あんたがお望みの靴は当店にはありません よく言ってくれました チヨダさん。しかも店長のお言葉 それで商売が出来る。
靴は歩く為の大事なツール(道具)であるが最近の靴には殆ど中敷が入れらているがこれほど極端な極端なのは珍しい。今回初めてと思って今まで履いていたのを見てみると全く同じものが入っている。その凹みの部分に穴が開いている。この部分は凹んでいるから今度は良いかなと思ったのも束の間。左足の親指の下に掛かる力は半端ではない。そんな歩き方をしている。チヨダの店長に言われた言葉は嘘ではなかった。
しかしそれが事実だとしてもこのチヨダの店長は商売人とは言えない。この程度の商売人は少なくない。これから高齢化社会になればなるほど靴の重要性は高まる。近くにある服部天神は足の神様とも言われているがこれは全くの嘘。足の願掛けの天神様には間違いないが足の神様は天神様ではない。足の神様は自分の体の中にある。その事を知ればもっと足を労わらねばならない。
ようやく見事な庭が完成です。しかしこれから熊手で掃きながら毎日のお勤めが求められています。今日で全てが終わると思っていましたがまだまだです。それでも8月、9月の様に毎日顔を出して土を掘り下げて草を抜く様な仕事はしなくてもスコップの出番はまだまだ続きます。それでも宣言通り公園整備の仕事はこれで一応終わりです。誰からも後を継いでくれる人は名乗りを挙げては呉れません。上等です。
潜水艦も見事に再び潜水の態勢。この草を剥ぎ取られて土が剥き出しになっていますがこれからこの土も日1日と干からびて自然な土色に戻ります。この手前にベンチがありますがそのベンチに座る多くのグループはこの景色に感嘆する事はありません。親父が綺麗にしている時でもそうでしたからこれから鬱陶しい親父がいなくなると尚更の事でしょう。それでも間違いなく暫くの間は素晴らしい庭に間違いありません。
この先は公園の西側の出入り口。但し自転車では通行出来ない。階段。その事を教えてやっても殆ど無視された。と言う事はこの道は歩行者専用?そんな看板は無いのでほとんどがここまで自転車を乗り付ける。左も犬の散歩で平然と犬を入れてションベンをさせる。これだけ綺麗にしても何も感謝出来ない多くのおバカ。その程度の生き方をしていても注意をすると開き直る。「誰が決めたんや」アホか。
これだけ綺麗にしてもこれからは子供達の絶好の遊び場所になる?それは許し難い事でも親父かこの公園の管理者でも掃除のおじさんでもない。「お前は何もんじゃい」と開き直るおばかがこれからも出てくるに違いない。そんな言葉に怖気(おじけ)づく親父ではないがこれからは素知らぬ顔をして通り過ぎるだけ。この公園が駅前公園ではなく市役所前公園である事を多くの市民は知らない。
ワンダフル。池田を訪れる外国人観光客はコロナの影響でほとんど見かけられないがそんな行政をしてもその危機感は何もない。外国人ばかりか県外の観光客も皆無。その理由を観光課に聞いてみる必要もない。このご時世。池田の街にはインスタントラーメン館以外に見所はない。そう思われている。そうではない事をどこで確認しているのだろう?この事は親父の故郷でも全く同じに違いない。
明日からは10月で親父の公園整備は今日で終わりだがここはまだ綺麗になっていない。ただここは一度半分近く土を掘り上げて草取りをしているので1時間もあれば綺麗に出来る。熊手で落ち葉を掃いて草をスコップの先でツンツンする。それだけでもう一度熊手で掃けば見事に綺麗になる。明日やります。オマケがまだ一杯残っている。適当に綺麗上げないと切りが無い。確かに。まあ仕様がない。
昭和49年と言えば長男が生まれた歳。当時のこの公園の素晴らしさは知らないがその看板がひっそりと親父に礼を言っている?まさか。この看板は当時どんな思いで命名されたのだろう。池田の街は今は10万世の人口になっているがこの公園は到底「都市の森」とは言えない。市民にも市役所にも見捨てられている。この公園が果たした役割は再びは蘇らない?その必要も価値も無い?そんな事はないだろう。
ここは公園の外の歩道。誇りも埃理に変わり果てこれだけ汚れ果てても水を撒いて土を綺麗に掃き取ることも出来ない歩道の管理者。その土を剥ぎ取り塵取りで掬い取ってそのゴミを公園の中に放り込んでも綺麗にはならない。明日バケツを持っていって水を流さないと綺麗にはならない。デッキブラシも必要になる。そこまで親父にやらせるのか?最低のこの歩道の管理者。所長はどんな面をしているのだろう。
ここは雨が降ると少し凹んでいるので水が溜まる。だから土が掃くだけでは綺麗にならない。ここに水を撒いてデッキブラシで汚れを流し取る。そこまでやれば日当を貰わないといけない。誰がやるか。確かに。そんな汚い街でも誰もそうは思わない。
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