春のような陽気 大阪南港 これでフェリーに乗れれば心は春?一人ではダメだな コラボ?意味がわからん 歩き疲れて腰が痛い
一緒に行こな?誰と?そのイベントは2年後と51日。始めてその完成予想図のパネルを拝見したがこの景色を関西人の多くは知らない。2年と2ヶ月足らずの事だからそれで上等?そんな事も思われていない。この場所も知らない人も空くなく無い。その場所を近くの展望台から眺めて来ました。それが次の写真です。
展望台のガラス越しではよく分からなかったので大阪府、大阪市の出先機関を訪ねるが何もわからなかった。公益社会法人2025日本国際博覧会協会を紹介される。それでも突撃取材だったので不審者扱い?をされて親父の怒りを買う。役所は組織が大きくなるとこんなもの?
親父に怒られて対応してくれたI氏は手稲位に対応してくれた。しかし一番聞きたかった多くの入場者の「道路、鉄路、海路」のアクセス対応はまだ最終的に決まっていなかった。(担当外だった)これから最終的な詰をして概略が決まるのは1年先?そんな感じだった。
これから何度かI氏に教えて貰っても出かける気持ちにはならない。まちがいなくそんな万博にはならない。「いのち輝く未来社会のデザイン」それは税金をドブに捨てるようはイベントをしなくても実現出来る。その程度の事を「大阪維新の政治家」達は分からない?
今、取材している大阪市内の電柱の地中化工事。その状態を地域住民は何も知らない。電柱を地中化して歩道が広くなっても何の価値も生み出せないまちづくり。大阪市民、福島、此花区民の意識を変える?そんな事ができる訳が無い。そう思われている?それは無い。
このフェリーは故郷の大分、別府に綱がる。故郷からここに一人で帰って来た時は昔昔の話。子供達がまだ中学、高校の時だった。あの頃はおっかあも元気だった。最後にこの港に車で帰って来た時も。しかしその時は一人だった。大阪大学の息子はマスターに進んでいたが親父は歓迎されずに一人琵琶湖の宿に向かう。その宿も満員で夜の名神を飛ばして静岡掛川の家に戻る。しかしそんな事は今は如何でも良い話。
今日はこの展望台に登る。しかしここは大阪湾を一望出来るが親父は高所恐怖症。エレベーターで登る時、外の景色は見れずにうちの壁際に張り付いていた。この景色は展望台の喫茶コーナーで高さに慣れて写した大阪の埋め立て地。間違いなく大地震が起きれば甚大な被害を受ける。
天保山の回遊館(ジンベエサメのいる水族館)と大観覧車が小さく見える。もうすぐ暖かい春がやって来る。しかしその春が全ての人が手に出来る訳では無い。おっかあが余命半年と聞かされた春は悲しい春だった。今でも春は悲しい。しかしソロソロ立ち上がれ。そうでないとおっかあに合わせる顔が無い。今年の春は全てが終わる。泉谷しげるの「春夏秋冬」ユウーチューブで聞けるかな?
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