2023年1月
2023年1月31日 (火)
2023年1月30日 (月)
此花区 街づくり推進 区役所の担当係長に挨拶 詳しい活動はまだよく分からない 自分の足で歩いてみればよく分かる 事実は誰も知らない?
大阪市此花区。上は淀川。下は安治川。右に淀川からの水を取り込み洪水時には安治川の水を淀川に流す水門があるが、殆どがその役目を終えている。その証明は誰も出来ない。この写真の右から左にこの水門から取りこまれていた正蓮寺川の川は、右端の所で埋め立てられこの地域の雨水は地下を流れている。
当然淀川から取り込まれた水も大幅に減少しているが流れている。詳しくはいずれ水門を管理している役所(水資源管理)に改めて教えてもらう。(一度丁寧な説明を聞いている)写真ではよく分からないが右中段から下に流れている川は六軒家川。
この川の堤防補強工事をおこなっているが何でこの川も埋め立てない。そんな事は誰も知らない。知っているのは役所の関係者とこの川に出入りしている漁業関係者?違うのかもしれない。それは歩いてみれば良く分かる。しかし今回は目的が違うから深く走る事は出来ない。
この写真は此花区役所一階ロビーの写真。この地図を見せられてもこの地域の事は何も分からない人は多い。そんな事はどうでも良い、ところが今、全国でどれだけの地域保全と地域住民のお金が使われて国の国債(債務)はどれだけになっているのか殆ど知らない。
そんな事は何も問題はない。その国の借金は先送りにすれば何も問題ない。日本だけでは無い。アメリカは日本より多い債務を抱えているが何も問題ない。そう言い切るこの国のリーダー達。大阪の威勢の良いオバちゃん達はそんな事は何も分からない。おっちゃんもジイちゃん、バアちゃん、お兄ちゃんお姉ちゃんも現役世代も同じ?そんな話は経済界のリーダー達も関係ないと思っている。関係ないか?
その解説も不毛の論議に終わる?それはこれから福島区、此花区、野田公営所で学習する。北港道路の電柱地中化工事。このインフラ整備の大事行は意外に進んでいた。しかしせっかく綺麗になった歩道はその事を台無しにしていた。地域住民はどう考えているのだろう。
歩道は個人の家の前でもこんな私物は置けない。行政の指導も公営所(土木事務所)の強制指導もない。そんな街づくりは出来ないことも知らない?これは簡単な事ではない。どうして歩道の隅(車道側)このキャスターを縦向きに1列で並べられないのだろう?そんな特例は認められない。ならばここには置けない事を通告して綺麗にも出来ない。区長はそれでは席人が取らされる。そんな区民はいない?これも春には語るに落ちない?その程度の仕事で許される?訳が無い。
まだ腰は痛い しかし歩く事に支障はなくなる 大阪福島区、此花区の電柱の地中化工事の実態が段々分かってくる そんな広報はどうでも良い?地域住民、役所(区役所。大阪市の担当部所)はそんな仕事をしている?このインフラ整備に使われる(使われた)金額の総額は誰も知らない?半端な金では無い。
昨日に続いて大阪菅城線西九条駅。この電車は今は大阪駅には停まらない。(停まれない)その理由を相当賢い人でも知らない。この駅のホームに入るこの特急電車はこの先(この手前)で環状線から離れる。環状線は大阪市内。この特急は今その路線を大阪駅北ヤードに引き込んで工事を進めている。その完成がもうすぐ。そんな事もどうでも良いか?そうでは無い路線の変更には関係ない?そんな人も結構多い。
ここは駅前。この管板は他の管板と違って嘘、偽りではなかった。ただ残年ながら「私たち」は誰かが明示されていない。ここは本当に他の地域と同様で歩道は汚く放置自転車はアチコチに見受けられた。それが無い。(実はそうではなかったが)その写真もお見せするが放置自転車をなくすモデル塗装で無いモデルが明暗見せつけられたが明日その現実が区役所の監督者は教えてくれるのだろうか?
これだけ綺麗に管理してもこの手のおバカはいる。この対策は定期的にこの地域の見回りを監視のオジさんが必要。そのオジさんに区長以上の厳しい権限が必要。「放置したら即指定の場所に移動する」そこで3日間は置いておくがそれ以上は保管場所に移動してその引取りの費用を請求する。そんな対策は大阪市内一部を除いてほとんど行われない。どうして?怒られるから。放置自転車は違法です。その程度の事が分からない。この場所が此花区とは知らなかった。これが解決出来るとも多くの問題が一気に解決する?
阪神電車大阪ドーム線。親父が大阪に出てきた60年前はここが尼崎からの終点。降り返しだった。その路線が今は難波までツナガリ近鉄なら線と相互乗り入れが出来ている。
久しぶりにこの道を歩く。道は広いが自転車と歩行者の通行が明示されていない。今期それくらいの街づくりも出来ない?
この工事の場所を確認する為に歩いたがよく分からなかった。もう一度電話で確認をする。担当者は地元の人で無いからうまく説明できないかも分からない。その時は今日歩いているので地域を(エリア)を絞って話が出来る。会話は成立するかな?しなければ賢い係長がいる。
それでも駄目なら課長。課長にあしらわれたら公営所に出向かなければならない。それでも駄目なら大阪市建設局担当部長?そんな話でが無いが意外にこの電柱地中化のプロジェクトは簡単に進んでいない。このプロジェクトが大阪で完成するのはいつの事か分からない?ただ歩道と放置自転車はセンバツが始まる3月の下旬には綺麗になる?甘いなぁ?甘くは無い。それほどに簡単では無い。
2023年1月29日 (日)
ブログのアクセスは増えない という事は電柱の地中化工事の価値は分からない?それはどういう事だろう?知らないから?それは言える
この辺りは見事に歩道が広くなり電柱の地中化工事も終えている。これは知らなかった。(確認する)
しかしこの通りの歩道が広くなってもこれではアカンやろう?そんな行政指導は区役所では出来ない。?
では誰がするの?当然、この歩道の管理者だろう。(管理者は誰?)大阪市。
ところがこの歩道は誰が管理しているのか分からない。嘘だろう。これも確認すれば分かる。
まだその確認が出来ていない。これもよくあるケース。我が街(池田)でも同様の景色が見れる。
この鉢、この植樹は私物でしょう?だとしたら公道(広くした歩道)には置けない。
その行政指導が出来ない?大阪市野田公営所(歩道の管理)の賢い?担当に聞く。区役所の責任者に聞く。
歩道が広くなり整備されてもこの放置自転車。コンクリートのマスの中に大きなヤシの木を植えているがそのマスの上に籠を置いている。
この放置自転車は来週中に即、綺麗に片ずける。(誰が?)来週は水曜日から2月。よく分からないがここは歩道の拡張と電柱の地中化工事は既に終わっている。この北に国道43号線がこの北港道路を交差している。その先は工事中。そこはもっと酷い。
ここから南?(大阪北港側)の電柱地中化のの工事は終わっている。その費用対効果は誰がしているのだろう?区役所、大阪市?
それは誰に聞いても口を濁す?それはもっと違う所で判断している?それも違う気がする。大阪も街中は整備されてもそんな事はどうでも良い?
これは大阪市内、この区役所内でもどうでも良い事?皆様の公共放送、民間放送は何を伝えているのだろう?
大阪市此花区の電柱地中化工事の進捗状況 その価値をこれから多くの自治体の関係者はどう知るのか?そんな事は関係者は何も知らない。
ここはこれだけ歩道が広がってもその価値は殆ど誰も評価をしない。ただ広いだけ。これだけ広くなっても全国の自治体から評価されないのは何故?その効果が何もないから?歩道のまん中にポールを立てないといけないのは車が走るから?どうしてこれだけ広くなった歩道の活用を地域住民は考えない?関係ないと思っている。何と言っても人通りがない。その対策も誰が考えているのだろう?そんな仕事は誰もしていない。
これだけの広い歩道の人通りが土曜日の午後でこんな物。この歩道に活気を取り戻して。大阪北中心部の人の賑わいここに求めるのは無理?それにはどうすればいいのか?地域の全ての人が知恵を出しているのか?それも関係者に聞いてみる。面白い話が聞ける?
そしてその事はここだけでなく全国どこでも問われている事。それでも誰も困らない。それは何故?馬鹿達はそんな事は何も考えていない。お前も同じだろう。偉そうに言うな。面僕ない。ただ今日は久しぶりに怒号をを口にしながら携帯電話叩き切る。「お前の都合で仕事をすな」又か。
明日になれば忘れる?それはない。これだけ歩道が立派になってもこの地域の活性化は何もない。それで誰も怒らんのか。アホンダラ。
これから目を疑う立派に完成した、そして全く少ない人通りを見ながらこれがお役所仕事?そうボヤいていた。
歩道は広くなり電柱は無くなっても信号のポールは何故か電柱の代わりに何故か町並みの景観を破壊している。それは何故?
歩道を凹まして如何して原付チャリの置き場を作るの?自転車置き場は無い。アホとちゃうか。
ここは自転車置き場では無い。どうして整備をしないのか?その必要はないと考えている?これ区役所の地域振興の端等に聞けばよく分かる?
ここは広くなった歩道。放置自転車が何故置かれるのか?それは奥の訳の分からない花壇が原因。そんな地域の声も無い?
2時を回りました。大阪の多くの企業がお客の声をコールセンターで受けたまわっている。このコールセンター電話して見ろ。散々メッセージを聞かされて挙句の果て「電話が混みあっています。アホとちゃうか。そんな商売がいつまでも出来ると思っている?その判断も出来ない。近くのお店では電話に出た担当に逆に脅かされる。そんな店では2度と商品を買いたくても買わない。
しかし電気やガスはそうは行かない。そう感じていたが仲良しのケーブルテレビの営業からも「個人的な対応は出来ない」と言われて激怒する。会社に怒鳴り込むしか無い?そんな暇は無い。どうする。頭を冷やして考える。結論は変わらないかも?会社に怒鳴りでも同じ?この親父それほど馬鹿では無い。見てろ。
ブログのアクセスが伸びない しかしそれは記事が面白くないから?そんな事はどうでも良い 見てろ 地域が変わる?それはどうかな?春には決まる。
この踏みきりを渡ってこの新興住宅地の周りを歩いたのは7、8年前。懐かしい。しかし今回はこの手前に歩く。この道も何度も歩いている。今考えてみるとこの仕事の為。これから色んな人の話を聞いてこの地域の電中の地中化の進捗状況と歩道の整備。その実態は全く報道されていない。どうして?その価値が分からないから?そんなもんかな?違う事を今に思い知る。
不思議でならないのはこの管板よくみると大阪市、国土交通省近畿地方整備局大阪国道事務所、大阪府警の連名で表示されているがその実態は分からない、この道も市道だとしたらどうして野田公営所の名前がない。此花区役所の名前がない。此花警察の名前が無い。此道に放置自転車がないとはその取締りが徹底されているから?それは違う。それは自転車を停める必要がないだけ。
パチンコ店は繁盛していた。しかし通りの反対側で覗き込んでいないので分からない。
ここも懐かしい神社。名前に釣られて中に入る。社務所はあったが境内は清掃はイマイチだった、丁寧に掃き清められてはいなかった。神社の名前も「さん土」ではなかった。
ようやく北港通りに出る。しかしこの北側の道は今回は歩かない。左の歩道を歩けば昨日まで歩いた道に合流する。その場所は意外に遠く近かった。それ程驚きの広い歩道で綺麗になっていた。ただこの歩道も完成して久しい?タイル張りのコンクリートの道はピカピカとは言えず自転車と歩行者が入り混じっていた。何でその区分が出来ないのかこれも来週確認する。聞かなくても分かるが。🤣 必要性を感じない。
2023年1月28日 (土)
今日は久々の安治川駅で降りる。この先はユニバーサルスタジオ、ジャパン。その先は終点桜島 大阪で何で桜島 シラン 電子辞書で調べなはれ
この先はユニバーサルスタジオ、ジャパン 今日は平日ではなかったが電車の中は空いていた。電車に乗った時、通路向かいにカップルが座って男がペラペラ喋り女がうっとりと男の首巻に指を絡めていたがその程度の事は知らぬふりをしていた。
いつまで仲良しでいられるのかな?今日は(今日も)気合を入れて歩く。電柱地中化工事の進捗状況の確認。そんな事はどうでも良い?来週に地域の区役所を取材するが同様の言葉を聞かされる?電柱の地中化工事の費用はどれくらいか知らなければその程度の認識で良い?
それもお馬鹿な市民はそうでも良いが役所の連中がそれではいけない事も知らない?それは聞かないと分からない?それは現場を見れば一目瞭然。それでも分からない。このJRの路線は完全にユニバーサル、スタジオ、ジャパンの来園者の足に様変わりしていた。しかしここは昔は汚かった。それがすっかり変わっている。これからもさらに変わる。マンションが立ち並ぶ。
見事に放置自転車はない。しかしこの表示どうして大阪国道事務所が表示をしてその撤去、保管場所が北港になるの。先日大阪国道事務所で聞いたが明確ではなかった。国道管理事務所は国土交通省大阪建設局の管轄 どうして野田公営所。此花区役所で管板を出さないの?これももうすぐ分かる。それが分かれば大阪市内から全ての放置自転車は無くなる。アホコケ?見てろ。
今日は曇天 しかし日本海側は雪?サミイ(寒い)それでもそんな情報は殆ど知らない 関係ねえから。知らないと言う事は大阪ガスからも思い知らされる
ここは阪神電車西九条線(今はこの路線、難波まで伸びて近鉄の奈良線と相互乗り入れがされて路線名も変わっている。大阪ドーム線。この通りは野田ー桜島線(通称北港道路)この道は以前は大阪の幹線道路だったが現在大阪人でもこの道を知る人は少ない。この道の歩道が拡張され整備が進んでいるがこの事業どこがやってどこが管理しているのか?地域住民の多くは知らない。
その歩道がこの有様。この歩道の中に生活道路の信号があるがその場所のお粗末さ。(写真をお見せする)?その信号は守らない。注意しても反応もない。馬鹿にされる。来週、此花区役者の担当部署(まちづくり推進)に聞いてみるが間違いなくとぼけた答えを聞かされるに違いない。惚けた意見?それはどう言う事ですか?この写真を見せても分からないかもしれない。
ここは商店街の中。自転車置き場が無い?ここが自転車置き場。行政は何と答えるのだろう?(ウチだけではありませんよ)(指導はしてますよ)?まさか。
このガードレールは道路整備中の頑丈なガードレール。ただ誰が置いてこの工事をいつ迄に完成して綺麗な車道、歩道になるのか分からない。この工事のやり方は大阪国道事務所の仕事だと思って聞いたがまだ分からない。行政に聞けばわかる。(区役所?野田公営所?)
梅香。ようやく地名を覚える。名前は綺麗だが梅の香りは全く嗅げない。薄汚い街になっていた。(コラ)
腰の痛み足の痛みは軽くなり何も違和感を感じる事なくこの寒さの中を取材している ブログのアクセス件数を2桁から4桁へ その程度のブログを書け
今日は寒くて出かける事はないと怠け心が少しだけ心を揺さぶるが、この親父はやると決めたら初志貫徹を貫く。しかし多くの事が徒労。多くの人の嘲りを(あざけり)を見聞きしても考えを改める事はない。今年の年の初めから、年末からの腰の痛みが完治せず、殆ど歩けなくなっていたが、自転車で伊丹に行って夜帰る時に道に迷ってチャリのペタルを20キロ近く漕いだのがリハビリになる。?
何とか5キロは歩ける様になっている。大丈夫かと心配してくれる優しさにも聞く耳を持たない。可愛くない生き方に戻っているがこの教訓はこれからの高齢者の生き方に必ず生きる。取り敢えず今年掲げた北港通りの無電柱化の取材。春までに纏める。ただ誰が喜んでくれるのかな?
それが楽しみだな?嘘をつけ。バレたか。そんな事は誰も考えていない?そげん事はない。知らないだけ。歩道を広くして豊かな生活を営む事が出来る?そんな事を地域住民は考えていない?それも違う。その事を証明しても行政(国、大阪府。大阪市)?の幹部は何も喜ばない?
それも違う事を思い知るだけ。それでもこの記事は全国どこでも大事な記事になる?ただその価値は誰も分からない?そげん事はない、思いがけなくこの国家的事業が水平展開されていない。それはどうしてだろう?道路が電柱で塞がれる。歩道が狭くても何も困らない?その価値を知らないという事はどう言う事か?大震災の教訓はどれだけいかせているのだろう。来週は面白い取材ができる?此花区役所。
出かける前に大阪国道事務所や大阪野田公営所の管理監督者に取材していたので出かけた時は4時前。これから出かけても遅くなる。気が変われば阪急梅田、大阪駅前をウロウロしてお気に入りの喫茶店で引き返せば良い。そう思いながら毎回手にしているお気に入りの「おしるこ」を手にする。このおしるこ、味は大した事はないが最近ハマっている。いずれ春になるとさわやなかジュースに代わる。間違いない。
親父が田舎から出てきた18の時は国鉄時代。こんな綺麗な名前ではなく汚かった。しかし田舎者の親父にとってどんなに汚くても目は見張る広さと人の流れがあった。当時とは比較にならない現在の人の流れ。携帯を見ながら人を避けないおバカが若者だけでない事に最近はイラつく。そんな奴はぶち当たるまで避けない。そしてドヤされる。相手にか?その反対。そんな歩き方をしなければならない。アホ。
行き先は昨日の続き。ただ今日は大阪環状線。現在は奈良に行く「大和路快速」「紀州路快速」もやってくる。国鉄時代は奈良や和歌山。その先の白浜、串本、新宮方面は天王寺で乗り換えていた。便利になった?ただその価値は高齢者でも知らない。この電車に乗れる年寄りは大阪駅の中をスタコラとは歩けない。どうして?迷路。迷わずに歩けるのはそう多くない。そんな生き方が何時迄出来るのだろうか?
阪神電車西九条駅のホーム。親父達が若い頃は尼崎からここまででこの先難波方面には通り抜けができなかったが現在はこの駅から難波を抜けて奈良まで行ける。近鉄電車が乗り入れているので快速急行で神戸三宮まで行ける。その先は姫路行き特急に乗り換えると姫路まで行ける。
このホームは反対側を何度も降りているがこのホームから隣の目的地までは初めて。ホームは広くて乗客は疎らとニコニコしていると電車の待ち時間が長くやってきた急行は隣の駅には停まらない。オマケに待っている間にうるせえ奴らが多くなる。イライラしてい流と仲良しのj-come営業の担当から問い合わせていた返事が入る。
その返事を聞いて激怒する。問い合わせの答えが「なめとる」電車が来たので電話を切る。J -comの点検が2月2日。朝の9時から夕方の5時。その間サービスが一時停止する。その時は電源を入れ直せ?アホとちゃうか。そんな大事な事を紙一枚でお知らせ。
親父のように昼間、インターネッで記事を書く顧客の意見は無視。営業に言っても仕方がないが話にならない。お問い合わせはカスタマーセンター。0120のコールセンターで対応できない事も無視されていた。こんな会社が多い。こんな商売は多くの企業で平然と行っている。関西電力、大阪ガス。ガス料金がめちゃくちゃに高くなっても商売が出来る。節約は考えて対策を取れ。取ります。
駅前に立派な駐輪場ができているがここの自転車を止めずに近くの歩道の点字ブロックの上に自転車が停められオバさんやガキ達が平然と私語をしている。ここは歩道で駐輪禁止の表示はあるが誰も気にしない?この前の整備を何の為に行ったのか行政も警察も地域の人達も無視していた。今年の春までに管理者に「駐輪禁止」を徹底させる。来週その話を区役所とするが面白い答えが返ってくるに違いない。
「区役所は関係ありません」「違法駐輪の取り締まりは警察です」「違法駐輪の取り締まり、管理の責任は野田公営所(大阪市の土木事務所)です」?これは正しくお役所仕事。全国どこでも同じ。現在住んでいる池田でも違法駐輪の徹底は出来ない。何で?そんな事は大した問題ではない?役所の幹部はそう思っている?まさか。この役所でも同じ言葉を聞いたらその対応は簡単です。いずれ証明(春迄)します。
ここは大阪市の道で管理しているのは野田公営所。しかしこの看板の国土交通省近畿整備局大阪国道事務所の表示は何?大阪国道事務所の管理職に聞いても明解な接名は聞けなかった。この道。国道かと聞いても親父の説明では答えられなかった。後で野田公営事務所の係長に聞いても国道ではなく市道?
