中山観音の人出も多かった。それでも聖徳太子の言葉は見向きもされていなかった。現在人の感覚は100年後どう評価されるのだろう?そんな報道は全く無い。
ここは新設された公園の外側。公園内のこ砂利がこうして蹴飛ばされている。犯人はガキ。子供のやる事だからしょうがないととぼける大人達。それでもここを掃除する人はいない。親父が綺麗にした市役所前の公園も3日間行っていないので直ぐに汚れる。それでも親父の仕事は終わる。後は市役所と指定管理者、地域住民の誰が親父の代わりが出来るかに掛かる。そんな人はいない。ではどうするの?それが見ものだな。
中山観音山門の仁王 ワンパターンだけれどいつもの迫力はイマイチ。何でやろう?ワンパターンでは感動も無い?それは言える。しかし彼らにそれを求めても無理だろう。世の中を変えるという事はこのお寺さんを建立した秀吉の息子でもできなかったという事だろう。世の中はこれからも間違いなく変わる。問題は後世の批判に耐えられるかという事。そんな問いかけは全くされない。
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