町と街の違い それは規模 しかし明確な基準はない まち、ひと、しごと 創生戦略を明確に語れる「まち」は無い
11月も中旬。公園の整備もようやく綺麗になってくる。しかしこれから落ち葉のシーズンになるので整備した公園の落ち葉の清掃が本番を迎える。その清掃が楽になる様に草むらの草をスコップで剥いで綺麗にしたが結果的に余計な事をしてくれたと思われている?
この木は公園のグラウンド側の桜。この落ち葉はグラウンドの通路側に落ちるので関係ない?そんな事はありません。この落ち葉もシルバーの叔父さんが効率の良くない掃き掃除をするだけ。ブロアーで吹き飛ばして端に寄せ簡単に袋に入れて片付ける様な手配を管理者はしない。その程度の清掃で誰も文句は言わない。その程度の「まち」です。そんな事は如何でも良い?これがこの街の秋の景色です。
公園のあちこちにこの落ち葉と土の山がありますがこの落ち葉は軍手で掴んでゴミ袋に入れないといけない。今日は軍手を持ってきていなかったのでこのマンマ。それでもこれは明日簡単に処分出来る。今ようやくその目処が付いていい仕事が出来ている。自分で言うな?自分の感性で人の物を語るな?この言葉は未だに言われるがこれだけの仕事が出来ないアホに言われたくない。その通りです。
情けない奴がいる。この程度の商品を半額になって買い物をしてそのビニール袋を通路のど真ん中に捨てている。親父がさりげなくそのゴミをこの落ち葉の上に置いているがこいつは間違いなく長生きは出来ない。その程度の事も分からないのだろう。罰が当たる。そんな認識は全くない。
ここはグラウンド自販機横の楠木の大木。土日となれば多くの母親がこの前に自転車を止めるが公園管理者に自転車置き場を決めろと指示をしても梨の礫(なしのつぶて)この言葉の意味は無しと梨を重ねている?如何でも良いけど自転車を公園の中で乗り回すガキも少なくない。
ここは一度綺麗にした所。その時声を掛けてくれたおばちゃんとは今は話もしていない。仕事をしていていろんな人から声を掛けられたがお友達になれたのは小5の娘だけ。その娘も今月からお別れをしている。有り体に言えば今月からはこの仕事は終わりだった。それがこうして仕事を続けていると娘に笑われるに違いない。きっぱりとお別れをしたのにだらしない。上等です。
この藪蘭(やぶらん)の手前の雑草は昨日綺麗にしている。これで暇が出来た時にこの花の手入れをしてやれる。そんな気の利いたご婦人はこの街には居ない。そんな街のブランド力は何時から失われたのだろう?そんな問いかけも市役所の幹部には無い。
毎日綺麗にしてもこうして平然とゴミを捨てるアホンダラ。この程度の生き方をしている。今日はこの先のベンチに10人を超える若者達がやってくる。大勢のグループだったが最初は大人しかった。段々声を大きくなり女の子が大声で笑った時、親父から怒られる。それでもその女性は怪訝な顔して惚ける。「コロナの時代は終わっていない。その程度の事が分からんのか」その言葉を受け止めたのは意外にもイケメンの青年だった。それでお終い。流石です。その一言はお詫びの言葉だった。
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