ならばこの様は野田公営事務所の責任?それは教えてくれなかった。今日もこの先を歩いてもっと不愉快な現実を見せつけられる。今夜は早く寝るのでここまで。それでもこれから風呂に入れば寝るのは2時を過ぎる。寝ている時、腰の痛みで不快な思いはしなくなる。こっれが何より嬉しい。
2023年1月27日 (金)
左足の親指が痺れて股関節がまだ柔らかく動かない それでも大阪此花区北港通りを歩く バス停3つぐらい先迄しか行けず それでも格安スマホの青年との出会いで懸案の契約変更が出来る。これもこれからのご褒美?手続の女性も優しい人だった。
阪神梅田駅。この特急で姫路から帰ってきたのは何時だったかな?5、6年前?あの時は兵庫県山間部某市の見学だった。全く地域おこしの取り組みの公共放送の報道は絵に描いた餅?地域おこしとは程遠い印象しかなかった。しかし今でも地方の活性化の取り組みは全国で行われているが大同小異。殆どがモデル事業。今、全国各地の山間過疎地は限界集落となってもその実態はほとんど知らない。違うのかな?
ここは何処だ。この写真を見せられて分かる人は大阪市内広しと言えども難しい。尼崎で電車を降り電車を降りて大阪この花「千船」のホームからの写真。この写真では分からないがこの景色は10年近く前からこの写真の真ん中を流れていた「正蓮寺川」の埋め立ての時から見ている。なんで川を埋めたの?大阪市民でもこの地域の人以外は殆ど知らない。この写真の真ん中は今は公園。昔はドブ川。
ただ問題は費用対効果。その評価は誰もしていない。そうではなくてこの大事業に投じられたお金は誰が出したのか?大阪市?大阪府?国?そんな事は地域住民はどうでも良い?何故なら地域住民は何も負担していないから。そしてその恩恵にタダで預かれる。
これほどにおいしい仕組みは文句が出る訳が無い?しかし世の中、そんな上手い話は未来永劫続く訳が無い。ここは東南海の大地震で大阪湾河口に4メートルを超える津波が押し寄せると怒涛の津波の水位が押し寄せる。地域の住民は何処に避難するの?当然近くの高いビル。
ところがそんな事が出来るのはビルの低層階に住んでいる人達だけ。今はそんな避難訓練は行われていない?そんな報道は公共、民間放送でもしない。関係ない?個人的な意見?大阪市も地域の区役所も当然地域住民もそんな事を考えていたらこの地域には住めない。
この住宅は民間の分譲マンション?正蓮寺川はこの右を流れている。しかし今は埋め立てられてその川幅一杯が公園になっているが旧堤防は殆ど残されている。取り払われているところは公園の出入り口。しかしこの公園は大雨の時には雨水が溜まる設計になっているので立ち入れない。当然、東南海大地震の避難地には指定出来ない。
このマンションは倒壊の心配はない。2階以上は津波の心配はない?そんな耐震、津波の対策は地域住民は何も知らない?それとも知っている?これが大阪市、この地域の区役所 の災害対策の1丁目1番池。ただ実際は分からない。これからこの左側の幹線道路(北港道路)を違う目的で歩く。電柱の地中化。歩道は広くなってもまだ工事は道なかば。そんな事は何も知らない。酷い光景を見る。役所の幹部はこの光景をどんな目で見ているのだろう?簡単にはあんたが思う様にはならない?それで役職が務まっている。信じられません。
能書きはこの程度で。タダでは起きない。携帯の不愉快がイケメンの彼から声をかけられて問題解決?
ここは自転車置き場でもバイク置き場でもガキやオバハンが立ち話をするところではない・歩道が整備され住み良い環境整備が行われていない?これはこの歩道の管理者のお粗末な認識から。ところがその部署は野田公営所ではない?変な表示がある。
この三角コーンは何の為に置かれているの?放置自転車対策?嘘だろう?電柱の地中化工事は何時行われるの?そんな表示はない、放置自転車の取り締まりは全く行われていない。しかも表示の取り締まりは野田公営所ではない。という事はここが(北港道路が)国道だから大阪市の管轄でない。これも聞けば分かる。誰にお友達。そして最寄りの区役所の見解を聞く。国道だから関係ない?言ってみろ。怒鳴られる。怒鳴っても同じ?そうかな。区長はそうは言わないだろう。
昨年来た時はここでとんカツを食って引き返した今日はおにぎりを手にしていたので立ち入らなかった。しかしこの店の駐車スペースが確保されていない、この歩道の管理者(放置自転車の管理)。隣の携帯のお店もそうだった。しかし写真を撮っているとイケメンのお兄さんに声をかけられる。そしてこの放置自転車は取り締まると怒られる。彼は好青年だった。親父の怒りの言葉に何一つ反論しなかった。行政の管理者になってもらいたい。
何という事。この先は自転車は工事でと売れない。この橋は一度歩いて歩道を渡った事があるが海面までの高さは半端でなかったので下は見れずに車道側を歩いて身震いした事を思い出していた。という事はここから大阪湾は近い?明日この先を歩けば分かる。
この白いガードレールは国土交通省大阪国道事務所の仕事。という事はこの道は国道。北港道路の電柱地中化の仕事とは関係ない。だからこんな無様な固定のガードレールを置いている?それはそれぞれの役所のお友達に聞けば分かる。ここは此花区。放置自転車の取り締まりは全く出来ていなかった。これは個人的見解。ただ見方は鋭い?
この放置自転車の取り締まりを公営事務所でしないで何で国の大阪国道事務所がやるの?それはここが国道だから?間違いない。そしてこんな法律無視が行われても為す術がない。公共、民放の報道の社会的責任はこんなもの?ここは北港道路、電柱の地中化は一部だけ?それは許せない。
2023年1月26日 (木)
明日は今日より寒い?今日は昨日より寒いだろう。今日は昨日の続きを歩く。腰の痛み大丈夫か?腰の痛みは無くなる。スゲエ。こんなもんだよ。🤣。
昨日までこの石垣の上で腰を下ろさないと足と腰が悲鳴を挙げていたが今日からそれは無くなる。それでもまだ本調子の歩き方ではない。
本調子の歩き方?それは歩き方に何の異常も感じない日常の生活?そんな事は時には感じる事はあっても長くは続かなかった。
これだけ長く痛みを感じるとまだまだ痛みは続いて最後は歩く事が出来なくなる。そんな恐れを感じたのは初めてだった。
これからはそんな体と仲良くしないといけない。その為には痛かった時を忘れてはならない。喉元過ぎれば何とか?そんな生き方はいつまでも続かない。続けないと生きていけない。それをしないからこの程度で済んだのだろう?それは違う。タマタマ。その偶々のお陰です。
ここは本日(昨日)引き返した懐かしい阪神電車西九条線の駅前。すっかり綺麗になって自転車の駐輪場も整備されているがそれでもアホ達はお店の前にバイクを停めてバカ話をしている。この電車は今は近鉄と難波で繋がり奈良まで行ける。ただそれだけ便利になってもこの地域の発展は以前と比べてどうなのか解説出来る話は聞かない。
ここからは行政区域が違う。電柱の地中化工事はいつから始めるの?そんな看板は無い。
明日(今日)はここから南(大阪北港)に向かって歩く。バスでは何度も通っているが歩いた事はない。若い頃この辺りは汚かった。それがだんだん綺麗になっている。そしてこれからこの北港通りの無電柱化が進むと更にアカ抜ける。ただ何時になるかはまだ分からない。
ここは福島区から此花区に入った所?どうしてこんなに汚いの?これは野田の公園所の歩道の管理者に確認する。
ここの電柱の地中化の工事予定は?これも聞かないと分からない。
道の反対側にはこの看板があるが工事をしている形跡はなかった。これも聞く。
この下の道は何度も歩いている。ここは左は正蓮寺川。今は役目を終え梅建てられているが川としての機能は失われていない。しかし水は完全に堰き止められこの左は立派な公園になっている。ただし東南海地震の大津波の避難設備は何もない。これも聞いても役所の管轄は大阪府。
大阪市は関係ないと惚けるのだろう?何処が?区役所?公営所?大阪市危機管理?お役所仕事は本当にお粗末?コラ。相手にされないよ。ここは今月末に大阪府の工事が終わり通行止めが解除されるがこの道の右側がアスファルトで綺麗になり中央のフェンスは撤去される?そんな表示はないが間違いない?この右の橋の名前やっと覚える。
ここは福島区。電柱の地中化工事は18年前に終わり電柱はなく道は綺麗。と言いたい所だがこのゴミ拾い誰もしない。
一見綺麗に見えるのは親父のカメラのテクニック。歩道が広くなってもピカピカではない。それは如何して?毎日清掃をしていない。これだけ広くて長い?(500メートル足らず)と電動のポリッシャー(清掃機)と人手がいる。だからこの程度が関の山?この先驚きの光景を目の当たりにする。福島区、野田公営の恥さらし。地域の恥さらしです。飼い主のモラルでなく生き方が問われる。閻魔大王の処罰を受ける。そんな事は知る由もない。アホンダラ。
この変電所の前の歩道の清掃は以前もクレームをつけたがこの変電所の責任者はその社会的責任を追記ゅうされないとこの場所(歩道)を綺麗に出来ない?バカだろう。ホウキで綺麗に掃けばピカピカになる事を知らない?知らなければ何時でも教えてあげるよ。その前に首だな。
この植樹枡のこの植物のはみ出しもこの場所の管理が出来ていない証拠。ところがこの場所の管理者はそうは思わない。この植樹帯の管理は誰がやっているの?そんな問いかけは誰もしない?これだけ立派な歩道は自慢も出来ない。公営所長はクビだな。見解の相違です。そうは言わせない。
歩道が自転車の置き場でないのは分かっている?ただ駐輪場者がないだけ?なら整備をなぜ求めない?そんな事は誰も求めていない?ホンマかいな?だとした歩道を広げた意味を徹底出来ない。全国モデルには出来ない。なるつもりもない?そげん事(そんな事)は所長でも言えない。
ここの(植樹枡)の管理は別の場所で行っている。それはこの様。この程度の管理はこの土を掘り起こして雑草を綺麗にフルイにかけて処分すれば綺麗になる。そんなプロの仕事をこの場所の管理者は知らない。この中は18年前に綺麗の掘り起こして電線の地中化工事をしている事を知らないとは言えないだろう。その程度の管理もできなければ何時でもお教えしますよ。そんな事は全く考えずただただ怒っていた。アホ。
これでもダメ。植樹枡と歩道の境を熊手で描き出し歩道の清掃をする。そんな人でも道具も無い?そうは言えない。日本一に離れない。日本一になる必要は何も無いがその程度の仕事が求められている。誰に?それは言いたくない。
こんな光景を見せつけられても怒るか?だとしたらこの飼い主は長くは生きられない。そんな事も意識されない?それは許されない。この地域の住民の生き方が問われる。役所の仕事が問われる。大阪市の公営所の仕事が問われる。即片付けろ。アホンダラ。
これもダメ。なぜならここは宣伝場所ではない。そんな注意もできない。
怒りの写真が多すぎてブログが画像の挿入を拒否している。写真が多過ぎる。では今夜はこれくらいにしましょう。2時を廻りました
。
2023年1月25日 (水)
ようやくまとまった距離歩ける様になる 寒い小雪が舞う道をカメラ片手に取材?していた。何にも変わっていない?
「念ずれば必ず花が咲く」この言葉は信じれる人は幸せ?そうかもしれないがそうではない事も知らない?ここは大阪市福島区大開。このお地蔵さんは綺麗に手入れをしている人がいるがこの町で今行われている大きなインフラ整備の大事業を知る人は少ない。
福島桜島線(北港通り)この通りは全長4キロ前後?この道を知る人は関西、大阪市民でも知る人は地域常民のみ。この通りの500メートル足らずで今行われている工事も一部だけ。今年の3月末までに行われる工事が完成しても電柱は無くならない?
電線類の地中化がこの区間完成するのはまだまだ先の事。その工事が完成して電線共同埋設工事が完成しても、北港までの全線が開通する予定は未定?その確認を今年の大きな取材の仕事となる。何の為?分からんやろう?これは地域の事業ではない。
全国どこでもこのインフラ整備は喫緊の課題。そう言われても分からん?親父も何も知らなかった。そのビフォーとアフターを見れば一目瞭然。しかしその完成した部分は18年も前。そんな事実は多くが知らない。だからどうしたの?それはこのレポートを見れば賢い人は憤りを感じる。
アホな人は?何も感じない。大阪人はどっちだろう?完全にアホな方。しかしそれは関西だけではない。雪国でも電線の地中化工事は一部しか行われていない。社会資本の整備は幹線道路からその幹線道だけの整備では地域住民は安全、安心な生活は確保されない。
その程度の事を雪国の県庁の幹部に問いかけた事はない。下級職員が偉そうに金が掛かると言い切っていた。幹部達も同様に考えている?それは分からない。地方が豊かでなければ都会も豊かになれない。今、正にその事が証明されている?その取材をしばらく続ける。
そしてモデルの事業が完結する。ただしその時は生きていない?関西ではいつ起きてもおかしくないと言われている「東南海地震」が発生したら万国博どころの話ではない。その問い掛けも出来ない公共放送、民間放送。その対策はどこまで出来ているの?知らないと言う事は本当に悲劇です。
ここは今工事中の所。ただこの工事は植樹帯(歩道と車道の間の植樹枡)の中だけ。この工事が済んでも電線の共同溝の工事は終わらない。このおバカな放置自転車。昨年改善を申し入れているが徹底されていない。どうして?問答無用の強い指導がされていない。工事中?作業員はどこにもいない。間抜けな工事をしている。ただ以前よりはマシ?ただこれではあかん。その決意は感じられなかった。
ここは本当に工事をしているのか?そしてこうして放置自転車を並べられても工事の請負会社の管理責任と同時に工事の発注者大阪市野田公営所の責任も問われない?そんな事はない。そんな見方をしない。これでも通行の邪魔にはならない、何も問題は無い。この自転車の置き場がない事が問題だとは考えない?そんな発想は役所にはない?なければこの場所の地中化工事が終わってもここが自転車の置き場になる事は何も変わらない。それは許されない。そんな事は何も考えていない。
2023年1月24日 (火)
明日は寒い しかし大阪の寒さはちょろい?日本の雪国の本当の寒さは半端では無い?それを思い知らされる?
ここは何処?見れば分かる?見ても分からない?ここは以前はもっと草木が生い茂っていた。この手前が堤防の下。この5メートルぐらい後ろに7、8メートルの高さの堤防があるのでこの程度のお粗末な河川管理でも全く問題はない。そんな言い方はすなと怒られるがここが川の中だとはそんな事は誰も知らない?
そげんこつ(そんな事)は無い。ここのこの溜まった土砂を綺麗に除去しない理由は別にある?その事を河川管理者(猪名川河川管理担当)に聞いても見解の相違と相手にもされない。しかし間違いなくこの河川内のこの盛り土はその責任が問われる。その時は大災害が発生しない限り何も変わらない。もっとお見せする。どんだけ管理されていないか何も知らない。知らなくても関係ない?確かに。
ここは河川敷の堤防?の外側。しかしこれだけ草木が生い茂れば何も見えなかった。そんな河川管理はねえだろうと河川管理者に苦情をつけたのは数ヶ月前。その後ここまで綺麗になっていた。皮肉ではない。ただこのブログを見ても何も反応はないに違いない。
ここを綺麗にしてこの左の堆積土砂をパワーシャベルで取り除けば河川敷のグラウンドが大雨の時水没する事はない?そんな事は考えているのだろうか?それを聞いてみると面白い返事が返ってくるに違いない。国土交通省猪名川河川事務所のどのレベルに聞けば明快な答えが聞けるのだろう?
池田の出先機関の課長レベルで聞けるのだろうか?それは期待出来ない。どうして?ここの水の流れを良くすると下流に負荷が掛かる?確かにそうかもしれない。文句があるなら河川敷にグランドは貸せない?そんな低レベルの話ではない。この河川管理は今でこそ災害の心配はないが先人の苦労は親父も知らない。
ここは河川敷の通路の下。ここには河川敷の堤防も無い?大水の時は当然ここは濁流が流れ下る。それでもこの様。
ここもその続き この水溜りは池田市内から流れ出した下水路の水?違うだろう。アホンダラ。
こんな汚い河川管理をしても関西を代表する報道機関も地域の役所の幹部もこの事実を知らない。環境に優しい市政。それがこの現実。
この事実は猪名川河川管理事務所の所長も知らないだろう。担当現場責任者の判断に任されている?それも違うに違いない。
何度も書きますがここは川の中。本流はこの堆積土砂の先にありここも綺麗に草は刈られている。これだけ酷い写真を見せつけられると誤解されるに違いないが以前より少しはマシになっている。お金があれば(予算がつけば)あんたに言われるまでもなく綺麗に出来る?それはどうかな?その判断をどのレベルでできるかが問題に違いない。春になればここは綺麗になる?それはどうだろう。
左が河川敷の堤防?この板は釣り人が掛けた物?しかしこの幅では右には渡れない。こんなところで釣りをする必要は全く無い。
上が本流では無い。対岸の伊丹市の河川敷の運動公園(グラウンド)?が見える。ここも大雨が流れるとボコボコになり多額の補修費用(億を越える?)と半年の期間を必要とする。それでも伊丹市は何の対策も国土交通省猪名川河川事務所に求める事はできない。借主の弱み?違う?市はこれで充分と思っている?これも聞いてみないと分からない?聞いても無駄だな。見解の相違?違うだろう。そんな事は誰も思いも寄らない?そげんこつ?げんこつだな。
前方の橋は中国自動車道。この場所の位置関係を何度も聞かれたがこの左に河床を浅く堰き止めた立派なコンクリートブロックが敷き詰めて農業用水を確保している。役目を終えた伊丹の農家の農業用水は確保しても数年に一度のグランドの冠水は関係ない?伊丹の市長もそう考えているのだろうか?それは違うに違いない。
真ん中少し上に白いところが見えるがその手前は本流は流れている。さらにその手前がこの堆積土砂の丘。ここは以前は大きな木があり対岸は見えなかった。これだけ見通せる様になったのは徐々に改善していると言う事?ただそんな改善計画の明示はどこにも無い。
振り返るとこの河川敷のアスファルトの所まで張り出していた草は綺麗に刈られている。ただその左の草むらはここは川。ここを綺麗に草を刈りゴミを取り払いブルドーザーで綺麗に整地をするのはまだまだ遠い先の話?それも確認しないと分からない。
昨日の腰痛対策
ここは何処?猪名川の河川敷 この雑草は河川敷きの強化の為に市の指定業者が保護している。なんかおかしく無い?雑草を保護するという事はどう言う事?分からん?ところがこれはこの場所を借りていたグラウンド。その維持管理が出来なくなり(価値が無くなり?)雑草を保護をする?このプロジェクトのリーダーは親父のケチ( 苦情)の意味がまだ分からない?雑草は保護ではなくて綺麗に管理する。その程度の河川管理もできない。
ここはカヤ。このカヤを借り倒す事もなく河川管理が出来ると思っている行政。このカヤを刈り堆積物の土砂をブルで切り崩し平らにして余った部分はここから持ち出せば建設資材に土も砂利も金になる。ここは元々その整備をしていた。それが1度切り。河川の洪水時の対策等どうでも良い?違うだろう。その証明をしても分からない?
