地域振興 佐伯の街はモデルになれない?明日の予定変更 城山に登れるかな?腰が痛い
田舎のお寺さんの前を通る路線バス。しかし乗車する客が激変しこの有様。何と土曜日は二便。日曜日と祭日は0。田舎は多くの高齢者でも車を所有しているのでこれでも何も問題無い。これが地域の振興策?路線バスのテコ入れ?違う。これではいずれバス会社の収入は人件費、ガソリン代も賄えず(まかなえず)行政(市役所)の更なる支援を求める。それでも他に方法はないのだろう。与作の歌を知らないのかい?
「与作は木を切る。コンコンこい」違うな。コンコンコン。地域の活成果は人の流れを濃くすること。これから全国何処でも高齢化、少子化は加速する。四国徳山の人がおやじのブログを見てくれているが、四国徳山木頭では10年以上前から限界集落が加速している。親父のふるさとも例外では無い。朝1番のバスが10時33分。ところがこのバスお寺さんの直前で大きく脇道に外れ戻ってくる。
何でそんな回り道をするのか運転手に聞いても丁寧な(的確な)説明は無かった。途中の地域振興局の前で降りて説明を聞こうとしたら運転手がここでは無いと重い口を開く。「アンタがキチンと説明しないから頭に来ている」どやしつけたかった。親父は地元の人間だから回り道をする理由が分からなくも無かったがお話にならない。これでは観光客はバスを利用出来ない。その事が何も分かっていない?怒りが天を衝く。
佐伯の駅近くの植樹帯の様も(ざまも)無かった。どうして綺麗にしないの?そんな問い掛けは誰もしない?この有様を見れば佐伯の全てが分かる。地域振興の全国もモデルどころか大分のモデルにもなれない。その事を誰が教えてくれるのだろう。
そんな事は市長でも分からない。この街にも秘書課があり課長もいる。彼らはこの事実を知らないのだろうか?知っていても事の重さは分からない。これがこの街の本当の姿に違いない。明日は予定を変更してこの街の「売り」を探りたい。あるのかな?あれば嬉しいな。無ければ?創れ。それは無理な気がする。
「お帰りなさい」この言葉の意味が分からなかった。どんなつもりでこの言葉をこの街の歓迎の言葉にしたのだろう?「おかえりなさいき」シャレかいな?お帰りなさいではなく「よく来てくれました」そんな行政の取り組みは何処で誰がしているのだろう?その微かな香りを明日は嗅ぎたい。そんな甘い気持ちは全くない。厳しい現実を見せつけられるに違いない。
墓参りを元気にしてくれていたジイちゃん、バアちゃんが休んでいたベンチに違いない。自分達よりも先に鬼籍に入った娘に対して複雑な想いを交錯させながら寂しい思いを募らせていたに違いない。ただこの坂はそんな思いを完全に無視する様に厳しい登りで歩いては上がれなくなる。
親父は今回も江戸時代の人が歩いていた急な石段を登り詰める。いずれ親父もこの階段は登れなくなる。どれ位先の事だろう?10年は歩ける?その為には健康管理のハードルは高い。明日から池田の暮らしに戻る。どんな生き方が待っているのだろう?何も変わらない?そうかな?
