金融緩和は変えられなくても株価は上がる バブル崩壊の教訓は何も生かされない 経済界のリーダー達はそれでも舌を出して笑っている?
一時は良くなったと思っていたが久しぶりのこの場所のゴミの出し方を見ると何も変わっていない。今、川口市の酷いゴミ出しの有様をネットで見て色々関係者の話を聞いているがこのまちは人口60万弱。我が町は10万強。住民の数では比べ物のにならないがゴミ出しの酷さも比べものにならない。ネットで検索してみるとゴミ出しの情報は意外に少ない。それでも川口の酷さは問題にはならない。
このアパートを覗くとなんと自転車まで持ち込まれている。このアパートの管理は如何なっているのかまったく分からなかったが行政はまったく指導が出来ない?ゴミの出し方の指導が住民で出来なければ家主の責任である事も確認出来ていない?それは分からない。このブログは我が町のごみ収集の責任者(管理者)は見てくれているがそれでもこのあり様。その原因は単純明格です。この恥晒しは全国共通?それが変わる。
ここはゴミ出し場がない。誰も決めていなければの住民の(アパート入居者の)ゴミはどこに出すの?自転車はどこに置くの?そんなまちづくりも出来ていない。責任者は誰?そんな事は問題にはならない。地域の事は地域で解決する?嘘をつけ。この管理が改善するのは何時?
見事に完成した、そして誰にも見向き人もされない土の道。柔かいフカフカの道は見事にイノシシの「砂浴び場」となる。
その後、土を掘り起こして大きなコンクリートの塊と大きな石を投げ込んで、その上に土を被せてようやく完成したが誰も声を掛けてくれる人はいなかった。これは本当に想定外だった。この汗を流して腰の痛みにも耐えて完成した「踏み土」は多くの人はその価値が分からない。
これからこの町でも多くの人が1キロ。楽々とは歩けない。親父の様に7、6キロは何とか歩けてもその価値は認識出来ない。
それでも如何でも置い。その価値が分からない人にこの道をどんなに宣伝しても無視されるだけ。ならばその価値が分かる人に歩いて貰えば良い。そんな人もいない。それも如何でも良い。この道をしっかり歩いて右の柵に片足をあげて背筋とふくらはぎのヒラメ筋?を伸ばす。それで間違いなく10年健康で生きられる?それは行動が共なわないと実現しない。今月末の評価が楽しみだね。
この柵の内側を快適にあるける人は信じられない事にこの町の高齢者でどれだけ居るのだろう?そんな事は如何でも良い?
そうではない事を多くの人は知らない。これから全国どこでも元気な年よりは少なくなる。これから地方の時代になると言われて久しい。
豊かな自然の中でうまい空気を吸いながらうまい物を食いながら人生の最後を楽しむ?そんな人は都会では限られる。
多くの人が介護施設で人の力を借りないと生きて行けない。そんな生き方にどれだけの価値があるのだろう?
親父もいずれくたばる。その日の為にこれからどれだけ満足の行く日々が送れるか?その為のリトマス試験紙を手にしないといけない。
明日久しぶりに血液検査の結果を掛かりつけの内科医に宣言される。「血液の通信簿」空腹時血糖値の高さが問題になる?
今、歯の治療でグラグラになっている歯を抜かないといけないがその数値次第で歯が抜けない?そんなバカな事があるか。あるんです。
そんな歳になりました。しかし間違いなくそんな数値は自覚症状が無い。それでもそんな事は何も自慢は出来ない。
明日伝えられる数値は全く気にしていない、数値が悪くて歯が抜けない?そうだとしたら淡々と受け入れるしか無い。それだけの事。
生きるという事はそういう事だろう。そういう食事が又求められる?公園の踏み土はこれから見事に完成する。毎日歩け。毎日自己流の太極拳をやれ、そして池田の主になれ。無理だな。そんなセコイ事は考えていない。30歳若返る体力づくりに挑戦する。
ここは今日綺麗にしたゴミ捨て場。ここが草むらで藪だった頃は信じられない。公園管理車も市役所の誰も地域住民も誰も知らない。
ここに今綺麗にしている城後公園前の自販機の周りに捨てられるゴミをヒラって持ち込んでいる。そんな事も誰も知らない。
ここにそんなゴミを捨ててカラスにその袋を突き破られてしまって事がある。ゴミ捨て場も綺麗にして置かないとバカがマネをする。
イノシシは今は大人しくして親父が綺麗にしている「踏み土」は荒らさないがいずれイタズラされる。それはイノシシにとって心地良いから。
それを無くせば良い。その為には柔かい気持ちの良い砂を掘り出してこの石を放り込む。しかしその上を歩く人にはそれを全く感じさせない。
それがプロの仕事。そんな仕事は昔の人でもしていない。親父の仕事は未来の誰が目にするのだろう?そんな現在人はいない?
ここは記念碑の南側の空き地。ここは藪でゴミ捨て場になっていた。何故か太い雑木は無かったのでここまで綺麗にする事が出来た。
それでもここはまだゴミ捨て場。瓦礫の置き場。そこも土を掘り起こせば綺麗になる。硬い土を掘り起こすには道具が要る。
バカタレにその道具を地位最竹の熊手と共に盗まれる。このバカは何一つこの整地はしていない。いずれ天罰を受ける。その程度の事がわからない。
春になればこの正面の大きな石に座り声を出して本が読める。この石の上に座り「瞑目合掌」が出来る。その時この地域の人達は何を語るのだろう?そんな事は如何でも良い。この国の多くの事が問われても何も変わらない?そう思われている。しかしそろそろこの国の政治も経済も人々の暮らし向きも変わる。何も変わらないと言われて久しいが過去に学べない生き方は間違いなく終了です。
| 固定リンク
« 今年の本格的な仕事が始まる そんな人は誰もいない 同じパターンを繰り返す それ以下?それも誰も分からない | トップページ | 若さとは?老いるとは?そんな事は誰も教えてくれない 血液検査で思い知らされた事 »
コメント