2023年1月23日 (月)
腰の痛みで歩けない その対策で自転車( ママチャリ)に乗って伊丹にカレーを食いに行く ところが帰りに道を間違う。夜道は知らない道を通っては行けない。2時間ウロウロする。何処を通っても同じような道に感じて途方に暮れる。相当なまわり道。怪我をしなくて良かったな。
久々の猪名川河川敷運動公園。綺麗に整備されているがこのグラウンドは池田市が国土交通省稲川河川事務所から借り受け。市の指定業者が管理、運営を委託されている。綺麗なグラウンド。しかしこの場所は河川敷にあるので川が増水すればボコボコになる。
この右端を本流が流れているが水量はこの時期少ない。しかし梅雨や台風のとき大雨が降ればここは冠水。その対策は何故か全くない。どうして整備をしないのだろう?誰も何も困らないから?そんな事はない。この整備されたグランドはボコボコになれば国の災害事業対策費で半年間掛けて整備する。
国ののかねなら何も文句はない。ただこの川の流れの管理は何も変わらない。川底や周りの堆積土砂の掘り起こしは全くされない。写真をお見せする。河川管理の実態は多くの人が知らない。しかし一度災害が起きれば地域だけでなく社会的な問題となる。
荒れ果てていた地元のインスタントラーメン発明者から寄付された立派な花壇。ようやく整備されている。しかしこのグラウンドでサッカーや野球の子供の試合や練習に声を上げる親達は見向きもしない。子供達の運動能力の成長に一喜一憂はしても花壇の整備は私達は関係も関心もない。その程度の気持ちも無い親達。親父も講釈を垂れるだけ。この整備の責任者も同程度に思っている?だろうな。電話しても反応は鈍い。
それでもそんな事はどうでも良い。足腰が痛くて歩けない。無理をして歩いても50メートルも歩かないうちに激痛で歩き方がおかしくなる。足腰が悪い人がそれをカバーしながら歩く様子を見て気の毒に思っていたが自分の事になるとは思っても見なかった。それでも親父の凄い処はそれで腰を労らないこと。歩けないなら自転車があるさ。自転車だと何とも無い。この河川敷の道を飛ばして伊丹に行こう。腰の痛みが笑っていた。
この堰は渇水期の今は全く問題はないが雨が多くなる梅雨時や台風の時は一気に水位を上げる。その時この堰のおかげで水位は1メートルは簡単に上がる。それだけ水位が上がれば手前の河川敷のグラウンドは簡単に洪水で洗われる。グラウンドがボコボコになる。
それでもその復旧工事は国からの補助金。地元の池田市。下流の痛み市は何の痛みも感じない。傷みと伊丹か。洒落にもならない。この堰は農業用水確保の堰。当然役目は終えているが地域住民はそうは思わない。この堰を取り壊すのはこれからも無い?お馬鹿な河川管理とは誰も思わない。
この川の川幅は現在は広くて高い堤防があるので洪水の心配は全く無い。しかしこのススキのエリアは左が本流。ここは河川敷の通路だがどうしてこのカヤを綺麗に刈り取りその外に河川内の堤防を繋げないのだろう。その必要性は問われない。
国土交通省猪名川河川事務所は池田市内にあるが河川管理の専門官はそんな認識は何も無い。担当が細分化され責任者の話は聞けない?聞き方が悪い?そうではなくて見解の相違?それは災害が起きないと何も変わらない?
このカヤの外は猪名川の本流。その水辺とこの河川敷の堤防は無い。なくて当然?ここは川の中?それはいくら何でも言えない。
この先の橋は国道171。この草薮はその手前上流の右側。以前ここは綺麗枯れ草をにブルドーダーで整地をしていたが今はこれで河川保護が出来ている?まさか?久しぶりに猪名川河川事務所に聞いてみますか?彼らと話をすると疲れる。現場を一々説明しなと話が噛み合わない。
2時になりました。まだまだこの先の話は続くが偉そうに講釈を垂れているバチを暗くなって受ける。しかしそれでも収穫は手にする。でもその話はまた明日。風呂にもまだ入っていない。
オイオイ。何じゃこの手羽先とからあげ。隣町で新規オープンの「中津のからあげ専門店」ただ中津の唐揚げとはタレだけの話で大阪では本物の味は口にできない。それでもこのお店は自転車で帰り道を間違えて2時間近くチャリを漕いでいたのでご褒美でした。持ち帰り。完食。マジか。自転車も親父と同じで悲鳴を上げていた。よく頑張ってくれました。ありがとう。腰の痛みは左は何ともなく右が悲鳴を上げていた。
これはお気に入りの出汁で作った白菜の根っことジャガイモの小間ぎれ。からあげの口の中の脂身を綺麗に体の中に流し込む。夜食に卵焼き。伊丹では「なごみや」西くんのカツカレーも食っていたからタフな道を走れたに違いない。ママチャリで夜道を2時間うろつく。これだけ食えれば腰の痛みも時間の問題?明日は大阪市内歩けるかな?知らん。ええ加減にしなはれ?する訳が無い。この親父。信じられない?まだまだ。
腰の痛みは左脚の付け根の炎症 治るまでにはまだ暫く掛かる その対策は?何もない 炎症が治まるまでは休みながら歩くだけ。嗚呼
「災い転じて福となせ」この諺を知らないおバカも少なくないがその原因は何だろう。
難しい事は考えても分からない?よく言われる言葉。しかしこの事は難しい事でも何でもない。
災いは災難?難儀な事は生きていく上で当然の事。ところが今の世の中はそうではない。
何時なんどき思いもよらないことが起きても不思議ではない。ところがそんな危機管理が出来ないだけ。
この言葉も難しい。聞き管理?何のこっちゃ〜。突然起きる災難は避ける事は出来ない。そう思われている。
ところがその災難を何も感じないで生きていける人も少なくはない。その時によく言われる言葉。「運がねえのう」「お気の毒」
酷い奴は人の災難を「あざ笑う」自分は関係ない。そう思って何時までも変わらない。そんな輩が同じ目に遭う事も知らない。
世の中の常理、非常理は何も理に適う事は何もない。その出来事にどんなに悩み苦しんだ処で何も喜びはない。
自分を追い詰めて行くだけ。人間のすばらしい取り柄は「忘れる事」忘却の彼方に未来が見えてくる?まさかのまさか。
そんな生き方を人は有史以来求められている。その事も知らない。歴史を知らないという事はそういう事?
歴史は繰り返される?それも違う。歴史を知らなくても生きて行く事はできる。
しかし賢い生き方はそうではない事も知らない。それが分かればまた新たな知恵が生まれる。その知恵を生かせ。
2023年1月22日 (日)
明日から寒くなる その対策は?無い 腰の痛み最悪 100メートルも歩けない それでも公園整備の仕事は止めなかった 今日で終わり。
ここは左から大きな木の枝がこの上(歩道)を超えて車道に張り出していた。その枝も直径は10センチを超えこの歩道は小枝の黒い実が鳥につつき落とされて、その実が踏み潰されて汚くなっていた。その車道まで貼り出していた大きな枝は切られてその重影は全く無い。
ここは昨日綺麗にした公園の石のベンチの前。左の低い土手は一昨年の夏から去年の夏に掛けて水捌けを良くする為に作り上げた物。その土手を軽くホウキで均して今回の公園整備の区切りをつける。まだやるべき事は一杯あるがこの程度の仕事は誰にでも出来る。誰もやらなかったから綺麗にしたが何時迄もはやってはいけない?過ぎたるは及ばざるが如し。囁かれている言葉は忘れていない。
何にも綺麗にはなっていない?一見そう見えるがここは荒地でした。この奥の土をここまで掻き出しているがここはこの奥の土をもっと描き出してその土をフルイに掛けて整地をすれば近所の子供達の絶好の遊び場になる。親はこのミニ公園でリラックスが出来る。この上に児童文化センターがあるがその管理者はここは全く関係ないと信じて疑わない。目的が違う。近くの保育園はどこにあるのか知らない。
ここは落ち葉とガレキの捨て場になっていたがそのゴミを掻き出してその奥をまだ綺麗に出来る。しかし今回はやらない。それをやるとまだ1月掛かる。それをやるとその次を考える。考えるだけでなく整地する。それでは歴史に残る整備が出来るが「やり過ぎ」
やる事は地域の活性化?地域が活性化しなくても誰も何も困らない?それも知らないだけ。地方が元気にならなければこの国に未来は無い?その程度の事も知らない。地方が崩壊しても関係ない?そんなおバカも少なく無い。それよりも自分と辺(まわり)が良ければそれで充分。そんな生き方は出来ない。(してるじゃねえか)?そう思われている。
ここは記念日前の広場の1角。この砂利もここから掬い取り(すくいとり)砂と砂利に分け敷き詰める。
しばらくは寒いが春になればこのコンクリートの椅子に座り季節を愛でる事が出来る。ただそんな生き方が出来る大人も子供も居ない。今年の大きな課題は子育て支援 そのお金は何処から出るの?消費税を上げる?馬鹿じゃねえのか?子育てにはお金が掛かると言われている。
確かにその通り。しかしそれは何も今更の話では無い。その程度の事も分からないおバカ達。その親達がどんな生き方をしているのか?そんな事は何も問われない。そんな政治が何時迄も続く?訳が無い。ただ10年足らずで何も変わらない。その時の流れは自分の生き方でよく分かる。
明日からはまたしっかりと歩かないといけない。しかし今日は歩けなかった。自転車で五月山山麓のこの公園に来て仕事の句切りをつけたが自転車では坂は登れなかった。押しながら歩いていると左の坂道を登って来たカップルの女の声がデカい。横目でかをを見るがブス。(コラ)
自転車を止めてやり過ごす。綺麗になった坂道もホウキで掃かないとピカピカにはならない。それでも1月に一度綺麗にすれば良い。その程度の事も近隣の住民はやらない。そげん事はどうでもよい。その程度の感覚もない。コミュニティのつながり?そげんこつ(そんな事)どげえでもよい(どうでもよい)そんな時代になっている。腰はどうよ?明日も歩けんな。その時は自転車で伊丹に行く。
2023年1月21日 (土)
明日も晴れ しかし寒くなる それでも体力でカバーできる人 出来ない人 その差を知らない?
水仙の花弁が下を向いている理由 誰かが尤もらしく解説していたが余り説得力は無かった この公園の水仙も陽の目を見て注目される様になって2年目。ただその美しさは未だ知られていない。人が人に感動の言葉を語る。未だその領域に程遠い。道を切り開いても身向きもされないのは語る言葉にそれが欠けている?それも違う気がするがまだわからない。その事がもうすぐ証明される?
この時期にこれだけの青空は珍しい?しかしこの天気も明日まで。らい週からは天気はクズれる。それでも関西の寒さはチョロイ。泣きたくなる様な寒さは公園整備の仕事をしていても感じられない。それでも関西人はその恩恵を全く感じない?どうして?アホだから。(コラ)
六甲山の人口スキー場も最近ニュースにもならない。この山のどれくらい先に行かないと天然のスキー場には行けないのかな。神鍋のスキー場でスキーを担いで丘を登ったのは20代前半。琵琶湖バレーでコースをハの字で滑ったのはそれから数年後。あの若さはもう手には出来ない?
ここは何度も掘り起こしているが今日は最後の仕上げでもう一度土を掘り起こして、土を掻き出しその窪地に大きな石、中くらいの石。小石を掻き込んで上に土を被せる。これで水溜りの心配はなくなる。ここに池を造るつもりだったが計画変更。成功。池を造ると定期的に清掃をしないといけない。池がなくても放ったらかしにすると直ぐに汚れる。それでも誰も掃除はしない。アホンダラ。
それではまた明日。サンセットの日の光はこの後直ぐに暗くなる。陽が暮れてもしばらくは暗くはならない時がもうすごやってくる。その時は皮肉にも毎日はこの素晴らしい景色は見れないがその代わりはいくらでも手にできる。賢人はどこの空の下で夕日を眺めているのだろう。
今日の仕事の結果。暗くなっているので良く分からないが明日はもっと綺麗にする。(それはもっと綺麗な土を入れる)ただ土だけでは雨が降ると泥濘む(ぬかるむ)。そうならない為には小石を混ぜ込まないといけない。それがプロの仕事。そんな仕事は素人には出来ない。
この庭は見事に復活する。ただ以前を多くの人は知らないので価値は当然解らない。いずれ分かる?どうかな。耄碌したら分からん。もう6?違う。もうろく。嫌な言葉だな。大丈夫と囁かれている。誰に?誰だろう。賢い人に違いない。コラ。🤣
腰の痛みぶり返す それでも公園整備の仕事はもうすぐ終わり 明後日から大阪で歩けるかな?無理でしょう。それでもその対策は手にしている。スゲエナー?アホです。
多くの市民、府民、国民が知らないこのインフラ整備路業。この目的は政府の方針で進められているが日本全国遅々として進まない。その理由はこの大事業の価値を知らない?知らせ方がヘタクソ?この工事も数百メートル足らず。一昨年からこの工事は行われて今年の3月に完成する。
その費用対効果は誰も評価出来ない。都市の景観の向上では無い。今一番求められている「東南海地震の安全対策」それがモデルとしてこんな辺鄙(へんぴ)なところで行われている。その理由は何も分からない。この場所の都市の景観の向上?都市災害の防止?ここは都市では無い。
この先国道は大きく右折する。その先直進すると府道113。電柱地中化の工事はここまで。この先が電柱の地中化になるのは何時?府道だから分からない?まさかのまさかです。電柱の地中化が全国で一番遅れている地域?そんな事は誰も問わない。問われない。
腰の痛み(鈍痛)悪化している?原因は自己診断で「足上げ」歳を考えなくてエアコンも着けずに足を振り上げたのが原因?暫くは治らない?どうする親父。どうした家康。整体師に診てもらう?それは未だ考えていない。整体師も掛かりつけ医でないとダメ。
市内の歩道脇(左が車道、右が歩道)その右がお店。ここは池田市の西の外れ。昔は農村。その地域がこうして道が整備されてもこのあり様。左の車道は片側2車線の広い道。当然府道と思っていたがそうではなく市道。その歩道の管理がこの有様でも行政は全く関係ない。
この草むらの清掃は見るに見かねて指定業者が綺麗にしたところ。それがこれ。この草むらは綺麗にスコップで削らないと分からないがどうなっているのだろう。そんな問い掛けは誰もしない。地域住民もコミュニティの活動は何もない?聞いてみますか?やめなさい。
ここは近畿自動車道「神田高架橋」痛んだ橋の修理をしている。この橋の管理は西日本高速道路(株)がおこなっているがその実態はほとんど知らない。(事故が起きない限り)この高速道路の高架の下も当然この会社が管理をしているがそのゴミだらけ、草だらけは誰も管理していない。(掃除、清掃は指定業者に丸投げをしている)この工事は2月末には終わる。この汚れは何も変わらない。
この手前の側道は一般道。だから高速道路会社は関係ない?そんなバカな事はない事も分からない。仮にそうだとしても管理者のレベルでそれはないだろう?それともそれが常識。そんな非常識が罷り通っても行政の指導は何もない。知らないでは許されない。
ここは府道側道の歩道。草が枯れても誰も見向きもしない。地域のコミュニティの活動のお粗末さ?そんな問い掛けも行動もねえ。
この場所が汚いのは地域住民の地域の環境に対する認識の問題?この高速道路が出来て半世紀がもうすぐ経過する?この高速道路が出来たのは日本が高度経済成長の聡明期。その経済発展に陰りが生じてもこの道路の重要性は何も変わらない。それが当たり前でない事を思い知らされないと分からない?そげん事はない事を管理者はどれだけ理解しているのだろう?そんな事は言われなくても分かっている?ならこの様はない。
2023年1月20日 (金)
腰の痛みは治らない 遠出が出来ないと思い込んでいるが公園整備の仕事は出来る 来週からおでかけ仕事解禁?アホとちゃうか?全然
五月山山麓の綺麗にしている公園。ここには見事な藤棚があるが多くの池田市民は身向きもしない。藤の花は静岡藤枝の公園でそのすばらしさに圧倒されたがこの幹の成長は30年程度ではまだ未だヒヨコ。親の藤木は人間様では1世代では中々見れない。
高知のお城の近くで見た「長宗我部元親の像像」近くの藤棚の公園も葉っぱを生茂っていたが幹は大きくはなかった。あれは始めての四国遍路道。桂浜から歩いた夏の終わりの太陽がギンギラギンにさりげなく?照り付けていた12年以上前の話。ようやく辿り着いたお寺さんちかくのうどんは不味い筈がなかった。近くの駐在さんで味を聞いて笑われる。その先の札所はタクシーでズルする。水仙は関係ない。次は何時になるのか?
ここはここに溜まっていた瓦礫の上に落ち葉を掻き込んだ所。これ以上この場所を綺麗にするつもりはなかったが腰の痛みで遠くに出かけていないので明日あさってこの場所を綺麗にするかも分からない。そんな事をしても誰も何も反応しない。それでもここが綺麗になるとイノシシは困る。困らないのは人間だけ。そんな生き方が長く出来る訳がない。腰の痛みはその事を教えてくれている。
それでも今日は寒い1日でした。週末から来週一杯は寒い。来週から国会が始まるが多くの人がそんな事はどうでも良いと思っている。ところがそうではない事が分からないだけ。他人事みたいに生きて来たその生き方が問われる事はないと思っている?そんな事は思わなくても多くの人が今の生き方が何時までも続く続いて欲しいと願っている。
そんな報道しか出来ない。大きな時代の出来事にも反応が出来なくなった時どんな春を迎えるのだろう。今日本当に驚く事がありました。賢い人は話をしていて楽しい。その出来事はこの厳しい春を乗り超えた時、どんな時の流れを見せてくれるのでしょう。冬春夏秋。冬来たりなば春遠からじ。それが季節だけでなく実感として感じる事が出来るのだろうか?足がお乳の辺りまで振り上げる様になっているのかな。
水仙の花弁がようやく喜びの表情を覗かせてくれる。この上に歩ける道は今年は出来ない。(やらない)それをやるにはこの公園の「係」にならないといけない。それは公園管理者でも出来ない。ただ約束は忘れるな。ここはイノシシが山から降りてくる。その対策の柵をキッチリとつけてイノシシの進入を防ぐ。その確認は未だ出来ていない。
大寒は今日。季節の変わり目は実感出来ないが来週の寒さはさすがの親父にも応える。? それでもパンツ1丁で飛び回る?残念ながらそんな肌を今年は手にしていない。歳を取るという事はそう言う事?違います、鍛錬をしないと肉体の衰えは見事に進む。今その事を思い知らされている。
ただこれからの最大の喜びは同年齢とは全く違う知力と肉体を手にする事。それが口先だけでなく行動が共なえば鬼に鉄棒間違いない。嫌われ者が長生きをするのはそんな生き方が出来ない証明に違いない。多くの事を知っていた知力の巨人は親父に何を教えてくれるのだろう。
暗くなって地面がよく見えないがこの荒れている地面も明日熊手で掻いて放棄で掃くと見事に綺麗になる。それで暫くは「アイヤ暫く」大見得が切れる。ただそれは歌舞伎の世界。現実の世の中はそれ程に甘くない。それでも上等です。そんな公園が完成する。
腰の痛みは今回は長い 完治するのはまだ暫く先 人体の神秘を思い知る ジャンプ力 足の振り上げ 片足立ち その力が全く無くなっている
池田市民、地域住民でもこの園芸高校の中には中には入れない。理由は学校の中だから。学校の中は安全管理が絶対的課題と以前にも近くの学校(教育大学府属の小中高一貫教育?)素晴らしい紅葉の写真を撮りに行った時、入らせてもらえなかった。子の大きなユーカリの木が何の為にこの近く植えられ、そしてこの場所に植え替えられたのか何も知らない。
ただこの事例は目ズラしいので写真に納めていると通りがかりの老人にいきなり解説される。このパターンはよくある話だが何も感謝されない。親父から何も説明を求められていなくても親切な気持ちで解説?ところがその話し方が下手くそ。親父から何を言いたいのか聞かれて不愉快な表情を露わにして口籠もる。(口ごもる)折角の声掛けが台無し?そう思われる?それ以前の礼儀を知らない。
腰はまだ痛い 駅からの行き帰り2回休まないと腰の痛みに耐えられない それでも公園の整備の仕事1日も欠かさず それって凄い事?それとも?