お寺さん到着です。この山門を潜ると境内です。
この本堂と和尚家族の生活の場所は数年前の台風で裏山が崩れ全壊した。ただ建物の中まで土砂が流れ込んだが建物の柱は損壊する事はなく床下の土砂は取り除かれ床は貼り変えられて畳も入れ替えられて完全に復活していた。
ここがこれからこの村(地域振興局)の精神的な支えになる事は間違いないがどれだけの人がそう思うのだろう?親父ぐらいかも?そげんこつはなかろう。どうだろう?生きるという事はそうかもそうでないかもしれない。そんな事も問われない。
墓参りは1時間と少々で終えるつもりだったがそう簡単には帰してもらえなかった。両親と女房の墓は何も変わっていなかった。ただ25年の歳月は短くは無かった。本当に生きるという事は禍福は糾える(撚り合わせる)縄の如しです。但し福の時は短く禍(災い)の時は長い。嘆く事は何もない。
ここが崩れた裏山。ここは災害が起きて思い知らされるが自然災害はその多くがそうて意外。その程度の事も多くの人は知らない。世の中の全てが必然は稀でその多くが想定外。「他の内閣よりマシ」何たる世論調査。そんな世論が世の中の常識。そんな歴史の多くは一部の非常識から。
そう考えるとこれからの世の中の事がよくわかる?地方の地域振興。それは既に無理。それでも地方は何も困らない。その事が分かれば嘆きの言葉を重ねる事は何もない。直川の国道10号線。人々の交通手段は車社会。車がなければ何も出来ない。ならば何故そのマイカーと共に地方消滅。そうなっても誰も困らない。そんな社会を見せつけられていた。帰りにドラマが待ちうけていた。
荒れ果てた庭を職人が綺麗にしていると思いながら通り過ぎたが、後で聞いて見るとお寺の奥さんが綺麗にしていた。しかしこの庭を綺麗にする事は簡単ではない。このガレキを熊手で掻き集める事は簡単でもその下の用水路が潰れている。近くにいれば親父が手を貸しても簡単には綺麗に出来ない。このガレキの下は苔が老い繁っている。生い繁る苔の管理はプロでも難しい。奥さんの奮闘にエールを贈る。
到着です。一瞬おっかあの墓が無いと慌てるが隠れていました。1年前と何も変わらず綺麗になっていました。近くの兄貴が綺麗にしている?それとも誰だろう?そう思いながら今回は佐伯の定宿の近くで買った綺麗な生花をたむける。生花は枯れるとお墓の辺りが汚れるがお寺の奥さんが片付けてくれていた。そのお礼を込めて左の広場と花の捨て場所を綺麗に掃く。
こちらが両親のお墓。綺麗な花がたむけられていた、昨日見た市役所のロビーの鬼灯(ほおずき)に負けない大きさの袋。
お墓に向かう参道の山際に綺麗な百日紅の(サルスベリの)花が咲いていた。母さんの面影が歓迎してくれていた。
佐伯の殿様は明治の維新まで(江戸寺代の終わりまで)続いているがそれでも江戸時代の年貢の取り立ては幕府の方針で過酷だった、その悪政にこの村の先祖は一丸となって殿様に反旗を翻して(ひるがえして)百姓一揆を起こして弾圧されてその子孫の多くはこの村を追われている。親父のその血を引いている?それは200年以上も前の事だから虎子付けに(こじつけ)に違いない。
お墓の近くの鎮守様。今まではお稲荷さんと思っていたがこの解説を読みながら見入っていた。「無くしたものを見付けて下さる力」あやかりたい。無くした物の尊さは失って見ないと分からないと言われるがその際月は四半世紀を超えました。そろそろ終わり。これからの四半世紀は「巾着大明神」のお力に助けを求めないといけない。甘い。君はその事がまだ分からない。そんな言葉は聞こえなかった。
バス停の奥のお宅の道路沿いの庭を奥さんが綺麗に草取りをしていた。叔母さんに声をかけた多愛もない話をしているとバスが通りすぎる。バス停で話をしていなかったので慌てて追いかけるが運転手は気づいて車を停める事は無かった。「あチャーどうする」
そう思う間もなく叔母ちゃん(お年寄り)が近くの振興局まで送ってくれる。バスは追い付けなかったが何故か振興局の前で姿を見せる。近くの中学の子供達を乗せていた。叔母ちゃんに丁寧なお礼を言うまも無かった。バスの中では子供達は煩かったが声を荒げる事は無かった。バスに乗れなかったらどうしたのだろう?そんな事も考えないで懐かしい景色を眺めていた。
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