
ここは城跡公園前の地域のゴミ出し場。この左の網をゴミ回収が済んでも下に垂らした侭でここは汚かった。
きれいなまちづくりとは裏腹の汚い街を晒して地域住民も行政もそれを当たり前どころか無視していた。
そこをこれまで綺麗にする。それでも誰からも感謝の言葉もない。ここを今日綺麗にしていると近くを綺麗にしていた親父に無視される。
上等です。どんなに嫌な思いをされてもこれだけ綺麗になれば文句ねえだろう?ところがそんな様子は何もなかった。

これでも汚い。いずれこの網の置き方を綺麗にさせる。それが出来なければここにゴミは出さない。そんな事も行政も知らない。


春が来た。何処に来た。しかしまだそんな賑わいはない。それでも時間の問題。週末は春。それでもこの階段を嬉々としてあるける年寄りはいない。これから年寄りは多くなるがそんな元気な年寄りは少ない。その歓びがない。春はドジョッコもフナッコも夜が明けたとは思わない?
そんな事も知らない年寄りはこれから哀れな生き方も出来ない。余計なお世話。しかしそうではない事を今年は思い知らされる。そうならない生き方はこれからも忘れない。そんな春が来る。春が来ると五月の時は近い。

ここは綺麗にした処。写真ではよくわからないがイノシシに何度もボコボコに掘られている。その対策は簡単。この柔らかい土を取り去れば良い。薄くする。この土を下に伸ばす。この土の下は硬い。そこまでこの土を伸ばすには3日は掛かる。そんな事は誰もやらない。
ここが汚くても誰も見向きもしない。ここの管理者は公園管理者。しかしそんな人手も金もない指定業者。今年の春には綺麗な山桜が見れる。

ここは今日綺麗にして土を放り込める様にした処。そんな事をそんな価値は公園管理者も知らない。ここが綺麗になっても余計な事をしてくれたとも思わない。見猿、聞か猿 知ら猿。「街を綺麗に」全国で口にされている言葉もその価値を多くは知らない。三猿の教えも知らない。

これは草取りをして土の捨て場を確保しただけ。これだけでも綺麗だが土を入れて綺麗に踏み締めれば草も生えない。歩道のゴミもここに簡単に掃き込める。歩道も広くなる。ここが綺麗になってもその価値が分からない。見事に綺麗になる。それが不愉快?信じられない。

ここも枝葉を切ればもっと綺麗になるが今回はやらない。それでも綺麗になる。



ここに土手の崩れた土を入れる。見事に綺麗になる。それでも土の量が多いとイノシシの格好の「砂浴び場」となる、その微妙な土の厚さ。それが問われる。それが出来ると仙人。誰もそんな事は思わない。しかしそのすばらしさは後世に残る。残らんか?それも関係ない。

ここに土手の崩れた土が投げ込まれるのは桜の咲く頃?バタバタする事はない。誰もそんな期待はしていない。明日少し土を入れて様子を見る?明日は暇だからそれはあるかも。池田の街にも春が来る。しかし行政の取り組みは知らない。

今年の春はこの道も美人になる。それも目を見張る様な綺麗な道。ただその見方は殆ど無いだろう。それでも何とも思わない。
これは土手の崩れた瓦礫。小石が多いのでフルイにかければ綺麗の小石が確保出来る。この小石は下の公園の入口で使える。

これか公園管理者が貼り換えをした芝生。再生出来るか微妙。この時期になるともっと緑色が濃くなって良い?

5年がかりで70年前に完成した公園。と叔父の市長が戦後の失業者対策の事業の一環として完成させている。
しかしここは街中の公園。入園料タダ。管理も行き届かず荒れていた。そこを綺麗にしたらイノシシに荒らされる。
そこに石を放り込んでハンマーで大きな石は叩き割っている。いずれここはイノシシは入れないがガキに飛び廻られる。
このアホ達はその時蹴飛ばした小石を元に戻す事もできない。そしてその管理も出来ない。そんな事はさせない。

ここもまだまだ石が要る。ここは半分は土を残してイノシシも砂浴びができる様にするつもりだったが気が変わる。土は薄く延ばして石をもっと放り込む。イノシシに立ち入りを諦めさせる。それは何故?動物愛護のおバカは分からない。イノシシは分かっている。

これだけ柔かい土があればイノシシにとって格好の砂場。それをなくす。それだけの事。

ここも公園の中だからオイラが綺麗にする事はない。しかしやらんだろう。そんな事も行政の担当は知らない。

いずれここも綺麗に草取りをして土を均す(ならす)だろう。しかしそれもしばらく先だな。


椿の花が労ってくれる。それで充分。

ここは今週末にはバケツで3杯石を探して放り込む。

ここが綺麗になっても誰も見向きもしない。地域の年寄りはここまで出てくる事もない。そんな生き方をしていると本当に歩けなくなる。
そんな事も知らない。こんな素晴らしい環境整備をまちづくりをしてくれた先人に申し訳ないとも思わない?

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