久しぶりの開放感 しかし何も変わらない
公園のお片づけはこれで区切りは付いたが止めそうにない。ここで止めなければ春まで続く。この寒い時期はお友達もやって来ないが親父の勢いは止まらない。ここを綺麗にしても誰も興味を示さない事がわかっても綺麗にする気持ちが変わらないのは何故?それはこの写真を見ればよく分かる。間違いなくここで「健康体操と年寄りの健康法」を体得するに違いない。間違いなく60台の心と体を手にするまで止めないに違いない。
藪の中に埋もれて陽の目を長い間目にする事がなかった「水仙」も今年は昨年の勢いが無い。それもこれだけ野性の侭だと当然に違いない。
この崖の上はまだ登り口を整備していないので上には上がれない。今年の花は後どれ位目を楽しませてくれるのかな?今年は香りも弱い。
足踏みの道もまだ完璧には整備されていないがイノシシに荒らされていない。その時がいつ来るか心待ちにしているが敵も去る者。親父の思惑には答えてはくれない。それも時間の問題。暖かくなれば必ず出て来るに違いない。それを数回繰り返せばこの土の下は石だらけの「道」になる。一見して心地の良い道は舗装をしないといけない。そんな道はとても歩けない。年寄りが嬉々として歩ける道はまだ遠い?
今日も寒かったがこの寒さも明日は一段落。世の中は何も変わらない様で刻々と変化をしている。今年は80の年を重ねるが体力だけでなく知力も落ちる。その補いは本を読むしか無い。本を読まないで多くの事を口にしてもそんな物は知力でも見識でも何でも無い。その事を思い知らされるに違いない。反対の口先だけの言葉も同じに違いない。生きると言う事は簡単ではない。
明日はここを綺麗にする。この木の根はスコップの先で叩き切っているがこの枝はしぶとい。簡単に切れない。スコップで切れない時はちょっ系1センチは切れるハサミが必要だがそのハサミは今は手にしていない。百均では5ミリが関の山。どうする親父。勢いに任せてスコップの先で叩き切る。今日はその元気が無かった。80のジジイは無理はしない。作戦を変えれば簡単に切れる。それがプロです。
この先は今の所綺麗にする予定は無い。しかし間違いなく春には綺麗になるに。そこまでやるつもりはなかったが左の大きな木の株を残せばこの作業は簡単に出来る。問題はその木になるかその価値を感じるか?そうではなく問題は気分次第。その程度の気持ちしか持ち合わせていない。それでもこれだけの仕事の成果は間違いなく後世に残る。それで充分です。
この先は通路では無い。上から水が流れ落ちる用水路。その水が大雨の時に溢れる。その溢れた水がこの場所をボコボコにしていたがこの右側のガレキを左に寄せればその心配もなくなる。そして綺麗になる。1石2鳥。綺麗な広場になる。そこまでやるか?やりそうです。
ここに移植した水仙は今年は花を咲かせなかった。それでも枯れてはいない。花が咲くのは来年。見れるかな?
| 固定リンク
コメント