こえない。そう思っていると小学生のチビが3人やってきてバットを振り始める。流石にそれは許さない。然りげ無くしかし厳しい言葉を投げ掛ける。ここはグラウンドでは無い。
今日もなんだかんだ言いながらここで仕事を始めたのは5時過ぎ。それではいくら何でも遅過ぎる。それでも土の捨て場さえ確保出来れば仕事は早い。あと5日。今週末はプロ野球も開幕する。ヘタレジャイアンも最初から阪神では苦しい。トラキチの笑いは止まらない。そんなシーズンが始まる。関西ではそれが当たり前。その阪神はどんな戦い方をするのか?まだ誰も知らない?
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