今日は緑の日 明日は子供の日 明後日は振替休日 そして関係ない大型連休も終わる 年金生活者の生活を豊かにする方法 そんな事は誰も教えてくれない
ここは綺麗にしている市役所前の公園の角。近くにこのワンカップを売っているコンビニがある。その距離は100メートル足らず。
ここに空いたガラスのカップを捨てるまで大した時間は掛かっていない。これだけの勢いで酒が飲めてもこの親父長くは生きられない。
そう考えて見ると「哀れ」を感じるがこのグラスを10杯以上親父に片付けてもらっている事をこのアル中は知らない。
手が震えて酒が飲めなくなる程度ではない。後どれくらいここにこうしておけると思っているのか?それも知らない。知る訳がない。
これが皐月。サツキとツツジの違いは同じ様で全く違う。そんな事もどうでも良い。この公園のベンチにオババが座ってラーメンを食いながら笑っている。その近くで通路の落ち葉を掃く。そんな事もこのオババ達はしない。する訳が無い。バカ笑いが関の山。お呼びの時も遠くない。
ここは公園のゴミを纏めて処分する所。立派な鍵がかけられているがその中が汚れていたので片付ける。(当然親父ではない)
ここは藤棚の公園 藤の花は既にこの地面落ちてこれだけ溜まっても放置されたまま。公園管理者がブロアーで吹き飛ばして掻き取れば1時間も掛からないがそんな仕事はやらない。親父がホウキで掃いて綺麗にしている。どう言う事?そう言う事。完全にコケにされている。
それでもあれ果てていた公園もすっかり綺麗になる。それで充分です。「緑の日」とはその程度の事でしょう。
公園の緑も爆発していました。半袖でも汗ばむ季節 八十八夜をを過ぎるとお茶積みの季節になりお袋が送ってくれた手揉みのお茶の香りを思い出す。美味しいお茶を買って羊羹をほお張る時も近い。唐招提寺の鑑真忌は6月の初め。今年は行けるのかな。それは微妙だな。
紅葉の葉っぱの咲が赤くなっている。しかしこれは秋の紅葉の予兆ではない。秋の紅葉は夏の強烈は日差しと紫外線を浴びても枯れないで秋の冷えこみに耐えないと見事な紅葉にはお目にかかれない。近年は夏の猛暑で緑の葉先は完全に枯れてしまい秋の紅葉もイマイチ。今年はどうだろう?
おっかあと最後に見た新緑の頃はヒノキの花粉が風に巻き上げられていた。二人ともそれでも何も言わないで秋の紅葉を楽しみにしていた。
その紅葉は一人になって見る気にはならなかった。あれから30年近くの年は流れても何も変わらない。変わった事と言えば「見方」が全く変わっている。それでも考え方は何も変わっていない。いずれ惨めな想いをしながら涙を流す?それは無い。自業自得?そうとも思わない。
淡々としている。どんなに感情を剥き出しにしても変わらない事が多い。その程度の事と自分に言い聞かせれば怒りは泡と消える。
六甲山。阪神が巨人に2連敗。それでも首位。明日は勝だろうが負けてもまだゲーム差無しのトップ。今年は連勝を重ねたチームが優勝する。
綺麗になっている公園。明日も手を加えるのでもっと綺麗になる。綺麗にしてもすぐ汚される。それでもイノシシは大人しくしている。
いずれボコボコにされても畜生はまだ救いがある。救いがないのは人間の悪戯。嫌がらせ。これは許せない。それでも何度もやり直せば良い。
それが元気の源かもしれない。身体はボコボコになって最近はうんこも元気がない。空砲ばかりで実弾が出てこない。それでも腸まで届くヨーグルトを口にしているが効果は小さい。歳を取ると言う事はそう言う事。そう思えばありがたい事です。空砲でも80のじじいではない。
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