長岡天神の見事なミヤマキリシマ 満開の時を過ぎていました それでも雨の中を淡々と歩いていた この近くで新婚の時を過ごしたのも昔々の話。
阪急京都線。長岡天神の駅は半世紀前と何も変わっていなかった。新婚の時を過ごしたのはこの手前の町「大山崎町」天下分け目の戦いは関ヶ原の戦いと言われているが、秀吉が天下を取るきっかけはこの近く「天王山の戦い」で主君織田信長の無念を晴らした事が1番の原因であった。その歴史の合戦の後もこの近く。そんなこの地の思い出は少なくない。ただ感動の時は過ぎていた。
長岡の天神さん?そう菅原道真の在所。その道真公が何で学問の神様と言われるの?それ程に賢い人でも朝廷から九州太宰府に島流し。平安時代の昔はそんな時代だった。しかしそんなお裁きは今でも何も変わらない。賢い人は疎まれるし阿呆は使いものにならない。これまで多くの人事采配を目の当たりにしてきたが組織の中だけでなく個人的にも全ての人に歓迎される人事は全く期待されない。
期待していたこの見事なミヤマキリシマの回廊は残念ながら先週の後半で見頃の時終えていました。例年の満開の時は4月中旬だと言うことを昨夜知り慌てて尋ねましたが手遅れでした。それでも雨の中をゆっくりと歩きながら満足していました。この広い公園は秋には紅葉の名所にもなります。今年の秋の紅葉に出会えるかは分かりませんがそれはそれでまた楽しみです。そんな夏を超えたい。
これから暑くなるとこの池の上も蒸し暑い風も凪いで(無いで)汗が噴き出してくる。そんな汗を脆(もろ)ともしないで吹き飛ばす。そんなオイヤンになりたい。明日からは来月から取り組む故郷(大分県佐伯市)の地域振興。地域の魅力の創造。そんな必要は全くない。
第三次となっている「食の街佐伯」の食育のレシピをどれだけ自分の物に出来るかに違いない。そんな事が出来ても駄目。どんだけの魅力を見つける事が出来るか。どんだけアピール出来るか。その結果をどれだけ思い知る事が出来るか?それ以上の物があるのだろうか。
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