「秋の日は釣瓶落とし」釣瓶(つるべ)と言われても知らない若者達が多くなっている 明日はハロウイン?と言われてもジジババは知らない?それも違う
この市役所前の公園は正式名称は駅前公園。ここは「都市公園」とも言われるがそんな名前は知らない子育てのママ達も少なくない。この通路は雨が降るとぬかるんでいたが一度綺麗に掘り起こして水ハケをよくしているので半日で水溜りは消える。
これでも大雨の時に水たまりをなくすにはまだ足りない。この砂利の上を歩けば靴を汚さずに歩ける様にこの砂利道を整備したが、その小石が蹴っ飛ばされる。子供に中に投げ込まれる。そこを昨日綺麗に熊手で掃除したがその熊手と小さいクワを五月山山麓の公園で盗まれる。
最低の野郎も健在デス。見てろ。公園の掃除道具も何度も買ったがその多くは無くなる。捨てられる?隠される?持ち帰られる?どんな理由か知らないがいずれ罰が降る。そんな事はどうでも良いのだろう?軍手と飲み物は差し入れられたことがあるが掃除道具は一度もない。そんな仕事ももうすぐ終わる。その教訓は何一つ楽しいものでは無かった。そんな生き方は誰一人していない。他人事だと思っている。
街を綺麗にする事は難しい事ではないが誰がやるのか誰も知らない。行政はそんな事はないと思っていたがそうでは無かった。
葉っぱは風に吹き飛ばされて赤い実が今年も優しく迎えてくれる。しかしこの坂の下の交差点で左からの一方通行の車を確認して渡りかけた横断歩道で、直前を右の坂から降りてきた親父の自転車に擦り抜けられる。電動自転車だからペタルを踏めばスイと出るので親父が止まらなければ完全に横から当てられていた。
当然親父から怒鳴り付けられる。「ばかやろう」アホンダレ。それでもオッサンは頭も下げず通り抜け降り向きもしなかった。あの時倒れていればこの赤い実を見る事もなかった。危険予知ではなく咄嗟の安全確保。それがこれから出来なくなる。その認識も問われる。それでも禍福は神のみど知る?それも違う。一瞬の判断はその多くが「咄嗟」それが多くは知らない。危機管理の法則。そんな生き方は誰もしていない。
山麓の公園、記念碑の短い階段のあれタバ所も掘り出した土が一杯あるので必要な土に困る事はない。
この1本のカエデの気は作年はこんなにくたびれていなかったが。幹の周りをアリに巣を創られて(つくられて)その樹皮を親父に剥がされた左が痛々しい。アリは巣を壊されて混乱していたがどっこい生きている。この大木の生命力はまだまだ強いがそれも5年?親父と生きる体力の勝負になる?そんな事も今年の秋の実物?そんな事は誰も知らない。間違いなく生きるとは何かを知らない。知ろうともしない?それは無い。
ここもすっかり綺麗になっている。ここも草むらでした。奥の大きな石を発見した時は感道でしたがこの石の上で妄想をする喜びはまだ実感していない。この石の上にあぐらを描く事はできなくても腰を掛けて「瞑想」は出来る。この石の上でどんなに瞑想を重ねても何も変わらない?
明日も晴天です。暖かい秋が続いているが「秋の日は釣瓶落とし」そう言われても分からない?最近は井戸に釣瓶(木の桶)を落とす水汲みも見られないがこの夕焼けは何も変わらない。そんな事も知らない。日銀の政策決定会合が行われても金融引きしめ(日銀の貸出金利)は据え置き_その意味が分からなくても物価の値上がりには耐えられない?政府もこれだけ追い詰められても何も変えられない。
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