大阪に帰ってくる 掛川で見た事は必ず活かす 10年先も今より元気で生きる 出来るかな?それはあなた次第 確かに
足裏のツボを意識して生きている人は関西人でどれだけ居るのだろうか?そんな事はどうでも良い?そう思われている。当然ながら人は無意識で自分の健康には自信を持っている?ところが意識して自分の健康法を探る人は多くはない。それも当然といえば当然と言える。その結果は誰もがこれから思い知らされる。それも関係ない。ただこれからの1番の幸せは「自分の事は自分でやれる」そんな生き方に違いない。
足裏には多くのツボが集中している。そのツボを素足で歩く事によって刺激する。その素晴らしさを関西人は知らない。関西人だけでなく日本全国津々浦々で生きている人の多くは知らない。都会で生きている多くの人は歩けない。嘘の様な本当の話。それでも足裏の多くのツボの刺激と養生で元気に歩ける努力もしないのはどうしてだろう?そんな事はどうでも良いと思われているから?アホです。間抜けです。
この上を素足で歩く?歩ける訳がない?歩けません。悲鳴を上げる前にギブアップ。ここを歩ける様になるには訓練が必要。このとんがった石の先は足裏の皮膚に突き刺さる。それでも人間の足裏の皮膚はポイント(点)で赤くなっても破ける(血が出る)事はない。それだけの強さと柔らかさがある。久しぶりに歩こうとしてもとても出来ることでは無かった。
このとんがった石の上を平気に歩ける様になるまでは最低半月は掛かる。身の軽い人でも数日は歩けない。そんな人がこの掛川ではどれだけ居るのだろうか。掛川でもそう多くはないに違いない?今回10年の間隔が空いたがこのお庭踏み石のことは忘れた事は無かった。
ここも完全にパス。今回は見学が目的でこんな厳しい上を歩けるとは考えていなかった。
ここは石が丸いので苦笑しながら歩ける。しかしこの程度の石の上でも最近の高齢者は歩けない。石の上を歩くと言う事がどれだけ大変な事かその程度の事も意識して暮らしていない。その事はどれだけ問題が強調されても意識はされない。そんな高齢者の未来は間違いなく深刻な状況が予想される。それでも関係ないと思われている。そうではない事をこの記事を見ている人がどれだけ考えが変わるか?それだけで充分だろう。
ここはスタートして間もない部分。ここでも歩けない人の為に左に平坦なズルする歩道がある。しかし久しぶりに歩く親父でもここは歩ける。この丸い石道でも歩けない高齢者は少なく無い。これだけの丸い石でも裸足で楽々と足裏の刺激を嬉々と出来る人は少ない。人間の足裏の凄さはその役割の凄さである。それはその機能を知らなくても手に(足に)している。
この黒い所は石が細かく鋭い(とんがっている)ので完全に歩けない。近くの(地元)人でも常連でないと簡単には歩けない。この踏み石を嬉々として歩いていた時から多くの歳月が流れているが当時と何も変わったいなかった。変わった事は間違いなく地域住民の関心の薄さとこの効果の認識に違いない。
しかしこの施設が出来て30年近くが経過してもこの維持管理は疎かにはなっていなかった。草は刈られずとんがった石の一部は欠けていたが全てが殆ど大事にされていた。ただ次の10年は分からない。30年は間違いなく消え失せているの違いない。親父も生きていないに違いない。生きると言う事はそう言う事だろう。それで良いのだ。天才バカボンも笑っていた。
流石にこの上を素足で何なく歩くには足裏のツボに欠陥があれば歩けない。足裏のツボに刺激が突き刺さっても何の痛みもない人は無い。それでも歩ける人は硬い足の裏の皮膚?それが全く違う。硬い皮膚では石の先端が突き刺さる。とてもでは無いが耐えることができない。歩いても耐えられる人は足裏の皮膚に弾力性があり石の鋭さを受け止める事が出来る柔らかさが必要。足裏刺激は強烈で足裏は血の巡りが活発になり足裏はポカポカになる。(今日は無理だったけれど)?
今日は平日でも定期の健康診断とコロナのワクチン接種で多くの車が停まっていた。電話で事前の情報を教えてもらっていた課長代理の保健婦の女性も忙しそうだった。ただガキの使いでは無いので取材はする。突然の訪問で忙しそうだった。ただこれからの地域の健康対策は足裏から始まる事は余り知られていない?そんな感じがしていた。ご迷惑をお掛けしたに違いない。ただ掛川も寂れていた。
駅前は10年どころか20年以上前に見ていた光景と何も変わっていなかった。この後大阪人の全く知らない磐田の駅前に立つがここはすっかり様変わりしていた。ただ地域の活性化は全国どこでも似たり寄ったり?政府は尤もらしく今でも地方創生、地域の活性化を口にするが地方はどこも人の往来が全くありません。人の往来はなくてもコロナの感染拡大に例外はない?それも桁が違う事をこれから東京人は思い知るに違いない。
コロナの感染拡大を止めると言いながら人の往来を止める事が出来ない。いつまでも飲食店の営業自粛を求めても感染拡大を止められない東京。それでもオリンピックの歓迎セレモニーは今でも行われ繁華街の人の往来は何も変わらない。伝統の巨人阪神戦?首位阪神を追いかける巨人の中心選手が決定的なエラーをして決定的チャンスで雨天コールド。天にも見放されては勝負に勝てる訳がない。
磐田の駅前はすっかり綺麗になっていた。マスコットキャラの石塔はケツを向けているけれどご愛敬。名前は観光協会で聞いたけど記憶に残っていない。人通りも全く無かったがこれのご愛嬌?地方創生とは狭い通りを広くすることだけでない事をこれから思い知る?バスの路線も市内の循環のアクセスも利用者がいなくてはドンコン(如何にもこうにも)ならん。この賑わいを取り戻す戦略はどこも手にしていない。
子供達が小さい頃一緒に来ていた通りは倍の広さに拡張されていた。この通りの右半分には商店街があった。道路幅は左半分。片側1社線。それが倍になり広々しているがこの先を歩くには荷物が邪魔になる。駅前の観光協会で能書きを垂れ、近くの感じの良い喫茶店で冷たい飲み物を一気飲みをして昼飯を食いながら外の景色を眺めていた。それで充分。この地域が活性化する事は期待出来るのかな?
懐かしい町名と地域が見える。初めて戸建ての家を手にして子供達が育った町。今は磐田市竜洋。掛川に立派な家を買っていなければ当然人生は変わっていたに違いない。しかしそれも人生。ドラマはまだまだ続いている。
天竜浜名湖鉄道。二俣城。二俣の町。小國神社。懐かしい地名を見ながら淡々としていた。これからの人生のドラマはどんな結末に迎えるのか?それは分からない。女々しい4半世紀が続いているがこれからの人生は雄々しくありたい。それも自分の心がけ次第?それはどうかな?意外に予期せぬ展開が待ち構えているのかもしれない。それでも悔いのない人生。それは足裏の管理に違いない。
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