名塩道路と言われても関西人の多くは知らない その改修工事(道幅を片側1車線から②車線へ)まだ完成しない
この道は国道176号線。この道が渋滞してこの地域の人達が永年来る死んでいたのが嘘のようにすっからかん。その理由は上のトンネル(名ジオ八幡トンエル)が開通したから。このとんねるの他にもう一つ短いトンネルがあるがこのバイパスのお陰でなじおの地域の人達がどれだけ交通渋滞から解放されたか?その現実は多くの関西人は知らない。どうでも良いから?知らないという事はそういう事?
ようやく静けさを取り戻したこの道は路線バスが頻繁に通る。それだけ利用者は多い。この道を始めて歩いた時は歩道もこんなに整備をされていなかった。今でも自転車は当然ながら歩く人が殆どいない。近くの小学校の子供達もバス通学。その意味はこの道が原因?しかしこの左に学門の道「蘭学通り」がある。蘭学(オランダの言葉を学びこの国の形を変えたと言われる学者達が学んだ)歴史を多くの現在人は知らない。
小学校前のバス停。初めてこの場所に来たのは近くの滝を見にきた時。この滝の場所も分かり難かった。西宮市役所の観光案内で見て近くの支所で聞いても殆ど知らなかった。西宮観光協会のパンフレットで紹介しているだけで地元の人は全く知らなかった。その状況は今でも何も変わっていない。その時、このベンチで座っていた子供と話をした事がある。小学生でバス通学だった。
全国何処でも見られる山間過疎の小学校。ただここ名塩はまだ関西が近い。ここで学ぶ子供達もまだ少子化の影響は近くに住宅団地があるのであまり受けていない?しかしその環境も中学まで。高校は無いので隣の宝塚か三田の高校になる。専門学校大学は大阪、神戸、京都、名古屋、東京。一度故郷を離れると戻って来るのは現役リタイア?それも叶わず。地方創生の芽はつぶされている。
この地域が和紙の一大生産地として賑わったのは江戸時代の終わりまで。この看板の文字は薄くて読みにくいがその説明が簡潔明瞭に記されている。ただこの紙漉き(かみすき)の館も職人芸を見せてくれる所ではなく小学生の学習の館。人間国宝の紙漉きの技はここでは見れない。
親父はその技を特別に見せてもらっている。その技をブログに記録していたがその記事も今は消して見る事も出来ない。でも親父さん元気で頑張っているのだろうか。それとも東京から戻ったせがれが跡を継いでいるのだろうか?伝統芸術の火は絶える事はない?
武田尾へのハイキングコースはここから始まります。しかしこの道はよみうりカントリークラブの専用道。ハイキングコースはそこから。ただゴルフ上の外周は殆どがアスファルと。一部山の中の歩くけれどこれはハイキングコースとは言えない。様相が一変するのは武田尾の尾根に出てから。尾根を右に歩く尾根道は短いけれどこれからすばらしい季節になる。
旧国道(親父が勝手に言っているだけ?)バイパスの道が完成するまではこの道を大型車がバンバン通っていた。歩道は無く路肩は狭い。流石の親父でもこの道は通れなかった。今ではこの道を通る車は路線バスと地域の車。この村を通り抜ける車はバイパスの道を通る。(という事はこの道は旧国道ではない?)これは確認すればわかる。
こちらが旧街道。右に名塩川が流れている。江戸時代紙漉きが盛んだった頃は清流だったに違いないが今はその面影は全く無い。
ここで寄り道をする。この丘の上にこの地に紙漉の技術を伝えたと言われる東山弥右衛門の墓がある。しかしこの墓は後世の人が建てたとも言われ弥右衛門その人の骨は収められていない。飽く迄も伝承。その歴史的考証は何もない。
それでもこの道は何も整備をされていなかった。その価値も無くなっている?それでもこの上はこの村の共同墓地。それも表示も何もなかった。親父が知ったのは水上勉の短編「名塩川」を読んでから主人公の東山弥右衛門の事を知ってからだった。ただし小説は事実では無い。作者がどんな思いでこの小説を書いたのか?その事と歴史的検証は別問題に過ぎない。地元の名士に聞いてもその事実は分からなかった。
旧国道(今でも国道?)に出る。この人気のない道でもここに出る迄は地元住民と出会う。さりげなく挨拶はするが不審者扱い。親父も完全に無視していた。言葉は交わさなくても警戒されていることはビンビン感じる。他所者が何しにきたのか?そう思われていた。この村の未来は無い。もっと多くの人にこの村の良さを知って貰う。そんな取り組みは誰もしていないのだろう。あなたがして下さい?やりません。
この道が完成した名塩バイパス。立派な片側2社線。この先数キロ、名塩八幡トンネルの先まで②車線で下り道。快適に飛ばせるがトンネルの出口で信号があり旧国道に合流しその先で①車線に絞られる。事故が起きないのが不思議です。知らないだけかもしれない。
ということはこの路線バスが通っている道は国道176ではない。国道はこのバイパス直線道路。ではこのバスが通っている道は県道?
旧街道は小面上の石垣の下。この道も何度か歩いている。故郷の匂いがしていた。この先まだまだ歩く。
オイオイ。歩道がなくなる。何処を歩く。心配ご無用。この右下の坂道を降る。その先でこの国道を渡る。ここでもいいじゃねえか?アホコケ。ここは正面の見通しが悪い。今回よく見るとガードレール沿に歩けそうだがそんな表示は何もない。
この場所の工事は来年3月末まで。ただ道は繋がらない?
ここで反対側に渡っている。右の壁は中国自動車道。この歩道に伸びている草。切りなはれ。以前歩いた時もそう思っていた。
以前ここはせまくて歩けなかったが何とか歩ける。それでも左を歩いている。(狭い道を歩く時は右を歩くな。正面から車が来る)左を歩いていると後ろの車に耳を澄ませておけば良い)ただ危険である事は街がいない。
アチャア。歩けない。この先名塩川(5メートル足らずの橋がある。その端に歩道はない。)
どうする。迷う事は無い。車の切れ目を見て反対側に渡る。この先に信号がある。
この道が片側2車線で西宮山口から宝塚生瀬迄繋がるのは5年先と思っていたがまだまだ掛かる。ここから名塩の地域を抜けるにはもうしばらく掛かる。この先は明日です。
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