20年ぶりのお寺さん あの頃より綺麗になっていた 20年後はどうかな?それは天上界から降りて来るしか無い?そうかな。98か。そんな生き方が出来るかな。運も求められるな。確かに。それでも息子らはまだ60台。嗚呼。(嗚呼)まだ今の俺の歳にもなっていない。30年後か。
対釈展出現霊場 開運厄除祈願のお寺さん。しかし仕事の休憩時間に訪れた20年前は寂れていた。そんな記憶しかないがその記憶も親父に原因があったのかも知れない。このお寺さんで今回は素直な気持ちで首を垂れて鐘を鳴らしていた。鐘と言っても大きな吊鐘ではない。ガラガラと音がする鐘、その大紐(太い)を遠慮気味に引いていた。今更開運厄除もない?そんな事はありません。これからです。
20年前に見た植え替えられた新しい松は今年も元気に成長をしていた。この大阪北摂の地に樹齢1200年の松が昭和30年迄そびえていたと言う事だけで感慨深くこの若い松がその領域に到達するにはこの国の歴史は繋がるのか?それは誰にも分かりません。
この松の木がこれまで生きてきた年月を23回繰り返さなければならない。そんな途方もない時の流れは現在人には誰も関わりを持てない。人の寿命は生まれ落ちたときに決まっている事を多くの人は知らない。健康寿命日本1の県は何処ですか?大分県の男。嘘でしょう。
そげんこつ(そんな事)もどうでも良いと思われている。健康に生きる高齢者の生き方は全く価値がない?そげん事も知らない。今、足裏の健康法を勉強している。足裏マッサージ。足裏竹踏み。足裏お庭踏み石。足裏に人間の生きる力のツボがある事も多くの人は知らない。
それを知ればコロナのウイルスも全くお呼びでない。そんな事も知らない。親父の拙いブログを読んで呉れているこれはお礼の情報です。連休明けから誰も加勢してくれなかったし役所前の公演整備の仕事は暇潰しにはやりますが期待してください。これからは健康寿命の学習の情報満載です。ホンマかいな?ご期待下さい。九州男児はそんな生き方はしない。ホンマかいな?見ればわかる。喝。
立派な本堂の締め縄飾り。彫り物が酢ばらしい。作者は分からなかった。因みに帝釈天はどんな神様。仏様の守護神。しかし現在では神もも仏も信じない人が少なくない。そんな人にとっては己の守神でもなんでもない。だから幸せにも疎い。お呼びでない。
帝釈天は空海の教え。高野山真言密教の教えの影響により信者も少なくない。他の宗教でもその影響は小さくない。親父の好きなお寺さん。箕面西光寺の歓喜天のお堂も同じ教えかも知れない。原点はインドヒンズーの古代バラモンの教え?これは高野山にこもって修行しないと分からない?
境内の庭は小石で敷き詰められていた。球砂利の色ではない飴色の砂利。靴を脱いで歩くと最高の感触に違いないが弁当を食う場所を探していたので綺麗な石のベンチに座り贅沢な静寂の時を一人占め。何とも言えない幸せの時を噛み締めていた。これからの高齢者の生き方はこうありたい。そう言われても多くの高齢者は全く分からない。そんな生き方がこれから出来ると思えば自慢出来る。そんな自慢話は聞きたくない?
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