健康寿命の取り組み 何で自分でやらないの?
コロナの感染核大は今でも続いているが最近はその危機意識は全く無い。コロナの感染者、その後遺症の深刻さは何も変わっていないが多くの人達はインフルエンザと同様扱いをしている。かかりつけの内科医の意見は聞いていないが発熱外来の受け入れはその多くが時間制限。予約した時間でないと受け入れられない。それでもその扱いはインフルエンザと同様の扱い?嘘だろう。本当です。
今、この歩道を綺麗にしている。つくづく思い知らされる事はこの歩道の有様は全国どこでも同じ?この歩道はこれでも何度もホウキで掃いて大きなゴミ、まとまった落ち葉、雑草は抜いている。しかしピカピカとは程遠い。ここをピカピカにするのは協力なブロアー(送風機)があれば簡単に出来るが誰もそんなおバカな事は考えない。そんな事は如何でも良い。自分の体も同様に考えている?そげんこつはない?
ここは公園南端。右の歩道の落ち葉を掻き上げてここに溜めていたがその落ち葉を上に引き上げて見事に綺麗にする。それでも誰も目に止める事はない。この歩道は通りを隔てて(へだてて)市役所があるがこの歩道の汚れも見向きもされなかった。ここはバス停があり多くの人が李様するが誰一人ホウキを手にする人は居なかった。その程度の街。その程度の市民感覚。ただこれも全国どこでも同じ?それも違う。その差は誰も気にしない。
ここもすっかり綺麗になりました。ただその前を知らない多くの人にとってそんな事は如何でも良い事。しかしこれが自分の体の中の出来ごとだとどうでしょう?多くの人は興味を持って当然でしょう。ところがそんな事も全く意識をせずに暮らしている。
健康は当たり前。元気で生活が出来るのも当たり前。元気が無くなってくたばるのも当然。そう思われているがその間違いを指摘されても聞き入れる事はない。人の事だから如何でも良いがそんな人の繋がりは何のメリットもない。損得抜きのお付き合い。そんな綺麗事は通用しない事をいつ思い知らされるのだろう?そんな事も如何でも良い。健康寿命。大阪の現状を多くの人は知らない。競馬で言えば後方集団。
そんな事も如何でも良い。在るが儘に生きる。言葉は何とでも言えるが不健康になった時、その言葉はナカナカ口には出来ない。その事も知らない。健康寿命の取り組みの日本一の地域は何処?そんな事も如何でも良い。そう思われている。
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