親父の出番は無くなる?ブログも見てくれる人は限られて居る 何時も見てくれてありがとう そのお返しは必ずします ホンマかいな 嘘です。それでもこのブログただだから。確かに そんな価値も無い。そげん事はないよ。世の中そんなに甘くない?今日見知らぬ人に声を掛けられる ホンマかいな。本当です。
今日もいい天気。今日は家の前を走って居るバスで府道113のルートを確認するつもりでこのバスを待っていた。1時間に1便かよと思っていたら予定の時間になってもバスの気配無し。時刻表をよく見ると土日祭日は偶数の時間のみ。と言う事は2時間に1本。
そんなバスに誰が乗るのか?いずれ確認すればうんちくの種になる。アホ。このバスの終点「阪急石橋」ではない。東畑方面と言うのも面白い。その理由は?分からない?いずれ乗ってみれば分かる?明日は月曜日。同じ時間(奇数時)このバスは大広寺が終点。どんな人が乗るのかな。
バスが来るのが1時間先と分かったら当然ながらバスに乗るのをあきらめて歩き出す。この道は昨日発見した「有馬道」しかしここはその道も狭くて昔の面影はない。当時は田舎の田んぼ道だったからこれが当たり前。歩道にまでは見出した戸建ての家も家の前の歩道の掃除はしない。自分の家の緑が濃くて当たり前。そう思われて居る。
ここが狭くなって居るのは左に用水路が流れて居るから?この用水路は明治以降に出来ている?この用水路は人工の水路。わずかな勾配だけで農繁期のみ農業用水は流れる。今でも田植えの時期にはとうとうと水が流れる。ただその水も今はわずかな水田しか水は流れない。それでもこの水路の役目は終わらない。農家の既得権益はそれ程に強い。
ようやく出ましたこの看板。この歴史的古道?そんなに古くはないだろう。街の自慢にも観光案内にも教育委員会の郷土の自慢にも出来ない。親父のあくなき探究心しかアッピールしない?間抜けな町だな。それともそんな生き方が当たり前になっている。それでも笑顔が絶えない町?それだけアホになれると言う事?寂しいと言う気持ちもない。これが当たり前?らしい。
ここから道は広くなる。この先は車の通行禁止では無い?道路標識も看板もない。ただ一方通行は間違いない。通れるのかな?如何でも良い。
この町肺前住んでいた街の隣町。この読み難い街の名前もようやく覚える。ただこの街も結構広い。すっかり住宅地になっているが100年足らず前までは田舎の田舎だった所。当然100年先は如何なっているか分からない。現在人は赤子しか生きていない。
この看板は有馬道の関係がよく分かる。ただこの古地図を見惚れる人は皆無に違いない。しっかり覗き込んでいると見知らぬ親父に声を掛けられる。「カメラを下げていい趣味してますね」「時どき見かけますよ」そう言われても良い気はしなかった。
多弁に言葉は反応していたが心の中は複雑だった。カメラが趣味ではない。親しげに言葉を掛けてくれるのは嬉しいが会話が成立しない。道を知り人の生き方を知る。そんな話は難しい?だろうな。この先目的の府道に出る。113。ようやくこの道のルートが分かる。出鱈目の管理をしていた。その話はまた明日。
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