今日はどんよりとした天気 それでも雨の心配はない 歩道を綺麗にどれだけ出来るかな 誰も見向きもしない それも関係無い
藤棚の藤もすっかりなつげしきです。これでも樹齢30年前後。詳しい事は表示されていない。そんな管理もされていない。
ただこの生命力にも驚かされる。多くの人は知らないが多くの人はこの木のすばらしさを知る事はない。親父も同じ。
この木が本当にそのすばらしさを見せつけてくれるのは100年後?もっと先かもしれない。その時この街はどう変わっているのだろう?
そんな事は誰も知らない。大阪の街は来年は万博の年。どんな景色を見せてくれるのだろう?そんな事も知らない、
反年後にはこのカエデも見事に紅葉する。その時この木の下でブルーシートを敷いて弁当を頬張る。
そんなファミリーはどれだけいるのだろう?この木の下はゴミ溜めになっていたがやっと綺麗になる。
綺麗な土も掘り返した土を放り込んでいただけでは腐っていた。その土を掻き出して広げる。強烈は夏の日差しは未だだか土は一気に乾く。
ミミズが体をくねらせながら突然の出来事に対応が出来ずに湿った土の中にもぐり込んでいた。何かを綺麗にするという事はそういう事?
この切り倒された木の名前は知らない。しかしこの木は朽ちてもこれから役に立つ。未だ下の土の高さが石を放り込んでいるだけだがここに30センチぐらい土を入れるとこの木の窪みに腰を下ろして辺を(あたり)見廻す事が出来る。秋には本が読める。そんな環境が出来上がる。
この奥にも足を踏み入れるられる様に道を綺麗にしたがこの奥は崖で急になる。そこに道を整備しても感謝される事は何もない。そんな無駄な事をするおバカではない。ただ池田のまちづくりはそんな自然をどう活かせるかに掛かっているがそんな若物達は育っていない。
ここもいつでも綺麗な野辺の道に出来る。しかしここを綺麗にしてもこの先は藪。マムシの縄張り。人間様がまかり越す所ではない。
最近足腰がすっかり弱っているがこの道なき道を草を払いながら歩く事はできる。しかしそんな事は何の自慢にもならない。
ここを今年の夏に快適な道にする事は簡単だがそんな事はしない。ここは自然のままで良い。そんな事を言う人もいるが彼らはこの公園の整備は何もしていない。その程度の事。今年の夏も暑いに違いないがここにくれば涼しい風が吹き抜ける?それもないか?それでも暑い暑いと顔を顰める事はない。
ここで暑ければ宝塚の先の武田尾を歩けば良い。武田尾で暑ければどうする。奥飛騨慕情だな。それでも暑ければ?自分で考えろ。
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