春が来る 明るい春の兆しの中で陽炎が揺れる?まだそれだけの暖かさはない。
ようやく春の暖かさ。正面左の石のベンチで本を読んでいる女性がいたので声を掛けようと思う間もなく居なくなる。ここも綺麗になったが誰のお陰か知る由もない。そげん事もどうでも良い。我は我。関わりの無い事。ただ一人では何も出来ないことすらも多くは知らない。
明日も暖かい天気でここももっと綺麗になるが明日は出来ない。此の儘でしばらくは手が廻らない。ここをいくら綺麗にしても何も変わらない。そんな事もどうでも良い。誰も見向きもしない事を黙々とやり切る事が本当の自己研鑽?そんな思いは全く無い。それで上等です。これからの自分を変えるにはそれでは駄目?そうでは無い事を証明すれば良い。簡単では無い。腰の痛みは長びいている。それでも寝れるのは何ともありがたい。
明日は晴天が続くのでこれで充分土は乾き落ち葉は枯れる。明後日はそして又、雨。関西の春はこうして幕を開ける。
世の中は何も変わらぬ様でしっかりと変わっている。世の中は気が付いた時には大きく変わっている。知らないという事はそういう事?自分の体もそうである事を知らない人が殆どに違いない。そう思い知らされるのは棺桶に入ってから?そんな事も多くは知らない。
ただそれは誰も知らない。その事を知れば季節の変わり目も全ては空では無く海でも無い。空海は一人でその事を自分の行動で会得した天才と言われているがこれからその事を思い知らされる事はない。それだけあんたも多くの事を体験している。問題はその生き方。
今 年の春はそんな春の予感がする。「春の海。ひねもすのたり、のたりかな。」蕪村。ひねもすとは?のたりとは?何となくのんびりと過ごす?意味は全く違う事をこの名句は語っている?ホンマかいな。嘘です。ひねもすとは終日。のたりのたりとはゆるやかにのんびりと動く様。
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