UR賃貸の住宅地の中。綺麗に草が刈られているが人の出入りの形跡は全く無い。今全国で怖玉に叫ばれる少子化対策、高齢化対策。しかしその対策は何処もうまくは進まない。どうして?原因を考えてみればすぐ分かる事を全ての人が関係ないと真剣には考えていない。
これからどう生きるか?関係ない?そうではない事も知らない。今、国会の大きな争点は子育て支援?防衛費の増加?その財源はどうするの?そんな事は何も分からない。それでも関係ない。政治家さんにお任せすれば良い?オイラは関係ない?そんな生き方は出来ない事も知らない。
ここは久しぶりにやってくる府道の中央分離帯。近くの園芸高校の卒業生が平成21年度設計して池田土木事務所が業者に完成させている。しかし始めて見た時は草が伸び荒れ果てていた。ここがこれだけ綺麗になったのは業者が綺麗にしたから。しかしまだ充分ではない。
この広い中央分離帯は維持、管理が大変な事を設計の園芸高校の卒業生はどれだけ考えたのだろう。彼らはこの立派な中央分離帯を設計してどれだけ誇りを感じたのだろう?その誇りをどれだけ地域住民は大切にしたのだろう?そんなプライドは誰も手にしていない。園芸高校の校長はこの中央分離体の意義をどれだけ認識しているのか何時かは問うて見たい。何にも感じない?まさか。
綺麗じゃねえか。見事に管理されている?それは親父のカメラのテクニック。ここにこれだけの立派な中央分地帯が何の為に造られてこの道の価値が地域住民に誇りに思われているのか?そんな評価は誰もしていない。そんな情報を行政は全く公開していない。ここは公園ではない。中央分離帯だからその必要も無い?その程度すら思われていない。当然ながらこの場所はこれで充分。その程度の認識も聞けない。
よく見るとこの場所を熊手でゴミ(空き缶、ポイ捨て)をかき集めていない。
これだけ綺麗に管理されていればゴチャゴチャ言われる事はない。それはこの場所を知らないから。この中央分離帯にこれだけのものを造ればもっと価値を高めなければ意味が無い。そうは思わない。ここは立ち入り禁止。それでも安全を確保するのはアナタ自身。そんな表示は何処にも無い。ここをもっと綺麗にする。そんな事は誰も考えていない。親父やるのか?やりません。やらせます。この道は12年前に拡張整備されている?そんな事は誰も知らない。
インチキ看板。この付近の歩道は大阪府アドプトプログラムにもとづき「大阪府立園芸高校の皆さんが清掃、美化の活動をしています。何もしていない?それともそれがインチキ。この歩道の清掃を誰がその評価をしているのか?誰もそんな事はしていない。
このコンビニの前の植栽の剪定は以前申し入れているが何も変わらない。今月中に綺麗にしないと責任が問われる。そんな事は誰も思わない?写真までボケている。笑いもの?そうではありません。これが当たり前だと思われている。
2023年1月19日 (木)
日銀が賃上げ出来る環境を造る いつから日銀がそんな事を誰に求められる様になったの?知らないだろう
六甲の西の夕焼けが今年の春の経済回復を暗示している?していません。その程度の事が分からない。
親父の内閣総理大臣の退陣予測は昨年の師走の前に見事に外れたがそれは半年遅れただけ。それともこのまま内閣支持率は低迷のまま5月の時を迎える?いくら政治と経済に関心がない人が国民に多くなっても生活に困窮すればそれは無い。🈶 そこまでの生活困窮者は居ない?
景気回復が賃上げで実現する。させなければならない?岸田総理が来週から始まる国会でどんなに声高に叫んでも肝心の金融政策がこれではドンコンならん。田舎の方言は分からなくても間違いなく物価高は賃上げでは解消しない。親父達が新婚の時を上回る物価高。しかしあの時は賃上げも半端ではなかった。
50年近く前の賃上げが4万円。50年後の賃上げがその3分の一にも到達しないでどんな面をして日銀総裁が務まるのだろう?しかもその賃上げは一部の大企業と中小企業の勝ち組。負け組は問題外。年金生活者は関係ない。その程度の事を何も報道できない関係者。
その代償は覚悟もなければその結果は誰が責任を取れる?そんなリーダーは何処にも居ない。どうする家康?そんなおバカなドラマでどんな人が生き残れるのだろう?親父はどうだ。これから最大の武器は健康な体。それをさらに鍛える。それが出来なければ生き延びる事は出来ない。
腰の痛みはまだ1キロも休まずには歩けない。それでもこの公園の仕事は1日も休んでいない。その結果は確実に出ているが腰の痛みが教えてくれた教訓は何も生かされていない。それでも痛みは確実に良くなっている。痛みが解消しても元気な体には戻れない?そんな弱気な気持ちにはなるがブログを読み返してみると何度も腰の痛みではなく足の痛みで歩けなくなっている。それが腰に来ているので最悪。
それが分かりお尻の筋肉を付けて股関節が柔らかくなり足上げが頭に近づける様になれば100歳まで健康で生きられる。その事を多くの人が口にしているが自分(親父)はどうだろう。その時長男はまだ今の親父より若い。ただ間違いなく不死身の体力と知力を手にしているのはジジイに違いない。問題はその時の幸福力。それもジジイが勝っている?そんな30年先は生きていない?
2023年1月18日 (水)
日銀総裁 10年間の金融緩和政策 支持したのは誰 自民党と創価学会 だけではないだろう?支持者だよ そのツケはいつまで払わされるの?政治に関心がない多くの国民 選挙にも行かないで政治に関心がない?一方のその批判も出来ない評論家、報道関係者 これからどんな弁解をすののだろう?
水仙 この花の花言葉は知らないだろう どうでも良い?多くの人がそんな生き方をしている。景気が良くなって明るい世の中になってほしい?この花をいくら眺めてもそんな気持ちにならないのはどうしてだろう?よく花を眺めてもまだ距離が遠い。この花を見てこの世の行き先をどう予測すればいいのか分からないが、これだけの健気な花弁を見ていると微かに匂う気高さ。今年こそそんな生き方をする。
ここまで綺麗に出来たのだからこの奥も綺麗にして下さい?誰もそんな事は思わない。この奥の押し込んでいる瓦礫も今日左に絶好の捨て場を見つけるが来週からは大阪市内の電柱の地中化工事の進捗状況を自分の足で確認する。そんな無意味な事をしても何も得るものはない。誰もそんな忠告すらできないが大阪でも東京でも大都市の電柱の地中化工事は20年も前から進んでいる。多くの人はそんな事は何も知らない。
信じられない事ですがその目的と課題と価値を多くの地域住民は知らない。電柱が地中化される喫緊の課題は地震、火事、台風、雪等の自然災害対策。そんな事はどうでも良い?そんなおバカも少なくないが電気の必要性は誰でも理解はしている。ところがその電気の発電、送電についての理解は全く無い。原子力発電をこれからも続ける。そんな国の政策がまだ支持される。核廃棄物の受け入れ先も全国何処にもなくても?
その程度の事も知らない。原発銀座と言われている地域の理解も放射能廃棄物の受け入れは完全に否定されている。そんな社会が親父達の世代では乗り越えられない。その原因は何だったのだろう?その問いかけもない。物価対策?来週から始まる国会では何が議論されるのだろう。
今日は島根県町広報の青年と懐かしい島根の話をしました。大阪にも県事務所がある事が分かりましたが現地に出向いても大した話は聞けないでしょう?しかしそれでは問題は何も変わらない。地方創生。地域の活性化は全国何処でも問われているが島根の素晴らしさを知る大阪人は多くはいない。それは如何して?島根は大阪から行くルートが近くて遠い。春になっても行けないに違いない。
足腰の痛みまだ続く しかし夜は眠れるようになる これは嬉しい
大阪はどんよりとした天気だが明るさがある。その明るさがどれだけ多くの人の暮らしを明るくしているかは知らない。
今年も既に半月を過ぎているがその兆しはまだ感じられない。その原因は何?それが分かれば苦労は無い。
尤もその苦労は何もしていない。苦労をしてもしなくての多くの事は何も変わらない。その事を報道出来ない新聞は最近全く読む事はない。
テレビも公共放送の信頼度は災害発生時のみ?それも無くなっている。
多くの人は自分以外の多くの人の苦労を何も知らない。それだけでなく関係ないと気にも留めない。
但し全ての人がそうではない。そう信じて懸命に行動している人も少なくないが世の中は何も変わらない。
そう思われている。
難しい話になるがこれから物価の値上がりが当然の様に始まる。始まっている。その原因は日銀と政府の経済政策。それだけでなく世界的要因も大きい?しかしこの解説は公共放送でも難しい。その理由は簡単。そんな解説はちっとも面白くなく理解できる知識もない。
これだけ物価の値上がりが深刻になっても日銀の金融政策は変わらない?そんな事もない。いくら日銀総裁が金融緩和を続けると声高に叫んでもこのまま続ける事は出来ない。どうして?その程度の経済知識も多くの国民にない。その程度の解説(説明)も出来ない政府自民党。
物価対策は多くの生活困窮者だけでなく切実な問題になってもその対策は口先だけ。その事を国民は理解できない。
その対策は簡単です。毎日どれだけ生活費を切り詰めて生きていけるか?それが出来ても出来なくても誰も手を差し伸べる余裕はない。
その程度の事を思い知れば日々の生活は大きく変わる。そんな暮らしはまだしていない。
腰の痛み長引いている しかしこれからの歩けない老人を思うとこの教訓は有り難い
ここは何処?そんな問いかけもされない。この水仙は一昨年迄は全く見れなかった。ここが藪だったから。その藪を伐採してもらったら、昨年からこの景色が見れるようになった。しかしこの水仙の手入れは全くされていないので香りは微かに嗅げるが花に輝きが無い。
これから花が咲き誇ってもまだそんな勢いは感じられない。この花にそんな美しさを期待するのは勝手過ぎる?そうかもしれない。何も手を差し伸べる人はいないのだから。花言葉は親父の大好きな言葉。「慈愛」です。そんな人は探し求められるのだろうか?期待していない。
この庭も完成には程遠いがここまで誰も土を掘り起こして水捌けを考えた整備はしていない。国の為、地域の為、自分自身の為、多くの人が多くの事を尤もらしく口にしてもここは本当に汚い様相を晒していた。そこを一人でコツコツとこうして綺麗にしても誰も見向きもしない。
その訳は全く想定外だったがそんな世の中になっている。どんなに多くの事を口にしても人のことはどうでも良い。自分の事もなるようにしかならない。長く生きる事も惨めな生き方も関係ない。そんな人が多くなっている。ところが実際は何も出来ない事を知らないだけ。そんな年を重ねている。
ただ今年は違うよ。そんな囁きが聞こえてくる。ここが長い間、墓場の様な水捌けの悪い足も踏み入れられない所だったが見事に変わっている。そしてこの場所は更に綺麗になる。それでもその変化は誰も知らない。何と嬉しい事だろう。それは汗を流した者しか分からない。
今年も多くの不快な事に向き合うに違いない。自分の力で何かを変えるその行動は永年やって来たつもりだったが何一つその成果を手にしていない。その多くは徒労ではなかったが自分の物にはほとんど出来ていない。何故だろう?その理由に関心もなかった。嘘だろう。打算。その能力が無かったに過ぎない。それも違う。計算が出来なかったに過ぎない。それが変わる?無理だろう。無理無理。それで死ぬか。それは無い。
六甲の夕暮れも何度も写真に収めたが何度も何度も語りかけてくれた事をまだ理解していない。ただこの山並みを半日足らずで走破する人はいてもそんな真似はできない。しかしこの景色を一番眺めたのは親父に違いない。違います。上には上がいる。その記念碑もこの国の敗戦をどんな思いで眺めたのだろう?来週からの国会の論戦で政府自民党がどんなに立派な言葉を並べても、この国はアメリカに原爆を2発も落とされた無条件降伏の歴史を否定は出来ない。
2023年1月17日 (火)
公園整備ようやく終わる ただ誰も見向きもしない それでも腰の痛みにも全く影響はなかった。この教訓は何よりの喜び まだ大阪市内は歩けない
アジの開き。2尾で398。美味そうと手にしたが生臭い。買った商品が期待を裏切ると2度と買わない。産地は公表しないがそれは自業自得。その反対もあるので明日は生姜を微塵切りにして臭みを消す。この魚が臭かったのは干し方にも問題があるが調理の方法にも問題があったと言う事だろう。明日はこんな粗末な食べ方ではなく焼魚にした方が美味いに違いない。魚を芯まで焼ける料理器具を持っている。
昨日買えなかった三ケ日ミカン。毎日贅沢な買い物をすなと言われても仕方がないがミカンは骨粗鬆に効果があると言われれば毎日買っても安いものかもしれない。しかしミカンもこれで498はないだろう。蜂蜜は滋養強壮。腰の痛みに効果はなくても体力の衰えは食事の中身が左右する。これから10年とは言わなくても5年間はバリバリと行動しないといけない。それだけではない。体のバランス間隔を取り戻すにはストレッチも必要。その証明は簡単では無い。
この石柱が完全に地面に埋まっていた。その場所を見事に綺麗にする。これだけ綺麗にしても「余計な事をしてくれた」そう思われている?マサカ。そのマサカはこれで終わりでは無い。(まだやんのか)やりません。と言っても腰が痛くてまだ4キロ5キロは歩けないので痛みがなくなるまでは様子を見る。ここがこれ以上綺麗になるとマジでヤバイ?どうして?そんなおバカがいる?無視しているけれど。
本当にお見事です。ここがゴミ捨て場だったとは誰も思わない。土を掘り起こして手前に描き出している。
これが完成した広場。広場と言ってもこの奥の石に腰を下ろして瞑想に耽る人は現れる事はない。親父が時々訪れてこの奥の聖地を伺うぐらい?それは今の処計画にないが他の人はやらない。(やれない)それだけ簡単では無い。ただそんな仕事は誰も関心がないだけ。その程度の生き方をしている。それでも何も問題はない。余計な事をするな。そう言われる事も無くなる。ザマーミロ。これだけ綺麗になるとそんな言葉すらない。
今日は28年前の阪神淡路大震災の時。多くの事が語り継がれ多くの教訓を学んでいる震災の悲劇。しかし、手を合わせるだけでは何も変わらない。関西はいつ起きてもおかしくない東南海地震の対策がほとんど行われていない。そんな事は誰も信じないが間違いなく28年前の震災の被害を大きく上廻ると言われている対策は絵に描いた餅。
その実態はどれだけ認識されているのだろう。腰の痛みが和らいでいるので自分の足で歩きながらその一端を知る事が出来る。電柱の地中化。歩道の整備。避難場所の見直し(高台でないと意味が無い)現在大阪市の大阪湾に押し寄せる津波の高さを知る人は少ない。
専門家でも予測が難しい理由を地域住民は知らない。大阪湾沿岸地域に5メートルを超える津波が押し寄せたらどうなるの?そんな避難対策は高台にに逃げる事。その高台の高さも行政は明示出来ない。? 親父の住んでいる池田でも避難場所は最寄りの小学校。猪名川の堤防から逆流してきた海水が溢れたら安全は確保できない。そんな避難対策は何も無い。どうする家康では無い。どうする。運を天に任せる。それしかない。
明日の朝は久々に冷える。しかしその時はゴミ出しの時だけ ゴミが出さなくなったらどうする そんなサービスは無い そんな時代がやって来る
昨夜の放置されたビールの空き缶。誰も片付けてはいなかった。親父がここは腰が痛くて休む所。そうでなければ横目で通り過ぎるだけ。ここにこの缶を捨てた(放置した)?おバカは自分家のゴミ捨てをどうしているのだろう。嫁が捨てている?嫁にも捨てられて自分で捨てている。
ところがこのゴミ捨ても「侭ならない」時がやって来る。そんな時代はどう生きるのだろう?そんな事は全く関係ないと思っていた。そんな時代がもうすぐやって来る。その時、誰が面倒を見てくれるのだろう?家政婦さん。日本ではそんな元気なお年寄りがどれだけいるのだろう?
そんな報道は何もない。高齢化社会の対応が出来る生き方のモデルケースは誰も知らない。ならばそれで飯が食える?アホか。
今日綺麗にした公園のグリコのおまけ?実はこの公園の整備は昨日で区切りをつけたつもりだった。ところがやり残している事はまだまだある。それでも区切りをつけたのは徹底的に綺麗にしても何の意味もない。余計な事をするなと言われるのが「関の山」そう思っていた。
何事も程々で目立つ事はやらない方が無難。意見される事もない。ところがそんな世の中は何処にもない。その事を知らないだけ?そげんこつ(そんな事)が何処にあるのか?その非常識が問われて久しい。しかし世の中は分からない。今年の最大の想定外はそんな常識のどんでん返しをどれだけ見せつけられるのだろう?
そんな事は何も無い?間抜けな奴らはこの国の多くのどんでん返しを知らない。そんな国がまた復活する?訳が無い?そう思われている。先日、面白い記事を見る。こんなおかしな国になったのは携帯の所為。自己の不在。人の意見、情報しか見聞きしていないとおバカが多くなる。
確かに携帯しか目にしていない人が殆ど。その情報の発信で飯が食える。そんな時代にこれからの高齢者はどう生きる?そんな教えは何処にも無い。本当の高齢化対策とはそう言う物。その事が証明される時代が目前に迫っている。情報がどんなに垂れ流されてもその情報は生かされる事はない。
江戸時代は人糞(糞、尿)です農地の肥えにした。現在人は何を糧に生きているのだろう?その答えは分からない。今年はどうだろう?
今日はこの場所の凹地を埋める。この真ん中右寄りの白い部分は親父がスコップの先で削った石。この石の高さが25センチ弱あったので相当土を被せている。しかしその土は表面だけ。その下は大きな石と瓦礫を流し込んでいる。まだ足で踏み固められていないが数日で完成する。
この木の根はきちんと残して小石を敷き詰めれば完了。暫くは雨も降らないし雪は粉雪も舞わない。それでも明日から暫くは寒くなる。
この橋は歩道橋。右に体育館があるがここはバイクは自転車の駐輪場ではない。その事をこの公園で仕事をする度に感じていたがいくら体育館の責任者と行政の管理担当係長に指導しても改善されない。街中の放置自転車と全く同じ。ならばここに駐輪させない(出来ない)仕組みをつくれば良い。そんな気持ちが試されて久しい。そろそろすっきりさせる。(半月後)出来るかな。それは月末に分かる。
ここが区切りをつけた公園?ここは一昨年綺麗にした公園の水捌けを考えた排水路兼庭。ここも格好の猪ちゃんの運動場。柔らかい土は格好の砂浴び場。その場所を掘り返して小石を入れ堅くしている。そうすると猪は人間より賢い。ここが食い物があれば別だか運動場は人間の匂いで警戒する。
ここも綺麗にして置けば暫くは寄り付かない。それでも半月は持たない。その対策もきちんと考えているが親父には出来ない。何度の指示してやらない公園管理者。竹の柵を見直す。その程度の事が簡単には出来ない?アホコケ。猪にバカにされる。この公園に入り込まない柵は簡単ではないのかもしれない。
2023年1月16日 (月)
2023年1月15日 (日)
高齢化社会 少子化社会 その対策は 税金のバラマキ 餅まき、餅拾い 高齢化少子化は止まらない 健康寿命の取り組みを加速させる
この先には素晴らしい散策の道が続いている。しかしこの道を車で平然と上り下りする市民も少なく無い。ただこの上には駐車のスペースがあるが駐車場は無い。その理由を多くの運転手は知らない。その理由は行政の管理者でも知らないが元々は車の通行を認めていない。それが何時の間にか、なし崩しに自主規制が蔑ろ(ないがしろ)にされている。この道は歩行者優先である事も知らないドライバーも少なくない。
この公園にも駐車場は無い。だから車では来れない。阪神甲子園球場と同じ。その程度の事も分からないおバカも少なく無い。
ここは家から駅までの道で親父が腰の痛みに耐えかねて腰を下ろして休憩する所。その場所にこうして空き缶を置くおバカ。ここで親父は一休みをするけれど飲み物は必ず持ち帰る。それが常識。ところがそんな常識がこうして通用しない。このおバカ。何時までもそんな生き方が出来ると思っている。流石の親父もこの空き缶はそのまま。誰は片付けるのだろう。この用地はキリストカトリック教会。明日には無くなる?
