床屋で顔剃りをしてサッパリとして電動自転車でVターンをしてでんぐり返る。それでも自転車のプラスチックの前籠が全てに衝撃を受け止め数カ所折れただけ。 親父は商売道具(スコップと短い鉄の熊手)を入れたリュクが受け身の衝撃を吸収。それでも右の腰は痛い。それだけ。スゲエナー。今時病院のベッドで呻いていても不思議ではない。
無様な歩道。電柱の地中化工事はいつの事やら。左は国道。この歩道は平らでなく車道側にガードレールは一部しかなくここの様に自転車でスイスイト通れない場所も少なくない。この歩道の有様は半世紀前と何も変わらない。ここは殆ど自転車では通らない。そんなまちづくりしかできなくてもこの街の誇りは何も変わらない。危険な歩道。自転車でヨロケたら1巻の終わりです。元気やのう。それも長くはない。
公園の綺麗にした歩道も地域住民には評価をされずに知られていない。知っているのは夜に山から降りてくるいのしし。
よう役ここまで綺麗にしても土が多い柔らかい所を探り当てて一気に体を擦りつける。こうしてみると全く分からないがこの地面の下は土を掘って大きな石を放り込んでいる。それでも表面はこうして土で均しているのでイノシシとの知恵比べ。しばらくは荒らされてそこの地面を深く掘って掘り出している石を投げ込む。それでも足りない時はガラス片をばら撒く。そうするとお馬鹿な人間に警察に通報される?まさか?
そんな心配は御無用です。イノシシとの知恵比べはもっと平和的な方法で対応出来る。そんな方法も傍観者は分からない。
この藤棚の鉄の角パイプにロープを垂らして足元の木の台を蹴っ飛ばせば簡単に命を断つ事が出来る。生きる事に失望してもそんな必要は全く無い。「希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる」これはアメリカの詩人サミュエルソンの言葉ですが。ここでこの厳しい寒さの中で春を待っているこの藤木を見ていると本当に愛おしく思える。人は何の為に生きそして何の為に死んでいくのか。それは自分で決める権限は誰にもない。この枯れた藤だなの蔓は全国各地で見る事が出来る。その事を知らないだけ。この四角のパイブに来年は嬉々としてブラ下がりたい。
それだけの腕と肩の筋力はゼロ。ゼロからの充電は携帯でもなくなっている。ジジイの筋肉はこのパイプにブラ下がるだけで付いてくる?
ホンマかいな。それは来年証明出来る?このパイプの上に頭を突き出せたら怖い者は何もなくなる。すげえな。やめなさい。腰が痛い。
この庭も本当に綺麗になる。この左の縁石の境目もイノシシの格好の「砂アビ場」にされたがここも掘り返して大きなコンクリートの塊を投げ込んでいる。この猪がどんなに立派な体格をしていても動かせない?甘い香りがする?訳が無い。簡単に掘り起こされる?それも楽しみだな。
ここは来年暖かくなって綺麗にする所。この瓦礫はその時迄に多くは枯れる。この手前の柔らかい土を大きく掘り起こしてその土を手前に掻き出してそこに入れて周りの瓦礫も投げ込む。そうして土を埋め戻しても誰も注目はしない。見事に綺麗になる。それだけで充分です。
この柿は味見をしていないが渋ガキ?カラスにも見向きもされないで年を超える。それでもこれも自然の成り行き。
ここは今月の初めに土を盛り上げて綺麗にした所。これで暖かい春まで静かに時を過ごす事が出来る。ここは立ち入り禁止だが検証費と子供は無言でも親は口をとんがらせる。「誰が決めたの?」誰も決めていないがここは通路では無い。そう教えてもおバカは分からない。
ここは半月前ぐらいに綺麗にした公園の法面(のり面)イノシシの運動場。公園管理者は何も綺麗にしない。ここは公園の広さは比べ物にならない程に広くて傾斜がある。そこを綺麗にするにはこのガレキを掬い取ってイノシシが暴れても問題ない場所に移さないといけない。
それが出来たらその奥に穴を掘る。それで問題解決。しかしこの作業は簡単には終わらない。それでも親父の仕事に妥協は無い。それがプロの仕事だとは公園管理者も分からない。そんな仕事を誰も知らない?そげん事はなかろう?政治改革と同じだな。見てろ。何も変わらない。変えて見せる。アホやのう。
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