親父の終戦記念日 どうでも良くなっているが今生きて居れるのは戦争に負けたから その事は何人も否定出来ない
バカタレが又、缶を落としている。しかしこの缶は拾ってくれる人がいる。どんなに捨ててもこの缶を拾って片付ける人がいる事が分からない?そうでは無くてこのおバカはこの缶を捨てる行為を楽しんでいる。この場所を最近綺麗にした事も知らない事はないだろう。タワケ。
この飲み物は親父が買った物。この飲料メーカーはアサヒになっているがこの商標登録は懐かしい。毎日暑くて飲み物は多くなっているが何も気にしない。それだけ汗をかいていると言う事だろう。汗をかけば水分の補給は当たり前。
ただ自分の体のコントロールは「言うは易し、行うは難し」に違いない。親父はどんなに暑くて寒くても平然としているのは感性が低いからでは無い。感性が高いからコロナの免疫細胞を手にしている?それも違うな。健康管理のレベルが高いだけ?それも違う。
養生が出来ている。それはバアちゃんに教えられた事。じいちゃんの過酷な戦争体験は何も聞いていないがどんなに辛かった事だろう。戦争に負けて田舎におめおめと復員した時の気持ちも聞いていない。何も親孝行は出来なかったけれどそれだけは忘れていない。終戦の日ではない。国が破れた時、どんな生き方を迫られたのだろう?その事を考えるとこの国は無条件降伏の意味をもっと知らないといけない?
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