公園整備の最終日 枯れて土に埋れていた株を掘り出して大きなタワシで磨く
今日で市役所前の「駅前公園」の清掃に区切りをつける。水曜日と金曜日に近くの塾に来ている娘とは昨日「これから会えなくなるね」と別れの言葉を交わしているが明日からはしばらく様子を見るだけ。ただ例外としてこの木の株だけはタワシで磨く?ただその時も少なくなる。
これは昨日この株の上に被さっていた土を熊手で掻いただけのマンマ。今日はたわしに水をつけて擦ったのでこれからは少しずつ輝きを増す。そしてこの株から新芽が出てくる?それは冬が過ぎて春が巡ってきた時。遠い先の様で実際は4月先の話。その時は全く違う仕事をしている?それとも今と何も変わらない?楽しみだな。ただ期待は出来ない。しかしそろそろ最後のチャンスを手にしないとくたばる。
ここは公園整備を始めた時に綺麗にした所。そして最後に綺麗にした所。これだけ綺麗にしても誰も加勢はしてくれなかった。親父が片付けた草を公園管理の担当は週2回の清掃で見事に片付けてくれたが親父の仕事を全く目にする事は無かった。
当然の事ながらこの綺麗になった公園の一角通路に置かれている観葉植物をこの空き地に上げる事はしない。何故だろう?そんな事は行政の許可がいる。この行政の管理は現状維持。それが出来なくてどんなに公園が汚れても余程の事が起きない限り口出しをする立場にない?地域のコミュニティ活動も全く同じ。無きに等しい。それでもこの街の市民は街に誇りを持っているる。信じられません。
最後にこの石碑の周りを綺麗にして公園整備の仕事を終える。この記念碑は池田の行政の記念碑として市内あちこちにあるがこの管理は誰もしていない。公園管理者が胸を張って綺麗に修理する事を約束してくれたが嘘でした。この管理者には多くの注文を出したが何一つ叶えられていない。
親父が掃き清めたゴミは流石に回収してくれたが11月からはそれも無くなる。その対策は全く期待していない。そして以前の汚れた公園になる。それは成らない。如何して?その対策は抜かり無い。このブログは全国の人が見ている事を役所の連中は知らない。
恥さらしと言われても舌を出して惚けている。この追求はこれから益々激しくなる。それでも変わらない。大阪維新の池田の支部長が市長です。今回の選挙でも大阪維新は日本維新の会として大阪では圧勝。それでも地域の魅力は問われない?威勢の良さで人々の暮らしは変わる?ホンマに関西はアホです。関西だけでなく世の中を変えるという事は簡単では無い。
それでもこの記念碑の廻りは綺麗になりました。ゴミの山を残しているのはワザとです。このゴミの山を片付けるのは熊手でゴミを掻き分け燃えるゴミは地域清掃の袋に入れ土は廻りの窪地に落とし込む。それで見事に綺麗になります。それをやらなかったのは綺麗にするとおバカがこの中を通路と間違えるから。本当にクズの様なアホは少なく無い。それも明日から関係ありません。
ここも綺麗にしていない様で草の根は綺麗に断ち切っているので公園管理の担当がその気になれば30分足らずで綺麗になります。(もっともそのやり方は親父から何も学習していない)?それでも出来る?やってみないと分からない。信じられない事に何も学習をしなかった。
このゴミカゴのゴミを見ればこの街の住民の愚かさがよく分かる。しかも一部のアホ達。家庭のゴミをこの中に入れて何気ない顔をしている。何時迄そんなクズの様な生き方をするのか?そんな問いかけすら出来ない。公園管理の担当(ゴミを片付ける人)もその資質を問われる。何時迄こんなおバカの尻拭いをしなければいけないの?そんな管理もされていない。池田の恥さらしはいつまで続くのだろう。
ここにはもう少し綺麗な土を入れてゴミを放り込まれないカラクリを作るつもりだったが出来ていない。明日からの11月も公園を綺麗にする仕事をやれば見事に綺麗に出来る。しかしやりません。親父がやらないと元に戻る。それはさせません。(偉そうに言うな)そうではなくてそんなレベルの低い仕事はしていません。この落ち葉も熊手で掃けば綺麗な土が出てきます。その程度の仕事は行政の1丁目1番地でしょう。
ところがこの街の新任のママさん市長がどんなに綺麗事を言ってもこの程度の公園の汚れも綺麗に出来ません。市役所の前の公園が地域の自慢にも成らない公園。他所の地域の公園とは比較にならない綺麗な公園が当たり前の様にある。そんな魅力のある街づくりは誰も期待していない?まちづくり、地域の誇りは安全、安心、綺麗その程度の仕事も出来なくても「維新」?アホでしょう。間抜けです。
何はともあれ江戸むらさき?選挙は終わり予想と全く違ったのは大阪維新の勢い。この街でも例外ではなく「維新」の候補者に圧倒的な支持が集まりました。これは紛れもない事実。しかしこの政党がこれからこの国を変える事は何もありません。
自民党と是々非々でやっていくと言う事は公明党のこれまでと全く同じ。公明党が果たした政教分離の掛け声がどれだけの物であったか?創価学会の宗教団体の組織票はこれからも何も変わらない。維新の支持者はその事とは全く違う反自民の道を期待されている。その事が分からない。見えていない。
この木何の木気になるき。そう思っていたらこの枝先の花を見ればすぐ分かる。しかし金木犀(キンモクセイ)香りがしない。
こちらは紛れもないキンモクセイ。香りが季節感一杯。明日からはどんな面をして歩くのだろう。本当の意味で最高の幸せとは何か?その道筋は見出す事ができるのだろうか?多様な価値観の中で本当の本物が問われてもそんな事に興味も関心もないと言い切る人も少なくない。そんな人にどれだけの影響力が与えられるのかそんな事はどうでも良い。あと、2ヶ月で今年も終わる。暖かい正月を迎えたい。
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