静かな歳の始まり 明日は箱根駅伝 オイラの仕事は始まり それでも明日は冷やかしだな 世の中は正月気分 それも5日で終わる。その対策は何もない
綺麗になったお寺の庭。しかしこの庭は何も変わっていなかった。この池は先先代自慢の庭。銀閣寺の池のモデルになったと言われているから簡単には手は付けられない。大晦日は住職が一人でテンテコ舞いをしていた。弟子がいないと全てをやらないといけない。この住職は賢いと思っていたが若いという事はそういう事。違うだろう。一人では何もできない。(それはアンタにも言える)今年の課題だな。
社務所の窓口に誰もいなかったので勝手に中にいる。ここでも庭を見ながら抹茶が飲めるがその接待も誰もいなかった。
綺麗になった畳の上に庭のモミジ(紅葉)が落ちていた。苦笑しながら綺麗になった庭の写真を撮る。
この庭は最近ゆっくりと畳に座って見ていない。今年は青葉、若葉の頃に満々と水を湛えた池を見たい。この庭の素晴らしさはその時一段と引き立つに違いない。若い時この池をみた率直な気持ちは寂れていた。その寂がこれから蘇る?その時この綺麗な畳の上で胡座(あぐら)をかきながら何を思うのだろう。「栄枯盛衰」繁栄の時は短い?そんな繁栄は多くの人が御呼びでない。そんな講釈を語れるのかな?
京都の街は無風快晴。と言いたいがどんよりとしていた。このあと楽しみにしていた一遍上人に宝物殿でご対面。
多くの現在人は一向宗(衆)を知らないがそれも宗派の特徴に違いない。この国の最大の宗教集団は浄土宗、真宗の教え。
しかしその教えの違いも分からない。そんな事もどうでも良いと思われている。日本仏教会。
その教えも創価学会に完全に叩きのめされる。日蓮の教えは過激である。他を認めない。己が全て。
その宗教も勢いは既に失せている。人の悩み。苦しみはない世界。そんなせかいは誰も求めていない?そんな事はない事も知らない。
ここは本堂の下。ここ階段の先に宝物殿がある。住職が一人で掃除をしていたが中断している。ホウキを手に取り綺麗にしていると住職から止められる。お寺の恥?そうではなくてお参りをしてくれた人に恥をかかせている。それが分からない。多忙に意味を知らない。心を無くす。
この中は写真撮影禁止。師匠に叱られる。
この人の教えは理屈ではない。お札を配る事。弥陀の教えは言葉ではない。言葉で悟るのではなく、まずは知る事。知る事は体でその喜びを知る事。踊って踊って踊りまくれ。今の流行歌と同じ?あの訳の分からない踊りは心の叫び。そうだとしても共通する事は何もない。
このアホ達は一遍を知らない。それでも何も困らない。心の叫びはいずれ褪せる事を知らない。そんな事もどうでも良い。そんな時代は今年も変わらない?何も報われない?そんな事も知らない。一遍は全てを捨てろと説いた。そんな生き方はできない。jーpopも同じだろう。それでも親父が彼の生き方に関心を持つのはルーツが繋がっているから?それも関係ない。そんな生き方はするつもりはない。
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