今日は朝から解体工事でうるさい 久しぶりに音楽プレーのイアーホーンを取り出してい様しい行進曲で耳を塞ぐ アホやのう
公園の立派な楠木?この木は50年弱前に全国100年の中から寄贈された物。当初は立派な銘板にその町と木の名前が明示されていたが今は取り外されて何も無い。それでもこうして背丈を伸ばし立派に成長しているのはこの木の生命力とこの木を植え育てた多くのこの街の植木職員のお陰に違いない。それでも今は枝が伸びて邪魔になれば大型クレーンで吊るし切りをされるだけ。この葉っぱは春先に成らないと落ちないのだろう。
コロナウイルスの飛沫管戦隊作のマスク。一度も使わなくて紐が切れる。中国製でもそんな物があったが国産品では初めて。その原因は紐が縫い込まれていない。接着剤でくっいている。残っていた他のメーカーも同じ。マスクの使い方も乱暴に扱うと使えない。このマスクは丁寧に一つ一つ包装されていてすごいと思ったけれど簡単に紐が取れては使えない。
今朝は起きる時間が12時を過ぎていた。最悪。過ぎたるは及ばざるが如し。その言葉の意味を思い知る。そんな訳で公園の整備も今日は写真を撮るだけ。これだけ綺麗にしているといずれ必ず「中止命令」を受ける。?誰から?アホな市民のチクリ?これだけ綺麗にする意味がないと思っている人も少なくない?それも充分承知していると思っていたが夏目漱石の戒めの言葉を忘れている?
坂道を登りながら考えていた、知に交われば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。(草枕)?この短編は読んだ時難しい言葉が重なり合ってちっとも面白く無かったがこの言葉は忘れていない。それでも浪花節的な生き方をして来たのは何故だろう?関西でも現在ではこの言葉が通用する事を意識していない。知に交わらず情には疎く(うとく)意地と立場がまかり通る。
公園整備の仕事も所詮(しょせん)自己満足。そう思えば勝手な行動は許されない。いずれ間違いなく少数のおバカに否定される。その人達は決して小数ではない。その人達がこの街の多くの様相を決めている。そう考えると多くの人がこの公園がどんなに綺麗になっても見向きもしない意味がよく分かる。ソロソロ潮どきに違いない。まだまだやるべき事は残されているが程々にしないと足元を掬われる(すくわれる)
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