腰の痛み収まるのは何時?今回は簡単に治らず(おさまらず)これは吉兆 それとも凶 災転じて福と為せ
この写真解説がないと分からない。この公園の中で一番大き方大木。既に朽ちていたが切り倒されるまでは倒れる事はないと思っていたがよくみると根元から朽ちて倒れている。その幹は段々朽ていづれ土に戻る。その樹脂の表面をスコップの先で剥ぎ落としている。そんなことをしなくてもこの木が完全に老い朽ちるまでに数年は掛からない。親父の身体も段々他人事では無くなる。
公園の整備もようやく終わりました。これだけ綺麗に出来ても天気がすっきりしないので綺麗な写真はお見せできませんがそれでも上等です。まだまだやり残した事が一杯ありましがそれも誰もやらないでしょう。ここは池田市の公共の施設ですから個人がどんなに綺麗にしてもそれは違法です。ただここが余りにも汚かったから綺麗にしただけ。それも駄目だとクレームをつけるアホもいるが彼らは何一つ行動には移さない。能書きをコクだけ。それで綺麗になった公園は何処にもない。それで何も問題は無いと思われている。
この場所はまだ土が湿って表面が綺麗に掃き清められていないが天気が続いた時にホウキで掃けば見事に綺麗になる。
この大きな石も表面は薄汚れていたがスコップで突き刺せばその表面は削り取る事ができる。この石を公園整備の時ここに置いたのはため池の目印だった。ここに大雨が降った時水を溜めることを考えていたが考えを改めている。ここまで奥の土を書き出す事は全く考えていなかったのでこれが正解になっている。現在ここは少し凹地になっているのでまだ小石を敷き詰める事が出来る。
この木の根元に小石を敷き詰めれば水溜りの心配もなくヌカルむ事も無くなりこの上に気持ちよく上がる事が出来る。しかしそれだけの砂利と入れる事は簡単では無い。砂利は土をフルイに掛けて自分で確保しなければならない。そんな仕事はこれから暇を見てやれば良い。
冬春夏秋(とうしゅんかしゅう)この言葉は親父の造語。今年はそんな生き方をする。冬の厳しい困難は春には和らぎ、夏の暑さの中で成長し実りの秋でその成果を確認する。そんな一年も半月過ぎました。六甲の山も静かにそんな生き方を見守ってくれるのでしょう?この山の形は故郷大分佐伯の大入島の形に似ています。方や関西を代表する山。此方(こなた)故郷の豊かな島。その懐にどんな形で飛び込んで行けるのだろう。
どんよりとした天気 雨は降らず 今年最初の仕事は今日で終わり 見事な水仙はこれから?
見事な水仙はこれから腰の痛みはあまり感じないが左足の筋肉の衰えは日に日に深まる。
ただ有難い事にどんなに痛みを感じても夜眠れない事はなくなる。これは何とも嬉しい。
腰の痛みで左足に痺れを感じると数百メートルを歩くのが辛くなる。これからの生き方で一番大事な事は何なのか?その事を年の初めに痛感した事は今年最初の喜びです。今年は間違いなく生き方を変える。これまでのブログを読み直してみる事は余りなかったが多くの思いが何も実現していない。しかしこの年でこれだけの事を実行できるのはそのお陰に違いない。問題はその結果。
その結果の見直しがほとんどされていない。それは自分だけの事では無い。多くの事が何も変わらず同じ事を続けている。
大阪府政最大の課題は「大阪万博の成功」?違うだろう。大阪万博の成功は確かに重要課題に違いないがその事が最大の目的ではない。
その程度の事が全く分からない人も少なくない。大阪府知事が今、一番問われている事。それは何なのだろう?景気対策と結構な人が何の迷いもなく口にされるが残念ながら国のレベルでもその対策はなかなか進まない。景気対策は成果の確認。その事に尽きるが多くの人はそんな事はできない。親父も同じに違いない。それが出来れば間違いなく年末に感じる事は達成感に違いない。
少子化対策国の対応は遅い?少子化対策はお金のバラマキで改善されるの?高齢者のコロナ死亡対策は出来なくても?東京都小池知事?大阪も同じか?
この公園の整備も明日で区切りをつける。今日は(昨日は)小雨の影響で地面の土が湿って仕事は捗らなかったが明日(今日)はどうだろう?昨日、いつものバス停でバスを待っていると見知らぬオバチャンに声をかけられる。「ご苦労様です。今お帰りですか」会釈は交わしたが言葉は交わす暇はなかった。言葉は交わさなくても見てくれている人はいる。それでもこの場所で言葉を交わす事はないだろう。
この場所はこの場所を掘り起こしてこの石柱を掘り出した時の写真。その前はここは荒地。その前は雑木が生い茂っていた。しかしこの左の記念碑がこの場所に移設された時は綺麗に整地されていたに違いない。今から90年弱前の話。それがここまで綺麗にされるとは誰も思わなかったに違いない。日米安全保障軍事同盟。当時はそんな世の中ではなかった。鬼畜米英。この国は神国で負けるという選択は何処にもなかった。
その国がアメリカと対等の立場で中国、北朝鮮、ロシアと立ち向かう。本当にそんなことができるならこの国の未来は大きく変わる。誰がそんな事を信じるのだろう。それはこの国の未来の子供達が決める。そんな事が分からない老いぼれ達。いずれこの国の国際紛争は軍事の力で決まる。本当にそうだろうか?
国際紛争はいつの世も変わらない。それでもロシアがどんなに追い詰められても核兵器は使えない。その事がいまだに否定出来ない人が少なくない事も悲劇に違いない。ウクライナの戦いは大国の奢りと小国の悲劇?いつまでもそんな高みの見物は出来ないだろう。
日本国憲法の改正が行われても軍国主義の悲劇は何も学習出来ない?そんな未来が歓迎されている?ベトナム戦争の悲劇を知らないから?歴史をなぜ学習しないのだろう?関係ないと信じているからだろう。自衛隊が軍隊?そう思っているのは戦死の可能性を知らないから。
それとも国の為に死ねる。太平洋戦争の悲劇をどうして学習しないのだろう。中国は世界のリーダーになるのは21世紀の時間の問題と言われてきた。それが砂上の楼閣になるのはアメリカと軍事衝突を引き起こした時。それは台湾の軍事制圧。その覚悟は中国には無い。
どうしてそんな過激な発言が報道されないのだろう。中国はアメリカを軍事力で制圧は出来ない。アメリカもまた同じ。そんな世界の対立はこれからも続く。そんな現実をこの場所も淡々と見ている。そんな日本人はどれだけいるのだろう?関係ない。そんな生き方をしている。
2023年1月14日 (土)
明日も快晴にはならない?天気予報は当たるな。当たらないのは経済対策 その訳も知らない?それでも何も困らない?
今年も水仙が満開の時を迎えている。この水仙も陽の目を見たのは昨年から。一昨年までは藪の中で誰も窺い知る事がなかった。今年はその2回目の冬。まだこの場所が一面の水仙の花で埋まるには及ばない。この水仙は何も手を加えなくても爆発的にその勢いを増す?それは間違いである事を間違いなく思い知らされる。ただそんな事もどうでも良いのだろう。そんな生き方をしている。
ここは通路ではない。暖かかくなれば地域の子供達が親子連れでやってくるかもしれないがその数は知れている。それでもこの道をこれだけ綺麗にしたのは、ここが大雨が降れば雨水が流れ下り小さな溝になっていたから。左の枯れた草は天気の良い日に野焼きをすれば綺麗になるがそれをやると違法です。
許可が要る。そんな事は誰も知らない?この草も短いクワで少しずつ掘り起こして草を掘り起こせば良い。しかしそんな事は公園管理者でもやらない。親父はどうかな?分からない。腰の痛みが良くなれば出かけるところは決まっている。何処?でしょう。
大阪福島から桜島(北港)の電柱の地中化工事の進展。この工事の重要度は殆どが知らない。どうでも良い?その程度の認識です。大阪の最大の課題?大阪万博の成功?その程度の認識です。花の都「東京」。水の都「大阪」も 東北大震災の教訓は何も生かされていない?
それは言い過ぎかい?それは現実を知れば愕然とするに違いない。阪神大震災の教訓も全く生かされていない電柱の地中化。避難場所の確保。大阪湾に5メートルを超える大津波が押し寄せれば地域の避難場所は水没する。その対策は5メートル以上の高い場所に逃げる。
電柱の地中化はその安全確保。(スムーズに混乱なく非難出来る)その事業の実態は何も知らない。
今日は昨日からの小雨で地面は完全に湿っていた。それでもこの出っ張りの土は完全に綺麗にしました。明日はこの手前の凹みをさらに深くしてそこにこの右側の聖地で掘り出した大きな石を放り込み、この場所の作業は終了です。その仕事の出来栄えはお見事です。自分で言うな?そんな仕事をしても誰も拍手はありません。しかし間違いなくこの仕事は10年先に見ても満足できるに違いありません。その評価ができる人も限られています。そんな事もどうでも良い。それは神のみぞ知る。ちげえねえ。
鼻水を垂らしながらコーヒーをすすりながら遅い朝食 足の痛みは収まって居るが体力の衰えを思い知らされて居る
今朝は何も知らされていなかった隣街(伊丹市)の地震訓練警戒アラーム(携帯)で起こされる。親父の今の生活は就寝時間(布団に潜り込む時間)が遅いので予定がなければお昼前。早くて10時半。アラームで起こされたのが10時。一瞬どうするか考えたが迷う事はなかった。(まだ速い)。早くはなかった。次に目覚めたのは昼前。それでも勢いよく立ち上がる事はなかった。結局起きたのは1時過ぎ。
いくら歳をとって一人で気ままな生活をしているとは言え、こんな無様な生活はアカン。そんな気持ちが少しはあったがこれだけ気持ちよく寝れれば文句はない。これからの年寄りは夜は9時前に寝て朝は6時起床。そんな生き方が求められてもこの親父は無理だな。しかしそんな生活も長くは続けられない。遅くとも現役世代の様な生活が求められる。それはありません。早く起きて今の生活パターンを変える?
それは生活環境が変わらないと出来ないでしょう。生活環境が変わる?「田舎暮らし」これからは(今でも)そんな生活に憧れる?それはどうだろう今、全国各地でそんな生活を始めて公共放送でも「ヨイショ」をしているが生活環境を変えるにはそれなりの覚悟と生き方が求められる。それが分からなくても行動が出来る?訳が無い。だから地方も都会も変わらない。その程度の事を誰が教えているのだろ。
2023年1月13日 (金)
咳は出る 鼻水は出る 寒気がする エアコンは効かない (オイオイ健康体操は?)それでもコロナには感染しない。それは嘘です。熱が出ないだけ。
立派なミカン ただ関西のブランド品(有田)では無い。和歌山産。和歌山と広うござんすが特定されないという事はそれだけのミカン?
静岡のブランド品は三ヶ日。このみかんはこの程度の大きさだとこの値段では変えない。関西と関東ではみかんでも買い物客の求める品質が違う。どんなに美味しいみかんでも高い値段は売れ残る。売れ残った商品はどうなるの?処分される?これまであまり問われていない食品の廃棄。その実態は殆ど報道される事はない。スーパー、小売、コンビニの売れ残りの処分は追跡してみるとそれだけで飯が食える?
今夜の食事。数日前から買い置きしていた冷凍食品の「極上ハンバーグ」期待以下だった。ハンバーグは田舎から18のときに大阪に出てきてこんなにうまい物を食った事がなかったと思った一品だった。少ない手持ちのお金で営業の仕事をしながらの昼食は贅沢だと思った事は一度もなかった。それだけうまい物を食っても営業の仕事はうまくは行かなかった。それでも悔いる事は何も無かった。あの頃の満足感は今、あじあうには簡単では無い。これから残された人生の課題はどれだけうまい物を手頃な値段で口に出来るかに違いない。
今日の公園整備の現場。天気予報が当たりポツポツの雨がシトシトに変わり地面が濡れる。写真は暗くなって写して居るのでこの程度しか分からないが殆ど整備は終わって居る。これからこの場所で綺麗な水仙を間近に見えるが雨が降ると傘が手放せない。傘を手にしてそんな景色を楽しむ人は殆ど居なくても上等です。これから半月の間今月末まではそんな景色が楽しめる。
明日も暖かいが天気予報は晴天では無い。しかしまとまった雨が降るのは3月になってから。それまでの間、ここで多くの事を考える事が出来る。有難い事に腰の痛みは日に日に良くなって居る。ここまで足腰が弱って居るとは思わなかったがこの侭では間違いなくよろける様な歩き方しか出来ない。その前触れはすでに出て居る。それを鼻で笑って意識も足りなかったが今回の腰の痛みでその愚かさを思い知る。
この広場のこの表面は熊手の片割れ(半分かけた5センチ足らずの爪)でもっと綺麗なフカフカの土になって居る。来週になると足が遠のくので猪ちゃんの格好の運動処になるに違いない。この公園管理者は間違いなく何の手も打たないに違いない。その時はどうする。柵を整備させる。ここは公園であり猪が闊歩(かっぽ)する所ではない。その事は猪の方がよく理解をして居る。
1月もはや13日 仕事はまだ本格始動しない 結構な日本経済 それは全く違う それが分からない?
近くで積水ハウスの賃貸マンションが完成に近づいて居るがその外枠の仮設のパイプを業者が半パーで叩きながら解体して居る。
大した音ではないがこの仮設のパイプは組み立てる時も煩い。それはこのパイプの構造にある。このパイプは本当に良く出来て居るが今でも叩き込みのパイプが多い。叩き込んで組み立てれば解体するときには当然叩いて解体するしかない。それが煩い。その苦情が近隣住民から多くなれば建物の建設業者はどう対応するのだろう?その程度の対応が現場監督になくてもマンションはもう直ぐ完成する。
今夜から雨模様。明日は雨が降れば公園整備の仕事はしない。今日は薄曇りだし家に居てもパイプ解体の音が煩いのでこれから出掛ける。腰の痛みは和らいでいるが歩けば当然痛みはぶり返す。その時は一休みすれば良いがそれも不要になる?(なりません。今回は体のバランスが崩れて居る?)どういう事。以前から気になっていたが体のバランス感覚が崩れてふらつきを感じる。
これが酷くなるとよろけて完全に体のバランスを崩す。以前から苦笑していたが目を瞑らなくても片足立ちが出来ない。今からでも出来る事。手でバランスをとりながら目を開けて片足立ちをしてみなはれ。10秒も立てない。これを30秒に春が来る前にする。(嘘だろう)嘘ではない。それ程に老化は進んでいる。腰に負荷が掛かるのは当然です。
今腰が痛い左の足は5秒も立てない。何時からこんな無様な体になったのだろう?その答えは簡単です。年を重なる10年前から。気にならなかっただけ。片足では腰を支える事が出来なくなって居る。片足で足の曲げ伸ばし(スクワット)が出来る様になるのは今年の秋?
それが出来たら宣伝出来る。そんな年寄りが多くなれば元気な高齢者が多くなる。その健康教室が行政ではなく個々人の意識で活動が活発になる。そんな後期高齢者が多くなる世の中は今年も期待できない。それなら自分でやりなはれ、そう言われて居る。大きな石が腰をかけるだけでそのよこに一本の木がある。その木を支えにして足腰を鍛えられる事をまだ確認していない。
パイプ解体の音が静かになる。仕事が終わる。この業者も競争が激しいが静かに仕事が出来る方法がこれから求められる。その程度の事も簡単では無い。そんな事もどうでも良いと思われて居る。パイプの繋ぎ目を今の方法から「ネジ」方式に変える。そのタイプに変えるにはパイプを全て変えないといけない。その価値が大手の住宅メーカーでも出来ない。どうして?建設コストを上げる事は出来ない。
2023年1月12日 (木)
日米首脳会談 注目しているのは報道機関だけ?そんな報道より大事な事は何?それが分からない?そうではなくてどうでも良い?違うのだけど?その評価は誰がするのだろう?その程度の事も分からない?間違いない事は国民の支持がない事。それもどうでも良いか?ならば生き残れる道を探れ。それも無理だな。
ここはどこですか?多くの池田市民は知らない。何故ですか?この公園の素晴らしさが知られていない?それはどうだろう?
今年の政治と経済の予想は多くの人が尤もらしく語るが間違いなく外れる。それはどうしてだろう?その程度の問いかけもできない多くの指導者。そして1番の原因は現実を知らない私達。知らないという事がこれだけ深刻な問題になっても関係ないととぼけられる理由は何だろう?その事が問われても分からない。分からなくても楽観的に生きられる。それが今年も問われる。
公園整備の仕事今日で区切りをつける予定が明日に伸びる。この上の整備をしてその土と瓦礫を掻き出して整地をすれば終了と軽く考えていたが何しろ大きな熊手を手にしていない。それがなくても簡単に出来る。その考えが甘かった。少し力仕事をしたので腰の痛みがなかなか良くならない。
帰りのバスは遅れ、座れずに腰の痛みを懸命に堪えていた。それでも何も問題はない。ここが綺麗のなるのは時間の問題。それでもこの素晴らしい出来栄えに感想を述べてくれるお方は居ない。それでも上等です。体力の衰えを知っただけでなくその対策まで教えてもらう。
体力の衰え。それをタダで補える方法を知る。これからの高齢化対策。股割り。そげんこつ(そんな事)出来る訳がねえ?見てろ。多くの高齢化対策を語れる人がいない。全く居ない訳ではないのにその影響力の低さを知らない。それも関係ないか。ならばボケろ。
この公園の庭も一昨年の夏までは水捌けが悪くて墓場の様な所でした。そこがこうして綺麗になっても全く反応しない池田市民。地域住民がその違いが分からなければそれも当たり前田のクラッカー。クラッカーの旨さは最近口にする事もないがこれからの高齢者は煎餅(せんべい)?
今年も高齢化対策、少子化対策がどんなに叫ばれても改善はされない。どうして?そんな問いかけもない。高齢化の対策は健康寿命の取り組みが必要だがその取り組みのモデルを知らない。健康長寿日本一。健康で長生きが出来る。その取り組みは全国期でも行われているがその評価は問題では無い?
だとしたらどうする?どうでも良いと思われている。深刻な問題になってもなす術がない?そうでは無い。その素晴らしさが評価されないだけに過ぎない?この池田の高齢者の生き方を見て居るとそのテツは踏みたく無い。何時迄そんな事が言えるのだろう。それはこれからお見せする。(今日はまだ腰の痛みでそんな元気はない。)では何時?それはブログで報告する。
今日はここから掻き出した瓦礫の山を片付けるだけだった。大きな鉄の熊手があれば簡単だったに違いなかったが、小さい半分折れた熊手ではそうは行かなかった。明日の天気予報は良くないので区切りをつけたかったが予定は未定。明日になっても明後日でも上等です。
それでもここがこれだけ立派になれば何人も口を挟めない(はさめない)今日は左の顕彰碑にお詣りの人が来たので言葉を交わす。歳は親父より5歳上?一見元気そうだったが動く姿は完全な老いぼれ(コラ)親父も今年股割りが出来なければ間違いなく長くは生きられない。その事をこの石の上でどれだけ思い知らされる事だろう。その舞台を与えられた事にどれだけ感謝出来るだろう?
明日この瓦礫を完全に片付けたらその事が理解出来るに違いない。明日から天気は崩れる。そして週末は雨模様。ただ冷たい雨ではない。そして大雨でもない。雪国では積雪が一気に溶ける。しかし春はまだ遠い。関西の春は「選抜から」と言われるがその時まで2月と8日。長い様で短い。その時には大阪福島区と此花の北港通りの電柱の地中化工事どれだけ語れるのだろう?そげんこつ(そんな事)どうでも良い?
アホンダラ。間違いなく何時起きてもおかしく無い「大震災」(東南海大地震)のインフラの破壊はその恐ろしさを行政すらその対策は心許無い。大阪万博の開催地は大阪湾の北港。今、迷い込んでいるマッコウクジラは長くは生きられない。大阪此花区、港区、福島の多くの住民はその現実を他人事の様に思って居るに違いない。
足の痛みは和らぐ それでも左足腿の裏側は痺れている その原因は血流の老化?その対策はレバーを食え?アホか 🤣
親父のブログを読んでくれている人はまだ数は少ないがその人達に贈る言葉。それは「老いぼれない」対策。アホか。
アホではありません。その事が今、証明されている。どんなに元気な人でも歳を重ねれば間違いなく若者だった頃の体力はない。
それでも元気な人が目に付くのは何故だろう。それだけ元気な人が多くなっている?
