池田の商店街。ここを抜けると今綺麗にしている道に突き当たり皐月山の里山の山麓を満喫できる。しかしこの素晴らしい環境は多くの人には知られていない。それは何故?行政も地域の人も池田市民もその価値を知らない。これから冬の景色に変わってもこの道は買い物も出来るしゆたかな自然を満喫出来るが近隣の地域の関心は大きくない。その関心の低さは全国何処でも同じ?地域が活性化その宣伝方法が簡単で無い。
池田の町の活性化は何も求められていない。道を綺麗にしながらその力の足らなさは思い知らされる。しかしそんな事もどうでも良い。誰が何をしているのかその(他より抜きん出る)ほとばしる力は何時吹き出す?それはどれだけの市民がそう思うかだろう。それは何も無い。
この先は商店街も途切れる。この突き当たりは酒蔵があるが一般には公開されていない。その必要も無い。?
この階段は段差が大きいので足が(ヒダが)軽く上がらないと上がれない。ここは5、6年前でもウントコショ、ドッコイショ言いながらなんとか歩いていたが今はこの階段は全く利用しない。この上には公園があるが静けさを求めるならそこを通り抜けて山に入らないといけない。
今年はそんな歩き方は全くしなかった。この下の生活道路の上を綺麗にした。それは見事に綺麗になるがオイラの仕事ではなかった・
もうすぐその道は日本一の綺麗な歩道になるがそんな事は誰も知らない。求めていない。今日、諦めていたカメラが警察に届けられていたが警察の対応はフレンドリーではなかった。物の確認の前に事務処理を2枚書かされる。完全な事務処理優先。そこでブチ切れる。オイオイ。
書類を書かされて物が違っていたらどげんする。ところがそんな怒りは無用だった。親父はそう思っていたが警察の担当は物が親父のものである事を確信していた。特徴を電話で詳しく説明していたので書類の提出だけだった。それを言わないから怒られる。(怒鳴られる)
手続きが終わればカメラは無事戻る。確認するが電源を切られていたのでカメラは起動しない。その事が分からなかった。それを聞くと無視される。またでかい声を出す。難儀やのう。電源がオフになっていた。それ位の事が分からない。受付でクレームをつけると別室。そこで優しい係長に警察のお粗末な対応を捲し立てる。その時気付かなかったが相手はお見通しだった。一度話をして意気投合している。
その事に気付けば喋る事は関係ない事だった。昼休みの時間ゴメンなさい。またお力を貸してください。(もう行かないだろう)
弁当を買いに駅前に戻る途中に市役所前の公園に立ち寄る。ゴミを拾う。通路の砂埃と落ち葉を掃く。
ここは何処?市役所前の「駅前公園」ここは期待された公園だったが半世紀前の面影はない。すっかりあれ果てて草だらけの公園を全て掘り起こして綺麗にしても誰も見向きもしない。犬の散歩のオッさん、オバハン、ねえちゃん達も無表情。ここを綺麗にした時「余計な事をすな」と息巻いていた親父達はどうしているのだろう。まちがいなくここが綺麗になっても関係ないととボケているのだろう。
カメラが警察から出て来て最初の写真?そうではない。今日ここは綺麗にする所だった。予定は未定。明日になる。
この階段の落ち葉も明日になる。それでも今日はすばらしい出会いがある。
このお地蔵さんの中は昨日であった親父が宣言通り綺麗にしていた。その親父のお陰でこの前写真に撮れなかったお地蔵さんの横顔をフラッシュ撮影。しかしお地蔵さんは何故か黒く焼けていた。これからの人の生き方は誰もが幸せにはなれない。その事を教えてくれていた。
これから昨日出会った親父とこのお堂の廻りを綺麗にします。本当はお顔を綺麗にしないといけないがそれは出来ない?それは聞かないと分からない。
ここも右の石垣の隙間から水が染み出しているがここも落ち葉を綺麗にデッキブラシで擦れば綺麗になる。親父さんと勝負だな。勝つ。
ここは公園内の桜のロウボク。この木の根下の土を掘り起こして根元の小石を描き出して綺麗にすると完全な嫌味になる。
そんな事は誰もしない。この公園の管理の仕方はこの程度でも勝手な事はすなと言われる。そんな話は聞く耳を持たない。ここが綺麗になるのは来年の花見の前だな。来年の事は言うな?その程度の話しか出来ない。見てろ。
この後素晴らしい出会いが待っていた。カメラが買わずに済んだので昼飯は奮発。598。迷う事はなかった。
まだこれだけの紅葉が見れる?これは完全にカメラのトリック。流石に今年の紅葉はこの公園では終わり。箕面の遅い紅葉も流石に終了?
箕面の人は仕事を探していた。これから歳の瀬を控えて何処も忙しくなる。ただその忙しさを幸いに出来る人は少ない。
今日は冬至。これから厳しい寒さが間ち構えている?それも必然。しかしその厳しい環境を乗り超えていく体力。気力。そして時の運。
ジジイ達の未来は限られていても若者達の未来は計りしれない?それも嘘。そうでない人が大半。その渦の中で逆らう事は何もない。
人魚の様に困難に戯れる(たわむれる)そんな生き方が出来なかった食いは何もない。あるがままに生きる。そんな人が最高の生き方に違いないのかもしれない。送る言葉。「一陽来復」この言葉の意味は多くの人は知らない。辞書を引いて見るとおもしろい。
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