関西の正月は穏やかな天気 その正月休みもあと2日 1年の計は元旦にあり 今年一年同じ事を繰り返さない
ここは今年一年しっかりと歩く道。昨年綺麗な土をバケツで20杯運んで入れているがイノシシに荒らされただけで人間様は殆ど見向きもしなかった。しかしここはこうして何度も手を加えているがその価値は誰も知らない。それは今年も続く。如何かな。ここで足腰を簡単に鍛えられる?そうは誰も思わない。そうかな?その証明も見向きもされない。それでも何も困らない。その程度の健康寿命も手にできない。
今年の初仕事はこの道の整備。途中で礼儀正しい15歳若い親父が来て長話をするが「実りのない会話」時間の無駄。それでも今年はそんな生き方が求められる。人に意見をするのではない人に感謝して自分の考えを変える。一番苦手な事。それを今年も求められる?それはやらない。
どんなに仲間を失っても人の意見には耳を貸さない?それでは去年と何も変わらないが同じ事は繰り返さない。結果が全て。結果を受け止めなければ行動は生まれない。改善のサイクルを回せ。一番嫌われた意見は今年も何も変わらない。ジジイも長くはない?このジジイは「要領が良い」と思われているがそれが賢い生き方とは誰も思わない。人に嫌われる人間でないと大した生き方はできない。しかしこれは誰も出来ない。
この踏み土の道は長くはない。30メートル足らず。しかしこの道は春になると草が生えてくる。その草を綺麗に抜いてどんなに綺麗な踏み土にしても誰も見向きもしない。上等ではありませんか。そんな道を追い求める。そしてその結果を自分で確かめる。何と素晴らしい事でありましょうや。
ここは五月山公園下の生活道路。行き交う人は意外に多いがこの道の清掃も誰もしない。落ち葉も盛りを超えたがそのかき集めも誰もしない。
落ち葉の清掃は誰かがすると思われている。これはここだけでなく全国何処でも同じ。違う事は掃除をする人が以前は居た。今はそんな年寄りはいない。ママさんもパパさんもいない。久しぶりにこの道を綺麗にする。1日では済まなかった。明日ピカピカになる。ピカピカになっても通行人は見向きもしない。そんな事も如何でもよい。それほどに綺麗になる。
この落ち葉はかき集めて塵取りで袋に入れると簡単に綺麗になる。しかしそんな労力は誰も無い。暇もない。それでも綺麗になる。
ここも右の石垣の根元から水が流れて汚い所だった。落ち葉が濡れると舞散る事はない、濡れた地面に張り付いて葉が枯れてヌルヌルになる。
その汚かった地面をデッキブラシで擦って綺麗にしている。それでも水の流れが止まっている。水の流れは絶えずしてと謳われるほどに水の流れに勢いがない。その対策も簡単だが道具がいる。水の流れを確保するタガネ。二千円。買いますか?買わない。そこまではやらない。
ここは落ち葉を一時的に置く所。一杯になる前に袋に詰めてこの中を空にしておけば歩道の汚れは簡単に綺麗に出来る。そんな知恵も無い。
この急な階段の草取りもまだ済んでいない。それでも地域住民は正月が来ても何もやらなかった?ここも明日綺麗にする。出来なければ明後日。それでこの道も暫くは眺めるだけで済ませられる。
ここはお地蔵さんの本堂の裏。ここもゴミの山だった。そのゴミも少なくなり(親父が片付けたから)?こうして落ち葉を溜められる。
来週からは仕事始め。その前に仕事は終わる。この道が綺麗になっても誰も何も関係ない。そんな事はない事も知らない。
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