ところがそれも違う。どんなに歳を重ねても元気な人は特異である事を知らないだけ?それも違う。
本当に元気な人はそれなりの生活環境と生まれつきの元気な肉体の持ち主?それも違う。
今、地方の高齢者の健康寿命がほとんど問題にならないのは何故だろう?ところがその実態は何も知らないだけ。
これからは地域の医療格差が問題になると言われて久しいが地域の高齢者は都会の高齢者の様に簡単に医療機関に頼る事は出来ない。
必然的に自分の体は自分で守る。それが出来なければ生きていけない。その事が当たり前の1丁目1番池。
その当たり前の事が都会では当たり前ではない。腰が痛い?整形外科。腹が痛い?内科。目が悪い?眼科。
そんな生き方をしている。昨年末から腰の痛みに悩まされ500メートル足らずも歩くのが精一杯だったが少しずつマシになっている。
その理由は炎症の治まり。炎症の原因は足上げの負荷が多すぎたから?そうではない。左足の付け根の筋肉がすっかりとなくなっている。椅子に座るとそれがよく分かる。どうして椅子の塩梅が悪いにだろう?そうではなかった。腰の塩梅は昔(子供の頃)軽トラの荷台にセメント袋を持ち上げた時痛めてそれが固まっている。そのストレッチが出来ていない。それだけの事。これからその対策を行う?それは無理。
ではどうするの。お尻の付け根の筋肉をもう一度付ける。それも無理だな。それが出来なければこれから間違いなく歩けなくなる。それでも何とか生きられる。そんな「老いぼれ」が多くなる。その仲間入りを今、思い知らされている。
どうする家康?大河ドラマをみる迄もない。その事が問われている。その状況も身をもって体験出来る、ご期待あれ。
2023年1月11日 (水)
明日は暖かい?最近の天気予報は外れない。暮らしの予報は?これも外れない。それなら先見の明はどうだ?これがサッパリ。今年は外せない。確かに。
学習塾の前の歩道。この草を抜いてホウキで綺麗に掃く。この塾長は若い女性?ホンマかいな。女性の感覚ってこんな物?最近は性の差別でウンチクは勝たれないが企業の社会的責任もこの有様でも問われない。子供達に教えている事は学力だけ?学力だけでは世の中通じないと思っているが現実はそうではない?えげつない大人がえげつない子供を育てている。そんな考えはこの街には無い。大阪維新の池田の街づくり?そんな事も問われない。
この街の観光マップの一部。今。親父が綺麗にしている公園は丁度このマップのど真ん中。ところがその明示はない。明治の時代に期待された国家像は戦争で叩き潰されてその記念碑と藤棚の公園は見向きもされない。その公園の整備も明日で一区切り。次は誰がやるのだろう?誰もやりません。見向きもされない。そんな公園が見向きもされなくて当然かも。ただそんな街の輝きは明るくは無い。違うかな?
この記念碑の感じが読めなかった。教えてくれた人も分からなかった。しかし賢人は携帯の漢字検索のソフトを使って教えてくれた。考えてみれば自分が手にしているこのパソコンに辞書でも知る事が出来たかもしれない。それをしなかったのは楽な方法を選んだから?たまにこの記念碑の読み方を聞かれる時、今は偉そうにうんちくを垂れるがこの記念碑も雨風にさらされるだけで手入れをする人は一人もいない。
ここは記念碑の横。ここまで綺麗にしたらクレームが付く?そんな心配は全くありません。ここがこれだけ綺麗になってもクレームをつける人は何もやりません。何もしない人がいくら苦情を直接口にしても相手になりません。これだけ綺麗にしても文句を言う人は自然保護?野生動物の保護?そして何よりも綺麗にされる事が鬱陶しい。
行政の許可を得てやっているのか?勝手な事をすな。市役所前の大きな公園を綺麗にした時、声高に怒鳴っていたおバカな市民もこの現場は知らない。これだけ綺麗に成れば文句は無い。ところが間違いなく悪戯をされる。役所にクレームが入る?その時は負けない言葉と文句が言えない成果を見せつければ良い。
当然、行政はこんな仕事はできない。感謝の言葉もありません?役所の上席はそんな反応は全く示さない。これがこの国の現実です。警察に通報する。そう言われた事もあるが今はそんなおバカはいない。今年は間違いなくこの上も綺麗にしそうな気がするがそんな暇はあるのかな?
この手前の瓦礫も明日スコップで掘り上げて瓦礫をこの左上の石の奥に捨てれば見事に綺麗になる。この石の周りに土を盛り上げる事も出来るがこの石の上に腰を下ろして足がブラブラ出来る高さに出来れば最高です。この石の上で今年の戦略が考えられる。これはこの仕事の最大の報酬に違いない。
今年の暮らしは自分で変える。世の中は何も変わらない。多くの人はそんな生き方をして死んでいく。六甲の山並みはその一部しか有り体に語れないがそれでも何も困らない。今でも腰の痛みで駅前から1キロ足らずの道を2回休まないと歩けないがこの痛みは間も無くなくなる。
その時大股でどれだけサクサクと歩ける事だろう。この国の未来を語る人は(語れる人は)多くはない。その人達が信じて疑う事の無い未来は誰にも分からない。今日多くの人がそんな生き方をしてそして耄碌(もうろく)する。耄碌する。この言葉の意味は何となく分かってもそんな事は他人事と思われている。耄碌という難しい漢字も既に書けない。意味は当然分からない。
腰の痛みは確実に回復して夜、眠れない事はない。今日も起きたのはお昼過ぎ。寝る時間が3時前だったがそれにしてもアカン。ただ何となく贅沢な気分。
風もなく快晴と言いたい大阪の空。しかし空気は冷たい。1時間足らずで雪国の景色を見る事は出来るが今年はそんな贅沢は出来ない。全国どこの観光地もまだそんな観光客は少ないが、冬の静かな景色を満喫出来る豊かな人は余り知らない。大阪から2時間足らずで蟹の美味い日本海の温泉旅館も3万円の予算では心細い。
交通費込みでどれだけの予算で一人旅が出来るのか?そんな商売が求められても、そんな積極的な宣伝もできない温泉と料理と自然が満喫出来る宿。そんな宿は知らない。そんな観光案内が出来ても大阪人の多くはそんな価値は求めていない?そんな事は無かろう?
そんな商売も政府の支援がないと出来ない?これからの旅行、観光客は少ないが取り組みはそんなもんなのだろうか?今年はそんな地方創生の仕事も出来そうに無い?そうかな? 政府の支持率が今年も間違いなく下がる。それでも役人達は何も困らない。自分たちの仕事の成果は誰も問わないから?それも今年は違う事をまだ理解は出来ない?今年はその変化が間違いなく問われる。それでも誰も何も困らない。
手の指先が血の巡りが悪くなっている。左の手の小指と薬指が痺れた時に整形外科でヒアルロンサンの駐車を4回打った事があるが効果が感じられたのはその時だけだった。その理由を医者に聞いた時、失望以外の何物もなかった。「歳を取るともっとひどくなる」その時決意した事を今でも行っている。それで充分。子供の頃に指先が悴んだ時(かじかんだ時)親から教わった事。結んで開いて。グーとパーの繰り返し。
やってみなはれ。グーとパー。歳の数さえ出来たら上等。大概はその半分で十分。指先がポカポカしてくる。腰の痛みはそれは出来なかった。腰の痛みの対処法はまず痛みを押さえ込む。ただ湿布薬も気持ちが良いのは貼った時だけ。塗り薬も余り効果はなかった。それでも痛みが治れば股関節とそれを支える筋肉の強化。自分の尻(ケツ)を両手で押さえてみろ。それだけで愕然とする。尻の筋肉の無さ。脂肪が垂れ下がっている。そんなケツでは痛みは当然。その事を思い知るに違いない。
春夏秋冬 泉谷しげる 冬春夏秋 オヤジ 春夏秋冬は何も始まらなかったが冬春夏秋はどうだろう それは初めて聞く言葉
六甲のその先は西国浄土に続く。西国浄土と言われても現在人の多くは知らない。親父もその世界は知らない。しかし間違いなく今その道に歩を進めている。どんなに自分の力だけで生きて来たと言い切る人でも間違いなくその歩みが止まる寸前は極楽浄土を願うに違いない。現在人は宗教とは多くの人が直接関係ないだけで日々の生き方そのものが多くの見えない因縁で生かされている。その程度の事が分からない?
今年も10日を過ぎたが今年の多くの願いは景気回復。商売繁盛。豊かな生活。親父は年金生活者で生活は保証されているがそれは川の流れと何も変わらない。今、大阪湾にマッコウクジラが迷い込んでいるがその環境がどんなに過酷な所であるかは知る由もない。
この場所が綺麗になったのは多くの偶然が重なっているが一番嬉しい思いはこの大きな石との遭遇。市役所前の「駅前公園」にミラクルの石があるがこの大きな石は間違いなく今年の大きな感動の一つに違いない。これだけの大きな石はここでは誕生していない。
この石をここに運んできた人の思いを知る由もないが、この石の壮大な力は間違いなく親父にとって地域にとって大きな力を与えてくれるに違いない。新年早々の腰の痛みはまだ完治していないが段々改善している。まだ長くは歩けないがそれも長くは続かない。
景気の回復は昨日の西宮恵比寿の3年ぶりの福男がダントツの一番で証明してくれました。しかし間違いなく一番は一人。全ての人が一番には成れません。賃金の上昇で景気が回復する?する訳がありません。賃金が数万円増えた位では焼け石に水。
そうは思わないおバカな労働組合のリーダー。昔、総評。今、連合。冗談ではありません。景気が回復する賃上げを労使の馴れ合いでこの国の経済を支えたそのツケはもっと深刻になります。その覚悟もなくて「賃上げ頑張ろう」何とも言えない気持ちにもならない。ではどうする。
その事が問われても立ち向かう気力がどれだけ残されているのだろう。そんな若者達がどれだけいるのだろう。彼らがどんな思いで政府を支持しているのだろう?その事が問われてもカエルにションベン。ケロケロ。ジジイはそんなガキ達に語る言葉はない。出来る事は結果で示す事だろう。カッコイイ?おバカです。それでもその体力と行動力は負けないに違いない。明日で(今日で)公園整備は一区切りです。
2023年1月10日 (火)
商売繁盛で笹もてこい 西宮エビス福娘の掛け声の多くの人は知らない そげんこつ(そんな事)無かろう 酒を持って来ると縁起物の飾り付けをして貰える。その笹は酒だと教えてくれた兄ちゃんは今どんな生活をしているのかな?笹を酒と間違える様では問題外?アンタも人のことはいえない。確かに。
駅前の一方通行の狭い道。この道にコンビニに商品配達の車がこうして泊まっても行政指導も警察の取り締まりも出来ない。昨年このコンビニの店員に「上司に伝えろ」と直接苦情を言った時、澄ました言葉で言われた事を忘れていない。
「店の商品を配達してくれる車がどんな停め方をしても関係ありません」この言葉を聞いた時、言葉を無くしていた。当然今年も変らない。多くのお店が天下の公道で荷下ろしをしても関係ない?そんな認識は行政にも警察にもなければ問題は何も改善されない。
改善される時は事故が起きた時。それでもこのコンビニの経営者とコンビニチェーンの本部の責任者は運転手の責任と惚けるのだろう。配送車の駐車場も確保できなくても商売はできる。そして商売繁盛。この手前の手すりはスーパーの階段です。
この手前にも車を停めても店は関係ないと問題とは思わない。ドライバーの問題ではない。その程度の指導も管理も出来ない地域住民もいずれ天罰を受ける。その程度の事が分からない?関係ないと思っているだけ。危機管理。リスク管理。危機予防。そんな事は全く関係ない生き方をしている。この車もここに停めないと商品の配達が出来ない。親父もそんな商品の配達をした事がある。
ここは公園入り口の土を掘り落ち葉をかき集めて捨ててその上にフカフカの土を被せていた所。そこをこうして猪に悪戯される。この上は五月山で自然が豊か。それでもこの上に住宅地はあるのだから猪も夜にならないと出て来れない。昼間だと猟銃で駆除される。
その対策は簡単です。イノシシがこの整備した公園には入れない様にする。その対策は簡単です。イノシシが入れない様に柵をする。その柵は曲がりなりにはあるのでそれを利用して竹の補強柵を造れば良い。それをやらない公園管理の指定業者、親父の整備した公園も簡単に踏み荒らされてもその対策は何もない。工事が完成するとそれは出来なくなる。行政にも報告している。それでも何も変わらない?変えさせる。
一昨年の秋、この藪を伐採してくれた後にこの水仙の密集地が出て来ました。その時この大きな石はこの外からは少ししか見えなかった。荒地をくわで掘り起こして瓦礫を土の中に埋め込むとこの立派な水仙が一枚岩の大きな石を見守ってくれていました。
今年はこの石の上で瞑目合掌が出来る。家康はその遺訓で「心に迷いが生じたら困窮したる時を思い起こすべし」と諫めているが、多くの人はそんな事は分からない。心にどんなに迷いが生じてもその打開策は見出せない。家康は長寿のお陰で天下人となり天下太平の世を確立しているが本当に困った時はどうしていたのだろう?
それは腹心を常に手にしていたから?ただそれだけではない。水の流れに逆らう事をしなかっただけ。時の流れを見極める願力、知力。決断力が人並みではなかっと事も知らないだけだろう。家康の大河ドラマが始まっているがその多くの教えはまだ多くを知らない。
後ろは藪の中に映えていた大きな杉の立ち枯れの根元。ここは崖の上で上に上がれる様にするにはプロの手が必要。この公園管理者にはそんな手間、暇は誰からも求められていない。この水仙も雑木林を伐採してくれた担当のお陰で陽の目を見る。来年はもっとその面積が広がるがそんな物は誰も期待していない。期待してもタダでは答えられない。その程度の事が分からない。
この瓦礫を明日近くの穴を掘りそこに埋め込んで土を被せればこの場所の清掃はお終いです。これだけ綺麗にしても「勝手な事をしてくれた。余計な事をしてくれた」流石にそんな事は言われない仕事をしている。しかしこの仕事の意味は多くが知らない。
信じられない事にこの場所が綺麗になってもこの公園の管理者は指定業者に行政は一任している。当然ながら「あっしらには関わり合いのない事でござんす」そう思われている。そうも思われていない。それでもこの仕事は今年は大きな成果に直結する。しねえか?
電柱の地中化。国家の大事業で10年以上前から始まっているがその実態を殆どが知らない。電柱が巻くなって電線、電話の回線、情報の有線がケーブルで地中に埋められる。その効果がどれだけの物か。その費用の額はどれくらいになるのか?そんな報道は公共放送でもニュースにもならない。
災害が起きた時、その復旧は素早い対応が求められるが、そんな事は関係ないと思われている。その知識もない。関西で予想される(間違いなく起きる)東南海地震の電柱倒壊の対策。1日も早く求められてもそんな動きは大阪維新には無い?知らんだけだろう?かもしれない。
腰の痛みが消えれば自分の足で確かめられる。ご期待あれ?そんな事はどうでも良い?大阪北港通り。野田阪神駅前から大阪北港(桜島)までも4キロが直線で繋がるのはまだ10年掛かる?もっと掛かる?そんな事はどげえでも(どうでも)良い?そうでは無い事を春までに証明出来たら嬉しいな。その為には足で歩いて実態を見ればすぐ分かる。これは誰も真似が出来ない。だから?その凄さは知らないだけ。
この上はいくら親父が暇でもこの草を全て剥ぎ取る事はできない。今年の多くの目標の合間にここに来てこの石に腰を下ろして瞑想する事はあっても土方仕事はやらない。ここがその気になればこの崖の上まで綺麗に出来る事を知ったとしても親父は一市民。公園の管理者では無い。そこまでやる事はないしやったとしても感謝される事はない。そんな仕事はいくらアホでもやらない。ここを綺麗にし始めてその目的は達成している。
内閣支持率が向上?この国の報道の認識はその程度?いいえこれは世論調査の結果。それが間違っているとは誰も思わない?それも無い。その程度の世論調査だとしたらアナタどうする?無視すれば良い。自民党は関西では維新に勝てない。これも事実です。そんな維新も自民の敵では無い?味方?嘘だろう。
すっかりこの紅葉の時は終わり、しばらくは木枯し紋次郎の出番?「あっしには関わり合いのない事でござんす」この決め台詞も知らないおバカも少なくないが明日からその思惑が問われる。それでも「あっしには関わり合いのない事でござんす」?そうは行かない事も分からない。
今年のスタートラインは関西は穏やかです。寒い寒いと背中を丸める事も殆どない。この小枝の先にもう直ぐすると新芽が吹き出してくる、しかしその時はまだ遠い。それまでに間違いなく次の仕事を終える。その仕事は内緒です。多くの人が知らない電柱の地中化工事の実態。
電柱を無くして電線、電話の回線を地中化する。そのメリットはその工事の成果は?そんな事は誰も知らない。雪国では電線が倒木でなぎ倒されて停電。その対策は電柱を無くして電線、電話の回線等を地中化する。そんな報道はこんな間抜けな世論調査をする会社には無い。
この民報。報道の何とかと言われていた会社だろう。今はその面影も無い。岸田内閣は長くは続かない。そんな事はないとでも言いたい?岸田内閣の支持率が回復するには何が必要なのか?それは外交の岸田をアッピールする?外交では支持率は回復しない。その事が証明される事はない?そうかもしれない。
2023年1月 9日 (月)
我ながら見事な出来栄え。何が?公園が。この公園誰にも見向きもされない。上等です。今年はこんな生き方をしょう。
腰が痛くて駅まで2回も休まなければ歩けないのに立派な公園の整備が進んでいます。でもこの先はやりません。この先をやると今年の夏迄ここに通わなければなりませせん。そこまでやるといくらなんでもやりすぎです。過ぎたるは及ばざるが如し。ここまでやれるとは思っても見ませんでした。
これも腰が痛かったから出来た仕業?ここなら歩く距離が短くバスで往復が出来たが他はそうは行きません。腰が痛いと殆ど歩けない。その事も貴重な体験でした。まだしばらく腰の痛みに耐えながら歩く事は出来ません。それでも凄いと思う事は体の回復力。この歳でこれだけの腰の痛みに耐え凌ぎ復活すればそれは何というパワーでしょう。ただ無理はできません、激痛が走れば文句無しに歩けません。
この石は何処からか運ばれてここに置かれている。何の為に置かれたのか分からないがここで長い間、人の目に姿を見せる事はなかった。これからこの石の上に腰を下ろして右の水仙を眺める事が出来る。しかしそれも今月一杯。誰がそんな時の流れを手にできるのだろう?
ここは今日の作業前。このかきだした瓦礫はスコップでフルイのカゴに入れ土だけ中に入れ綺麗にしている。
今日はこの目障りになっていた瓦礫を掻き出して手前に穴を掘り埋め込んでいる。そのお陰でこの石の上で大の字で腰を伸ばせる。ただその時は何時になるか分からない。この石の上で体を横にして瞑想が出来れば完全に伝道師です。これでどんな悩みにも対応が出来る。この瓦礫も全て掻き落として手前に埋めて整地をしています。明日その写真を撮れば素晴らしい庭が実現します。
この瓦礫も一度上に掻き揚げて土を掘りその中にこの瓦礫を埋め込めばここも綺麗になる。ただこの上はやらない。この上は次の仕事が終わってから。その仕事は春まで掛かる。3月?4月?5月?そこまで伸びると夏になる。夏には別の事をやらないといけない?
これだけの石を掘り出して整地した庭は春には多くの草が生える。しかし土を掘っているので柔らかい。簡単に除草出来る。そんな庭が近くにあってもその手入れも出来ない公園管理者。公園の訪問者。その事を思えばこれだけの仕事はアホでないと出来ない。そう思えば楽しい。この仕事は間違いなく5年は残る。ただその姿を親父が見れるかは分からない。見たいか?これは変革の一滴に過ぎない。
素晴らしい。明日はもっと綺麗になる。今年はどんだけの人がその事を実感出来るのかな?岸田内閣の支持率下落は止まる?訳が無い。そんな事も分からない?どうでも良い?内閣総辞職。その時は誰も知らない。そんな事はあり得ない?そうなのかな?
