寒気がする 暖房を入れる(エアコン)でも石油ストーブの暖かさは無い アホか
この木もこの公園の開設時に植えられた楠木。全国100のどの都市から寄贈された看板が取り外されているので分からないが、この粗末な管理は何時から始まったのかも分からない。その木の周りを綺麗にしているのは誰からも見向きもされない。そんな事も如何でも良い。そう言われていた。
この場所も本当に綺麗になりました。左上に見えるゴミの掃き寄せも小さくなっています。明日このゴミの山も熊手で燃えるゴミは袋に入れて土は近くの凹地に落とし込めばこの場所は完成です。その時もそう遠くではありません。この場所は左と右の通路を多くの人が通るのでその変化に目を見張るに違いありません。まさか?それでもそれも如何でもいい事。汚い公園が綺麗になっても何も感じない?その程度のまち、ひと、しごと、創生戦略?違います。創生出来ない無策です。そうは思わない?その程度の感覚です。しつこい。確かに。
この落ち葉も明日ゴミ袋に入れる。明日は日曜日。公園管理担当者の出番は無い。この程度のゴミは簡単に袋に詰め込む事が出来る。何時迄こんな仕事をするのだろう?それはいずれ分かる。今年一杯?来年も?それはありません。そんな仕事が待っている。そうかな?
段々エアコンの暖房が効いてくる。ただ寒気は和らいでいるが最近夜になると鈍痛がある。親父もこの時期になってコロナウイルスに感染?それはありません。親父はワクチン摂取をしていませんがコロナ感染の心配は何も無い。その証拠は熱が出ない。熱が出たら手遅れ。大阪に医療崩壊の教訓は何も生かされていない?そんな事実は無い?生かされている。嘘をつけ。嘘ではありません。知らないだけ?知らせろ。
ここは公園の西端。この外は国道の歩道。その清掃はどこの誰が責任者か未だに分からない。池田土木事務所の管轄と思いきや誰が清掃しているのか見た事がない。ただ以前と比べて格段に綺麗になっている。ただパーフェクトでは無い。そこまでは出来ない?そんな言葉も聞いていない。言う必要も無い?そうらしい。いずれ恥をかかせる。アンタがね。そう思われている。
熊手の後があるが京都のお寺さんの庭に負けない公園の庭は目標にしている。そんなに綺麗にする必要は何も無い。アンタのお陰でこの公園の敷居が高くなっている事が分からんのか。あほんだらと罵られた事は忘れていない。あの親父さん。あれから姿を見せないがその程度の言葉に怯むくらいなら最初からやらない。最初の頃、この場所を熊手で綺麗にしている時に写真を撮っていた中学生の女の子はこの庭を見て如何思っているのだろう。そんな事も如何でも良い事かもしれない。そんな事はオマヘンエ。京都弁で喋るな。オオキニ。
人間万事塞翁が馬。この中国の故事を知らない人も少なく無いがこの木の根元の白い所迄土でした。その土を掻き落としてこれだけ地肌(木肌)を見せているのはこの木の根元の美しさを見て貰う為。しかしそんな見方をする人は一人も居ない。ここに落ち葉が溜まらない様に細工がまだ十分ではない。ここにも綺麗な土を入れて熊手の通りを良くしないといけない。
この木の後ろに街角図書館のスチールの小さい建物がある。この廻りも汚くてこの木もその影響で薄汚れていましたが親父のお陰で見事に綺麗に落ち葉の清掃が行われています。このミニ図書館は古本の寄付でNPO法人が運営している。ただこの廻りは本当に汚かった。利用者も図書館にも行けない人達。そんな貧しさは誰も意識していない。読書の喜びはそんなもんではない事も知らない。
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