エビもカニもしばらく食ってないのう 馬鹿テレビが嬉々として高級ガニの美味さをがなって居る いくらすると思って居るのか アホンダラ
日に日にこの水栓が花開く。大寒の頃(今月20日)になれば一面水仙の香りが漂う?残念ながらまだそこまでの勢いはありません。その原因は一昨年までここは藪に覆われていたから。水仙の影も形も見えなかったから。この手前の石垣の上から大雨の時、流れ落ちていた土砂と雨水のお陰で手前の庭も足を踏み入れなれていなかった。
その墓場の様な庭を綺麗にしてこの水仙が顔を出している、雑木林を伐採してもらったのが一昨年の暮れだから水仙が見れる様になったのは去年から。それを考えれば今年の水仙の出来栄えは上等に違いない。そんな事も誰も知らない。これから見物に来て写真を撮る人はいてもそんな話を語れる人は殆どいない。
知らないという事はそういう事。それでもそれが当たり前?そうではない事も何も知らない。今日は十日恵比寿。福を願う人は多いがそんな事は誰も思わない。そうかなぁ。だとしたら今年も危うい。何が?そんな不毛の議論を今年はしない。不愉快になる原因を自分で垂れ流していく嫌な生き方は誰も快くは思わない。それが今年の自己改革?無理だな。無理な事は出来ない。そのバリアーを外せるのだろうか。
今年の生活弱者支援?生活弱者とはどんな人?他人事ではない事を誰も知らない?正月早々そんな生き方をして居る?していません。
今日は公園に出かける時間が遅く清掃の場所も違ったがこの花の香りを嗅ぐ事は忘れなかった。電子辞書の説明では香りも素晴らしいと表現されていたがこの花はそんなに豊かな花ではなかった。この花をこの坂道の植樹帯の中に植えた人は既に鬼籍に入ったのだろう。
花の木は立派に育っていたが花には華やかさは無く花弁にその存在感はなかった。それでもレンガの柵を乗り越えて木の側に立つと仄かな花の匂いが感じられる。まだ満開ではない。多くの蕾が開花をすれば華やかさを感じる?それはない気がしていた。でもようやく花の名前覚えました。
人の名前も名刺をもらわないと忘れるようになりましたがそれだけの老いを迎えた事かもしれません。老いては子に従え?無理だなこのジジイ。人の名前も忘れるようになるとボケ老人は近い?そんな事はありません。どんなに大事な事を忘れても小さな事、些細な事、どうでも良い事を何度も何度も繰り返す愚かさはまだありません。
(そうかな?そう思うだけ)今日5年前のブログを見直しながら5年先の事を考えていました。5年先の事を考えた事がありますか?大阪万博は終わり(災害がない限り)関西は素晴らしい発展を遂げて居る?それは関西人の儚い(はかない)夢、幻。
役所の5年先どころか1年先が分からない年の始まりですが今年は口先で無く行動で夢を実現したい。それがジジイの新年の抱負。すげえな。まだ生きるか?当然です。当然ではない事をこの親父は知らない。役所の人達は明日まで休み。今年はどんな仕事をしてくれるのだろう?
ここは藤棚の立派な公園。藤の勢いは春から夏に掛けてその命が迸る。(ほとばしる)しかし多くの人は市の素晴らしい生命力を何も知らない。ここ公園には3本の藤の木が命を繋いでいるが20年以上の大木は1本だけ。その真ん中の木も幹の中は空洞。大きなコブもあったがその殆どが今は無い。親父にむしられて居る。
2023年1月 8日 (日)
公園整備の仕事 手にした教訓は生かされるのかな?生かされません そげんこつ(そんな事)誰も興味は無い?なら止めるか?そんな気持ちは全く無い
小雨が止まないのでずぶ濡れになる前に上の東屋の休憩所に避難する。その途中に今年もカサカサの心を癒してくれる。ロウバイ?漢字で表示すると老梅?あんたのブログは疑問符が多くて読み難いと言われた事があるが全く気にしていない。疑問符が付くのは分からないから。分からなければ記事を書くなとも言われたがそれも不愉快に思い以後言葉を交わす事はない。そんな生き方をするのは人の意見を聞く気がないから?
イエイエ、そうではありません。不愉快な言葉と面は聞きたくもない。見たくもない。若い頃からそうでした。それでも親しい友が出来るわけがない。嫁さんにも言われた言葉。「アナタは自分勝手。ひとの意見は聞かない」一人で生きて一人で死んで行く。人の一生は千差万別。
それでも意見の違いを笑って聞き流せる包容力は未だに手にしていない。それでは寂しい人生になるが自分を殺して生きていく術はこれからも求めない?それはどうだろう?それは容易でない?だろうな。「1日一生」そんな厳しさは誰も手にしていない。その積み重ねの日々は哀れです。ただそんな生き方が最近は少し変化して居る。それは伝道師に近づいたということ?かもしれない。思い上がるな。アホンダラ。
この石の上に腰を下ろして生きる術を考える?そんな事をしなくてもこれだけの修行をしただけで今年の多くの課題を克服出来た錯覚に陥って居る。この聖地は単なる聖地では終わらない。間違いなくこれからの伝道師に巡り会えた気がする。箕面滝道の入り口の坂道を少し戻ると役行者様とインドの歓喜天が対面した石がある。この石はその石を体積では大きく超える。そんな悟りを手に出来る気がして居る。アホやのう。
訂正。(うんちく)ロウバイの漢字表示は蠟梅です。老梅ではありません。お友達に教えてもらいました。ただこのお友達は色々物知りですが何一つ親父に手を差し延べてくれた事はありません・それでも元気に生きています。親父と性格的に全く違っても親父とは違く生き方をしていてもこうしていろんな事を教えてもらっています。ただこの花がこの公園の近くにひっそりと甘い香りを漂わせて居る事は知りません。
蠟梅。この花の原産地は中国です。この蝋という時はロウソクのロウですが名前の由来は様々で中国名(ラーメイ)の日本語読み、花の色、光沢が蜜蝋(みつろう)を連想させる、臘月(陰暦の12月)に咲く花。等々です。親父的には中国名の日本語読みが得心です。
開花の時期も12月から2月まで。花言葉は「慈愛」この時期に目を楽しませてくれる「雪中四友」(せきちゅうしゆう)です。?蠟梅、玉梅、茶梅(山茶花)、水仙。この時期楽しめる花。(玉梅とは?)辞書で調べてね。早く出かけないと4時になる。
2023年1月 7日 (土)
天気予報当たる ただ小雨 小雨でもずぶ濡れになる 雨宿りは別の場所で そこも綺麗にする お主 ただものでは無い 🤣
福島のリンゴ6個 390円 原発事故の風評被害でリンゴも売れない?原発は絶対安全と今でも言い切る推進派?原発を過疎地でないと作れない行政と電力会社。その電力の大半は大都市で消費される。その恩恵に感謝出来る人は少ない。当たり前だと思っている。福島のリンゴは放射能汚染の心配は全くない。そう言い切れるのだろうか。福島のリンゴを噛みしめながら被災地の生産者の事を考えていた。
雨で途中掻き出した土と瓦礫をそのままにしてこの公園の上の休憩所(紅葉台)で雨宿りをする。大した雨ではなかったがシトシトと濡れてくると流石に作業は中断。上の紅葉台でも久しぶりに仕事をしていたのでこの場所の片付けは明日になる。それでも今日はいい写真が撮れる。腰の痛みは歩くと長くは歩けないがこれだけの仕事ができれば文句は無い。ここを掘り返して掘り出した石の数に驚いていた・
この上は傾斜がきつくて土を掘ったのはここまで。これだけの仕事は公園管理者でも出来ない。そんな公園管理は行政から求められていない。この場所も親父が勝手に綺麗にしているだけ。これだけ整地をすれば素晴らしい公園の姿が見れるが誰もそんな事は求めていない。この場所の整地は間も無く終えるがこれから先これ以上の仕事は親父でも出来ないに違いない。しかし素晴らしい成果を手にしている。
この顕彰碑をこの場所に移設したの昭和の9年。親父が生まれる10年前。その時この国は軍国主義、天皇陛下万歳の国家だった、この顕彰碑(旌忠記念碑)は今日の姿をこの「北田」さんも夢にも思わなかったに違いない。今、親父がこの地を整備しこの場所で瞑想が出来る様になり何が生まれるのだろう?今年初めてその事を感じる事が出来るのはもうすぐやって来る。ホンマかいな。スゲヱなあ。
この瓦礫はこのまま掬い取ってそのままカゴに入れ土だけを元に戻す。残った瓦礫と小石は捨てる場所がある。フルイを兼ねた籠に何杯あるだろう。それが終わればこの場所の整地も終わり。まだやり残していることも少なく無いが腰の痛みが取れればやる事は決まって居る。
雨でタケさんに買ってもらったウオーキングシューズがドロドロにんる。この靴も晴天の時に乾かせばまだまだ現役です。この後、屋根のある休憩所(紅葉台)に移動する。
ここは昭和29年に数代前の市長がこの街の基盤整備と失業対策事業としてこの辺りを整備して居る。今はその遺徳を知る人も少ないがこの街の五月山の素晴らしさを後世に残して居る。そんな事は地域住民でも知る人は少ない。この池田の街の緑豊かな素晴らしさはいずれ見向きもされなくなる?そんな時何を求めて生きて居るのだろう?死んでいるかもしれない。
雨が上がり晴れ間が戻って来る。それでも腰の痛みがまだ残って居るので今日は写真を撮って終了。
肌寒い1日?外に出てみないと分からないが曇天でも雪国の景色ではない 今日は見事な写真(仕事の成果)が撮れる
これからこの水仙が見頃になる。この時期はさすがに関西でも寒風が吹き荒ぶが近年その寒さは全く感じられない。地球環境が温暖化に向かっていると言われてもその原因は凄まじい世界的な環境破壊にあると言われてもその対策は誰が行なっているのか分からない。
国の方針では原子力発電のウエイトを高め火力発電の比率を大幅に減少するらしいが、原子力発電の「負の遺産」核燃料の燃えカスの処分の方法は何処も出来ない。それでも地域自治体はその投資金額で支えられている。関西では福井県が経済的に豊かで明るい未来を手にしていると言われているが、同じ事が言われた福島の悲劇は何も生かされていない。
原子力発電はその多大な利益と同時に事故が起きれば地域が崩壊する事を何も学習していない。どんなに科学、土木、建設の技術が進んでも完全な管理はできない事をいつ思い知るのだろう?そんな事を言えば現在社会から追放される?この国はいつからそんな国になったの?
そんな事はありません。他に方法が無いから。本当にそうなの?そんな議論はない。今年の大きな課題はエネルギーについて考える事?そんな知識人は何処に居るのだろう。居ません。国民一人、一人の課題?それは論外です。この国の知識人はその程度の説明も出来ない?それも分からない。
今日は土曜日。昼前に出かける事は殆ど無い。気合を入れて公園整備に区切りを付ける。それも見向きもされない?そんな事はありませ。腰の痛みは段々和らいでいます。歩き始めると激痛が感じられるがそれも時間の問題で解消する?人の肉体は精神力をも左右すると言われているが高齢者の歩き方を見ていると他人事では無い、
2023年1月 6日 (金)
腰の痛みは変わらない 仕事は確実に進んでいる しかしその成果は誰も興味がない?それでも何も困らない
正月早々やられる。人の生き方も進歩はないがこの猪のおバカもいずれ立ち入りが出来なくなる事が分からない。これだけ柔らかくて細かな砂があれば格好の遊び場になるがその対策は考えている。この場所は猪の遊び場ではない。もうすぐこの場所の整備も終わるので野生動物の立ち入りは出来なくなる・問題はその柵をいつ造るかだろう。それまではいくら綺麗にしてもこの状態が繰り返される。
この瓦礫も大きな石はこの上に上げ小石と砂と枯れ枝は下に掻き落とす。そしてこの後を整地すれば奥の石に腰かけられるようになる。
この大きな石も右上を掘り崩しているのでそこに放り上げる。左の鉄片は左上に投げ込む。残った瓦礫を下に描き落としてそれを纏めて処分すれば見事に綺麗になる。そう考えていたが今日は仕事を始めた時間が4時前だったので計画通りには行かなかった。それでも5時を過ぎれば暗くなる。夏は7時過ぎまで仕事ができたが冬はそうは行かない。それでも何も困らない。明日があるさ。明日が。明日綺麗になる。
この瓦礫も明日フルイにかけてゴミだけを別の場所に捨てる。そうして土だけ残せばここは格好の砂場になる。ただここで砂遊びが出来る猪は出てこないだろう?そこまでの度胸は猪にも人間にも無い。汚いところは簡単に汚せるが綺麗になったところはそうは行かない。知らない?綺麗にしても平然と無視出来る?そんなおバカもいるけれどどこかで誰かがプレッシャーを掛けている。その程度の事も分からない?そこまでのおバカは流石に居ない。ここはどうかな。
明日は小寒。20日は大寒。西宮のえべっさんは10日。今年の商売繁盛は如何でしょう?今夜は久しぶりに刺身の盛り合わせ980円をいただきましたが味は悪くなかった。しかし故郷大分県佐伯市はブリの水揚げ日本第2位。1位がダントツで熊本長島町?鹿児島と国境。
魚の美味しさは地元でないと味わえない。地元でも簡単ではない。故郷佐伯の地域振興は今年どんな展開を見せるのだろう?旗振りがいない?知らないだけだろう?かもしれない。ただ地域振興ナンバーワンには成れない。その理由は?一口では誰も語れない。
今日の仕事の結果は明日の地ならしをしただけ?そうとも言えるがこの場所は明日は綺麗に片付けられる。しかし明日の天気予報は良くない。雨が降ると土が濡れて重くなるので一回のフルイの量が少なくなる。雨が降れば流石の親父も土方仕事はやらない。それでも足の痛みはまだ続いているので雨の日は梅田の日常は無理に違いない。
暗くなってここが大きな一枚岩の石の上とは分からないに違いない。こんなところにこの大きな石が置かれた理由は知る術もないが左に顕彰記念碑がある。その顕彰碑をここに移設した時に先人は置いたのだろう。その石に腰を下ろしてスイセンを眺める。何と素晴らしい事だろう。
これは親父がこの荒地の瓦礫を上に押し込み綺麗に整地をしたお陰。間違いなくこの仕事は後世に残る。それとも元の藪に戻る?それはないに違いない。その程度の仕事をしている。スゲエナー?誰もそうは思わない。どうしてだろう。明日雨が降らなければ綺麗になる。
今日はどんよりとした天気 腰の痛みは和らぐが長くは歩けない どうするの?駅までの道を2回休む そんな歳になっている
年は関係ありません。新年早々の教訓を大事にしなはれ?そう言われていた。確かに元気な年寄りはいる。若くても元気でないガキもいる。
今年の展望を自分なりにしてみるとこんな感じ?厚い雲の下に懸命に夕日が顔を覗かせてもそれは時間の問題。いずれ夜の帳(とばり)が下りる。ただその帳は一葉ではない。どんなに暗くても明るい電気の下で明日を迎える人もいればそうでない人もいる。皆様の000がもっともらしく(何故か笑顔の解説が多い。何がそんなに面白いのだろう。)どうでも良い放送しても何も変わらない。何かが変わるには努力が必要?
ところが世の中は努力もしないで楽な生き方が出来る人も少なくない。努力をし過ぎて倒れる人も少なくない。普通の生き方をして普通に生きる。そんな普通が当たり前だと思われている。それでもいつまでもそんな生き方はできない。そんな事も知らないで生きている?多くの人は知らない知識人。しかし彼等も又、口先だけの生き方しかできなければ人を導く事はできない。ところがそこが問題。
その問題がどれだけ理解できるかで人生は決まる。そう思われている。ところがそれも違う。人生は人が決めるものではない。己が決める。本当に素晴らしい人生は人其々(それぞれ)です。腰の痛みが足の痛みに変われば又長い道を歩ける。信じられないと思われるが腰はそれだけ大切なもの。田舎の言葉で「ハメつけてやれ」という言葉がある。その言葉の意味は「心してかかれ」という事だろう。今年もそんな生き方をしょう。
賃上げで景気回復?出来る訳が無くても尤もらしく報道される訳?その程度の事が分からない?そうではなくて他に術は無いから。
今日も関西は雲は多かったが晴天。ニュースには全くならないが雪国はドカ雪の影響が続いている。関西で伝えられる全国のニュースは殆ど無い。それでも何も困らない。雪国でもそれは何も変わらない。お互いに何も知らない。それでも何も困らない。それがこの国の状況。この公園の整備も誰から依頼された訳では無い。若い頃挑戦した「可能性」は今でも何も変わらない。「少年老い易く学成り難し」
あと半月もすればこの水仙が花開く。今年の寒さは暖かいがこのままという事はないだろう?それでも2月もすれば弥生3月。今年は新年早々500メートルも歩けない腰痛に悩まされているがこれも貴重な体験。これから間違いなくやってくる老化の時。その時たじろぎをする事なく正面から立ち向かえる余裕はあるのだろうか?何もない。然ればやる事は決まっている。そのシグナルが今見えている。
この瓦礫の処分は簡単です。瓦礫を掻き集めて別の場所に捨てれば良い。腰がまだ痛くて遠出は出来ないのでそれまでにここが綺麗になる。何と素晴らしい事だろう。歩けなくなるのではないかと心配した腰の痛みは半端ではないが、それでも黙々と土手の土を崩している。
だからここは綺麗になる。どんなに困難に立ち向かっても道は開ける。しかしその道の多くは新たなる困難の始まりである。それを感謝出来るか?それが問われている。無理だな。ならどうする。在るが儘に生きる。それが何よりの生き方に違いない。
ただそれも容易ではない。不平、不満、愚痴をどんなに垂らしても賛同は得られない。その山道(賛同)は容易ではない。それをどう登るか?その道がある人は幸せに違いない。その山道さえも知らないで生きて死んでいく人も少なくない。そんな事は誰も教えてはくれない。
ここまでこの崖を惚れるとは思わなかったが一番驚いているのは夜になるとこの崖を降りていた野生の動物達に違いない。ただ彼らは賢い。こうして放置されていた格好の往来の場所を綺麗にされるとしばらくは近寄ることをしない。このままなら兎も角、明日は綺麗に大きな石が消える。
この広場も嘘だろう?本当です。それがプロの仕事。そんな仕事はケチの付けようがない。それでも批判をする人は居る。ただ彼等は何もしないだけ。親父とは勝負出来ない。その写真を明日お見せする。出来るかな?腰の痛み次第だな。この広場は奥の石で瞑想に耽ける(ふける)事が出来るに違いない。そんな場所になる。
今年もいい仕事をしょう。「希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる」(サミュエルソン)
希望があっても間違いなく老い朽ちる。その時を誰も否定出来ない。それが分かれば道は拓ける。
2023年1月 5日 (木)
どんよりとした天気 しかし晴れ間は出ている 今年もこんな暮らしが続く 甘いな 一寸先は闇?腰の痛みに悩まされている ところが?
今年の運勢を占ってみると「晴天」しかしおまけの言葉がついている。青天の霹靂。難しい言葉で知らない?親父もこの言葉の意味はなんとなく理解しているが思いがけない出来事?思いもしなかった壊滅的な出来事?今まで何度そんな場所に立ったのか考えてみると、意外に淡々としていた。(ホンマかいな)最近そんな出来事に遭遇していないがリスクは背中合わせという教訓をいつから忘れたのだろう。
それは世の中がそんな時代になったから?それは違う。余りにも無知で無様な生き方をしても無視されているからだろう?無知で無能?そんな言葉を口にすると異端児と思われて相手にされない?そんな異端児が今年も出会いの時は少ない。世の中の暗黙の常識はその多くが非常識。その事が思い知らされるという事?それはどうだろう?政治と経済の動きに何も知らなくても生きて行ける。それは歴史が証明している?
昨年末から急に腰の痛みがあり大の字になって堂々と睡眠をとる事が出来なくなりましたが、これは腰に痛みを感じる時に何度も感じた事でしたがその痛みが治れば完全に忘れていました。今は何とか痛みをごまかしながら横になって寝れるようになりましたが、腰が痛くて痛みが神経を刺激すればその度に眠りを妨げてくれます。その苛立ちをすっかり忘れていました。
今は何とか寝れますがこれが何も感じられなくなればそれが当たり前に思い朝を迎えます?(親父は3時間に一度ションベンに起きるが)医師の診断ではそれは頻尿では無いと言い切られる。お困りでしたら薬を出しますがその前に検査をします。その検査で何を検査するの?それは血液検査でした。前立腺の異常はなくても癌の可能性は消えない。そう言われると流石にビビる。異常はなかったが完全な糖尿との宣告。
ただ薬はかかりつけの内科に見解を求めてからにします。泌尿器科の優しい名医は苦笑していた。掛かりつけの内科医は親父の体質と考え方を知っているので糖尿の薬は処方しなかった。多くの人は薬に頼らなければその体質を変える事が出来ないが親父は違う。コロナのワクチン摂取も一度もしていないがコロナには間違いなく感染しても自覚症状が無い。
それはどういう事?人間の身体は多くの健康バリアー(免疫力)がある。その力を大事にすれば大病はない。そう信じている。その為に今年の課題も決めている。腰の痛みはいずれ治る。その時どんな生き方が出来るか?それで今年の生き方が決まる。予期せぬ出来事は多くの偶然が重なる。運の良い人。悪い人。それは如何ともし難い。持って生まれた運、不運は如何ともし難い。その事が分かれば生き方も変わる。
2023年1月 4日 (水)
今年の景気対策は給料を上げる 少子化対策?この総理は本当に賢い?だとしたらいう事が違うだろう?それが分からない
今年の政治経済の最大の課題。それは信頼。そんな事は総理大臣も日銀総裁も経済連や労働組合の代表も言わない。この国の経済が良くないと言われて久しいが国内企業の内部留保はそんな事は全く関係ない?そうではなくてこの国の多くの企業が赤字で経営がそれなりになっているのは政府と日銀の金融政策のお陰?ただのような金利で金が手にできればおバカな経営者でも企業は成り立つ?そんな事は無かろう?
今年の景気回復は賃上げに懸かる。昔の労働組合でもあるまいし一国の総理大臣がそんな事を言えばその時点でマスコミと多くの国民に叩かれるがそんな事は誰も思わない?何たるおバカな国民?景気低迷の本当の原因は多くの国民の財布の中身が豊かでない事は間違いなくても、今は日々の生活に余裕の無い人がどれだけいるのか分からないのだろう。
そんな人の生活再建はその多くが不可能?それとも簡単に再建はなる?何を根拠にそう言えるのかい?あってもなくても関係ないリーダーにそう言われても説得力は何もない。それでも関係ない?そんな時代が今年も続く?嫌なら出ていけ。おバカなジジイだけでなくオバハンも少なくない。その原因は何?知らないという事だろう。六甲山の向こうに沈んだ残照はその事を教えていた。見方を変えれば明日はバラ色らしい。
それがそうではない人は今年も元気に生きられる。しかし今年は間違いなく大きな転機を迎える。その時を迎えてもなす術がない?そんな情けない生き方をしても未来は輝いている?それは何の根拠もない希望?間違いなくこの国の今年の課題は「意識改革」それは出来ない。考え方を変えるという事は奇跡を目の当たりにしても不可能かも知れない。ならどうする。結果で評価すれば良い。それならバカでも出来る。
まだ腰は痛い。長くは歩けない。そんな腰の痛みも仕事をしている時は何とか耐えられる。そこまでしてやる仕事とは思わないが見事に綺麗になっている。これがプロの仕事に違いない。自分で言うな。(自分で言えば間違いはない)
今日綺麗に土を入れホウキで掃いて平らにした所。いずれイノシシのおバカに運動場にされるがその対策は出来ている。この土にローラーを掛けて固く閉めれば良いがそんな道具は無い。出来るだけ足で踏みつけて固くするしか無いがその程度では何の役にも立たない。ではどうする?イノシシの侵入を防ぐ柵を公園管理者に整備させる。やらなかったら?その時は奥の手を用意している。首を狙う。こわー・
雪国のどんよりとした灰色の空も今日は晴れ間が覗いている?しかし新潟象潟の空は鳥海山が見えるのだろうか?そんな報道は何も無い。昨年はデジタル革命とかデジタル新時代とか言われたが何がどう変わったのだろう?象潟の人に教えて貰わないといけない。
腰の痛みは少しはマシになる?ただ長くは歩けない これは今までになかった事 それだけ老化している
半月もすれば満開になる水仙。この手前の足を踏み入れられなかった所を見事に綺麗にしている。腰の痛みがなければ今年の初仕事はここではなかったと思うと何とも言葉がない。それだけ(これだけ)綺麗になっても声を掛ける人は来ない。しかしここが綺麗になると誰もが素晴らしいと思いきや全くそうではない。
その事を知れば今年の多くの課題の答えが見えてくる。「知の巨人」と昨夜の公共放送のドキュメントでは放送された立花隆氏の生き方は、多くの人は学ぶ事が出来ない。だとしたら自分の生き方に重ねられる人も少ない。この番組を紹介した昨日出会った元教師は如何感じたのだろう?聞いてみたいがその術はない。
それでも親父も一部寝ていたし同じ生き方は出来るわけがない。それで何も問題はない。生きると言う事は多くの人が思う程に大した事ではない。そんな政治家と経済人、評論家も少なくない。アンタはどうだ?それは語るに落ちる。今年はそんな生き方から変わる事ができるのだろうか?それには人の意見を聞け?無理だな。そんな心地良い人は親しくなれば嫌になる。最低だな?全然。何も困らない。
うんちく。「語るに落ちる」この言葉の意味を知る人は多くはない。こんな言い方も多くはできない。しかしこの言葉の前に00という言葉をつければこの言葉の意味が分かる。人の本音は質問では得られず本人が語るさりげない言葉に現れる。そういう事。難しい。だな。00のことばは「問う」問いに語らず、語るに落ちず。本心は簡単には知り得ない。つまらないと言えばつまらない?それは意味が違う。
2023年1月 3日 (火)
明日から仕事始め?親父が長年奉仕した会社は創立記念日1月4日 如何でもいいか? 親父の仕事始めは既に終えている。
穏やかな関西の正月三日。既に今日から帰省のUターンが始まっているがそんな時代もロング、ロング。ア、ゴー。昔昔の話です、それでもまだ元気に生きている。それはこれからは日々試される。他人の世話にならなくて生きていくには今年は何としても信じられない挑戦が待ち構えている。
腰の痛みはチューブの塗り薬も効かなくなっている。と言う事は細い筋肉の血管が切れている?如何する?どうもしない。信じられない?信じられない挑戦は相撲の股割り。しかしこの体の柔らかさは若者(相撲取り)だけに求めらていることではない事を多くのジジババは知らない。
知らないのではなく無理だと決め込んでいる。確かに無理です。無理を可能にする事は簡単ではなく訓練です。訓練をすれば簡単な事もなにも知らない。知らないと言う事はそう言う事。何も決めつける事はない。ご期待下さい。誰もしない。そう思う。それが出来ないと未来は危うい。
明日から仕事始め?それはお役所と大企業の事だろう?そうではなくて今年の仕事は明日が仕事始め。そして3日働けばまた3日お休み。政治家が仕事を始めるのは今月中旬?そんな仕事で多くの課題を克服出来る?訳が無い。今年も生活弱者に未来は無い。そんな報道も出来ない公共放送と民間放送局。それで誰も困らない。そんな時代は簡単に行き詰まる。それがそうならないから危機感は誰も持たない。
ここは何?ここは崖の立ち上がりの場所。その下を完全に掘り起こして小石の捨て場にしている。腰がまだ痛くて500メートルも歩けないのにこれだけの仕事ができる。如何言う事だろう。暫くは長い距離歩けないのでここが唯一の仕事場。ここならバスで往復出来るので腰の痛みにも耐えられる。右手の人差し指を見るとヒビ割れが出来ている。それでも仕事は出来る。軍手をしているから?軍手がなければとても出来ない。軍手があっても殆どが出来ない。お年は幾つと聞かれても78といえば笑われる。10年若く生きる。それは実現している。🤣
股割りが出来れば20年若い肉体を手に出来る?それでも求めているレベルは不老不死。それは無理です。希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。これは宮澤会長から教えてもらったアメリカの詩人サミュエルソンの「青春とは」の一節ですが、残念ながら老いの時はどんなに希望を高らかに宣言しても股割りが出来ても若返る事は出来ず棺桶が待っています。
それが分かればやる事は決まっています。体を鍛える事。アホやのう。アホです。関西ではアホという言葉は褒め言葉。知らないでしょう。アホがアホと言われて怒るアホがいる。こいつが本当のおバカです。今年の目標を明確にしてささやかな事に感謝する気持ちを持てば楽しく生きられる?そんな気持ちは全くありません。己の気持ちを明確にしてその実現の為に何が出来るか?その事が問われている。
六甲の山も静かに日が暮れて夜の帳に(とばり)お隠れになりますが明日はまた穏やかな姿を見せてくれるでしょう。静かな年の始まりがどんなドラマを見せてくれるのか?全く分かりませんが間違いなく有終の美を手に出来る人は丈夫な体と知の賢人に違いありません。
今年初めの教訓「口先だけでは何も変わらん。まず塊から始めよ。(自ら)」股割り(足を広げて腹を地面に着ける)鼻で笑われる 地殻が変動しても出来る訳が無い?毎月経過を報告する?腰が痛いのもそれが原因?いずれその真意が証明される?まだ腰が痛くて500メートルも歩けない。
今年一年の希望と失望はそれぞれでも人から批判される事は何もない。この国の歴史の大きな転換期でも人の意見を平気に踏み躙り、この国の未来を大きく突き動かした多くの人達は無様な生き方をしている。その事は今でも何も変わらない。この平和なそして無様な国のあり方をどんなに正当化してもこの国の多くの人達の生き方は何も変わらない。よく言われた言葉がいまだにおばかなし会社も口にする。そしてそんな司会者が評価される。「嫌なら出て行け」何様のつもりだろう?そんな時代はこれからも続く。しかし間違いない事は新陳代謝。
今年も高齢化の対策も何も変わらない。今年は後期高齢者がこの国の人口の2割を超えると言われているが、そんな事は関係ないと思われている。何故ならその深刻な高齢者の生き方を多くの人は知らない。今年は子供の生き方以上に高齢者の生き方が問われる。その声が小さいのは何故だろう?いつまでもそんな時代は続かない。その為に何をなすべきか?その程度の危機感もないおバカ達。
それは何故?自分は関係ない生き方をしている?そんな生き方は殆ど出来ていない暮らしをしていても思い知らされる事が無い?「そげん事はなかろう」ありません。都会の多くの後期高齢者だけでなく前期高齢者( 60歳以上)で元気な人は多くはない。信じられない事にその多くが歩けない。
偉そうに言っている親父でも今は哀れな歩き方をしている。その原因は体が硬い。体がどんなに柔らかくても元気でない人も多い?それは人体の神秘を知らないから。人間の体は免疫力が歳を取れば必然的に落ちてくる。その程度の事が分からなくても平然と生きられる。それは如何してだろう?そんなおバカが多くなっている。この年で股割り。それが出来たら本当の健康体を手にするの違いない。
2023年1月 2日 (月)
寒気がする 鼻水を垂らしながら「飲み干す一杯」坦々麺のインスタントを食っている。風呂に入って早く寝よう。
新年明けましておめでとうございます。毎年、今年は時の流れが大きく変わると言われ続けて何も変わらないが今年は如何だろう?間違いなく変わります。問題は周りが変わるのではなく自分自身。自分が変わらないと周りは何も変わりません。そんな当たり前の事がなぜ分からなかったのかそれが理解出来ません。しかし人間万事そんなもんでしょう。人の事は批判出来ても己の事は何も分かっていない。この歩道に捨てられた( 落とした)チリ紙。鼻が身。落とし紙。誰も拾わない。その程度の生き方をしている。
ここは何度もゴミを捨て右の石垣の下からシミ出していた水を止め、ホウキで何度も掃いた。写真はピンボケでも一度綺麗にすれば簡単に汚れない。ここは右側は公園の用地。左側兼道。この歩道を歩く人は少ないが皆無ではない。自転車も通る。しかしその多くは誰も何も綺麗にしない。ここは散策で歩く人も犬の散歩で歩く人はいてもホウキを手にする人はいない。その程度の生き方をしている。
この下の歩道を綺麗にする時、このガレキと土を掻き落としている。公園管理者に何度もここに土止めの板を置けと指示しても完全に無視されている。何故やらないのか?歩道の掃除をしないから。何も困らないから。そんな管理を市はさせている。何故?この有様を知らないから。今年も同じ事を繰り返すのだろう。地域のコミュニティ活動?何もありません。最低です。ボヤクナ?ボヤキではない。マヌケです。
この草はキレの良いハサミを手にしたら切り取れば綺麗になる。それも何度もやったがこの歩道の管理者は何も学習しない。これは全国どこで同じ。今年は別のモデルを大阪市内で実現する。そげん事は如何でも良い。如何かな>楽しみだな。
ここが土止めの板があるがその外側の草が枯れている。これは軍手で綺麗に出来るが誰もやらない。
公園入口の石垣の間から顔を出して枯れる様子が無い。昨年の親父の奮闘に敬意を顕している。?ありがとう。そんな人眼は一人もいない。
腰が痛くて遠出が出来ないので今年の仕事始めはここから。ここがバスで来れるし帰れる。バスは1時間に3本。今の歩けない体にはもってこいです。明日は箱根駅伝を見て腰をさすりな柄でもここにくればここは更に片付く。すげえなあ。アホやのう。間抜けです。今年の生き方は己を知る事です。
ここが水捌けが悪くて足を踏み入れなかったとは誰も知らない。この水捌けが良くなった溝を眺める人はいない。こうしてホウキで掃くと溝は蘇る。しかしそんな事は誰もやらない。ここは公園とは名ばかりで公園管理者にも見捨てられている。そんな事はさせない。
2023年1月 1日 (日)
一年の計は元旦にあり 静かな年の恥まり しかし現実は厳しい その事実も放送出来ないメデイア 今年はこの情報は役に立たない?
年の瀬の京都丸山公園 半世紀前の面影は完全に失せていた。一人寂しく腰の痛みに腰を下ろしてこの汚い(薄汚れた)庭を眺めるとは、全くの想定外だった。近くで中国人のカップルとカメラマンがウロウロしているので腰を上げる。この公園が汚い原因は京都府の公園管理の無策。
池田の「駅前公園」より汚い?どう言う事?そう言う事。公園を綺麗にすると言う事はこの落ち葉を全てエアーで吹き飛ばして熊手で掻き集めなければならない。その程度の仕事も出来ない京都の公園管理。その違いは誰も指摘出来ないのだろう?丸山公園は過去の遺産にもならない?
春にはこの桜も身ごとに開花するが信じられないことにこの多くの木々は、丁寧な桜の手入れが行われていない。こんな桜の管理をしていたら10年先には多くの桜が勢いを無くす。この公園の管理者は誰がしているのだろう。京都の丸山公園の歴史的、文化的価値は全く蔑ろにされていた。如何でも宜し?京都の魅力は他にあるらしい。
この桜の幹はいずれ朽ち果てる。危機から脱出の枝切りも出来ない程に放置されても何とも感じない。それともこれが本当の桜の管理?木が老いるとはこう言う事?そんな事も問われない。今年は何としてもこの桜の開花を見てやりたい。その時はどんな生き方をしているだろうか?
この木は桜ではない。この老木は芝楽倒れる心配はないがそれでもこの痛々しさは誰も知る由もない。嗚呼。
一年の計は元旦にあり 静かな年の恥まり しかし現実は厳しい その事実も放送出来ないメデイア 今年はこの情報は役に立たない?
年の瀬の京都丸山公園 半世紀前の面影は完全に失せていた。一人寂しく腰の痛みに腰を下ろしてこの汚い(薄汚れた)庭を眺めるとは、全くの想定外だった。近くで中国人のカップルとカメラマンがウロウロしているので腰を上げる。この公園が汚い原因は京都府の公園管理の無策。
池田の「駅前公園」より汚い?どう言う事?そう言う事。公園を綺麗にすると言う事はこの落ち葉を全てエアーで吹き飛ばして熊手で掻き集めなければならない。その程度の仕事も出来ない京都の公園管理。その違いは誰も指摘出来ないのだろう?丸山公園は過去の遺産にもならない?
春にはこの桜も身ごとに開花するが信じられないことにこの多くの木々は、丁寧な桜の手入れが行われていない。こんな桜の管理をしていたら10年先には多くの桜が勢いを無くす。この公園の管理者は誰がしているのだろう。京都の丸山公園の歴史的、文化的価値は全く蔑ろにされていた。如何でも宜し?京都の魅力は他にあるらしい。
この桜の幹はいずれ朽ち果てる。危機から脱出の枝切りも出来ない程に放置されても何とも感じない。それともこれが本当の桜の管理?木が老いるとはこう言う事?そんな事も問われない。今年は何としてもこの桜の開花を見てやりたい。その時はどんな生き方をしているだろうか?
この木は桜ではない。この老木は芝楽倒れる心配はないがそれでもこの痛々しさは誰も知る由もない。嗚呼。
京都東山「長楽寺」行ってきました。阪急四条河原町から何度も休憩しながら辿り付いた先は工事中。拝観停止。それでも住職には会える。足のお守りも交換する。
京都南座は四条通鴨川を渡ったその先にある。南側に在るから南座。当然北座も在るがここでは今は歌舞伎は行われない?多くの人がこの場所にも気が付かない。(それが如何した文句があるか?)四条通りの人出は歩道が狭く歩き難いが京都の四条通は歩道を広くしている。
ここから目的の八坂神社の歩道は昔のマンマ。京都の行政の間抜けさが証明されても行き交う人はそんな「頓着」は無い。頓着(とんちゃく)?そんな言葉は全く通じない日本人が多くなった。感じる以上に外国人観光客が多い。今年京都に一度も来なかった理由が分かる。
情緒、風情が表道理からは全く失せている。趣が感じられないのは時代の流れ。来年はもっと酷くなる?それでも来なければ何も分からない。京都の本当の良さは若い頃から良く分かっていない。しかし京都の生活に憧れて4年間。下宿生活をした事がある。クリーニング屋さんのおとうとさん夫妻が住んでいた2階4場半一部屋3000円。55年も前の事だから今はそんな値段では住めない。隣が学生で煩かった。
ただ下宿のおばちゃんは優しかった。新婚の時、嫁さんを紹介した時「あら写真とは大違い」と言って嫁の気持ちを悪くさせる。大して美人でも無かったくせにプライドは高かった?そんなオバちゃんも今は介護施設でお迎えを待っている。おっ母は親父が建てたお墓の中でオイラを待っている?それは無い。
今日、京都に行く前に既に鬼籍に入った立花隆さんの言葉を聞く。「見えた。何が?永遠が」1月3日午後8時から再放送があります。是非みてください。興味無い?そうかも知れない。癌で死んだ立花隆さんは死んだらゴミに出してくれと言い残し膨大な書物を処分してもらっている。
何も残さず何も思い残す事は無い。これからそんな生き方が求められている。永遠の命はない。その永遠を見えたと叫んだ知の聖人はどんな教訓を残したのだろう?今日会えなかった一遍上人も全ての書物、経典を焼却してお寺も残していない。箱根駅伝で紹介される藤沢の「遊行寺」は後世の弟子が建てたもの。
一遍上人は全てを捨てないと仏道を歩めないと説きその事を実戦している。その点では親鸞上人と似ているが生き方も死に方も現在人の評価も全く違う。そんな事も如何でも良いと思われている。現在人の多くは信仰心が無くても生きられると思っているがそんな生き方はいつまでも出来ない。できると言い切るおバカもいるが誰もが極楽浄土に行ける訳が無い。そんな事も分からない。(うんちくが長い)
八坂神社到着です。明日の元旦はこんなもんではない。多くの人が押し寄せて通行は制限される。それでもこのお寺さんに多くの人が押しよせるのはそれだけの魅力があるらしい。親父にはそんな実感は湧かないが一度は来てみると冥土の土産になる?なりません。
長楽寺 1年ぶりの対面です。ところが。
closed? 嘘でしょう。しかしここで引き返す親父では無かった。
ここから先には行けなかったが左の社務所で住職にお目にかかり1年ぶりの挨拶をする。覚えていてくれた。
山門から振り返ると京都市内と西山、愛宕につずく山塊が見える。残念ながら一遍上人の木像にお目にかかる事は出来なかったがそれは今年の花見の時のお楽しみ。そう思うと心は軽く足取りは重かった。まだ腰が呻く。(うめく)痛くて何度も腰を下ろしながら四条河原町に戻る。帰りの電車は空いていた。
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