コロナ感染拡大 その対策は期待出来ない 何故なら危機感の共有はおバカには出来ない おバカは馬鹿者達だけではないだろう 一番のおバカは報道関係者だろう。新年の放送内容を見れば年寄りも若者も現役世代も今年は惨憺たる1年になる?そんな考えは全くおまへん。今年の決意宣言はいつ出せるのかな?アホ
今年の決意表明は簡単です。この階段から転落しない。今年77歳に成りました。爺ちゃんが死んだ歳。軍国主義の時代を生きて戦艦の砲手だった人がアメリカとの戦いで戦艦は大破。戦いで戦闘能力を失っても生き延びる事が出来た幸運も「無条件降伏」で悲劇の復員に追い詰められる。戦争に勝っていれば県知事よりも偉く負ければ田舎の日雇いの土方仕事しかなかった。
ただその仕事も出来る様になったのは体の病が治まってから。その爺ちゃんは誇り高き帝国軍人だった。田舎の多くの人に馬鹿にされても恥じる事は何もなかった。それが何よりの誇り、生きる証は必然だった。爺ちゃんから褒められた記憶は余り無いが悪い事をすれば捻り(ひねり)潰された。
「この親父、今に見てろ」そう思った事も少なく無い。その親父が親父を暖かく見守る様になったのは、親父が大阪に就職してから。それでも正月に帰省しても何も言わなかった。その親父が胃がんで亡くなった時は本当に悲しかった。ただその時はバリバリの会社の幹部。親父には最高の親孝行も出来た。その真逆がお袋。お袋には本当に申しなけなく思っている。しかしそれは突然の不幸。大事にしなかった(しなければならなかった)連れ合いの突然の肺癌宣告。医者から告知された通りから半年の命だった。
あの時から人生は一転する。予想もしなかった事は何度の体験していたが、どん底に突き落とされる事はなかった。どんなにしんどい事があっても二人なら何とか乗り越えられる。そう信じていたから3年間立ち上がる事が出来なかった。その当時愛車(スカイライン)にどれだけ慰められた事だろう?その車ともお別れれのとき頭の中で思った事は査定金額だった。このやろう。
今こうして淡々と口に出来るがこの階段を転げ落ちたら哀れな人生に乾杯?それは出来ません。その為にはこの手すりを持たないで足腰をリズムカルに動かしてトントンと駆け上がる。そして手すりを離さないで階段を踏み外さない。そんな歩き方を今年もやらないといけない。親父が元気に奉仕作業が出来るのは後10年。そう信じています。10年間の仕事も明快です。ただその交通費と宿泊費はこれから稼がないといけない。
今年はそんな生き方をします。どんなに立派な仕事もボランティアでは意味がない。価値がない。今年は地域の役所の幹部にも評価されなかった地域活性化のノウハウ。そんな物は何の役にも立たない。誰もそんな事はどうでも良い事を痛感した。この街の救い難い行政のあり方。それは何も例外でない事を思い知るに違いない。そんな現実を思い知らされても希望の陽は絶えない?それは分かりません?いいえ思い知らされてもそれでも異端者の振る舞いは浅ましいに違いない。ただこの国の歴史を変えた人も異端者。何も怯む事は何もない。
日本一の歩道?どんなに自分でこの国の一番を宣言してもその価値はない。この石垣の上にも15センチの平らな部分を確保してその内側に土止めの板を建てなければいけない。その先の石垣の上に垂れ下がっている植え込みも剪定して土止めの板を設置する。今年の春迄出来るのだろうか?それも親父次第に違いない。ただやるのはこの石垣の上を管理している指定業者。そんな予算は無いとケツをまくられる?そうはさせない。分かりません。神のみぞ知る。そんな神は居るのだろうか?
この石垣の間から染み出している水も石垣の下を手前に流れる長さも短く成りました。親父が水の流れを即右の用水路に導く。この石垣の湿り気を短くすればこの場所もゴミは貯まらない。ゴミを貯めずに金を貯めよう。その程度の仕事も親父任せ。任せなさい。ただこの右側の歩道が何もしないでいつまでツルツルを保つ事が出来るのだろう?それも観察出来る。ただそんなおバカは居ないだけ?そうかな。それも3月になれば様子が分かる。お楽しあれ。🤣
これがその土止めの板。これがあってもこの上の落ち葉の法面(のりめん)は猪ちゃんの格好の運動場。昼間は流石に姿は見せないが夜ともなれば格好の転げ回る場所。この場所も熊手で落ち葉を掻き上げないといけない。そんな仕事はこの公園管理者には手に負えない。今年熊手を買って親父がやる?まさか?
親父にそんな事をさせても市役所の管理者は指定業者に丸投げ。😛(あかんべー)親父のエラサに市長も秘書からの報告がない。秘書課長どころかその部下も担当者も舌を出して笑っている。それどころでは無い?市長は名前だけ?大阪維新の代表の元秘書でも今度の選挙では落選?大阪維新の会もその程度の仕事も出来ない。池田市民もその程度の街づくりも出来ない。
この忠魂碑の前もすっかり見違える様に明るく成りました。その原因はこの左側に役目を終えた五月山の旧貯水槽を取り壊して立派な耐震貯水槽が出来たから。ただその工事はその多くが国の補助金。補助金の目的は地域の活性化。災害対策。ただ建物と立派な広場は出来たがまだ供用されていないし見学も出来ない。貯水槽の耐震性はどれだけの有効性があるのか?事業者は説明もしない。工事の窓口は一番嫌いな公園みどり課。彼らとは話もしたくない。当然市民に説明も出来ない。説明を求められるとそんな悪口を平然と口にしている。
この公園の名前は無い。この立派な丸い柱は藤棚の支えの柱を保護している。同時に見学者の安全を担保している。親父がこの外側の庭を整備する迄はこの柱の周りにもアリの巣穴が一杯あったが親父からこのコンクリートブロックのメジ迄ホウキでは掃かれるので今は引っ越しをしている。いくらアホなアリでも毎日懸命の作業の成果をホウキで掃かれたら引っ越しを考える。それとも今は冬眠かな?こうしてみるとこの公園の様変わりもあっと驚く為五郎?知らん。でも今日待望の理解あるご婦人が登場。話が弾む。
これだけ水捌けの良い庭を造られるとなす術はない?頭上の唐楓(トウカエデ)の木が嘆いているがそれは親父の所為では無い。関西の水不足は春先の菜種梅雨迄期待出来ない。それは近くの川(猪名川)に行けばよく分かる。それでも水不足にならないのは山が近いから?温暖化の進行が加速すると益々水不足は進行する?ところが関西でも少し車で走るとそこは積雪で悩まされている。
雪国の人に提案した事があるがこの技術革新の時代に公設の有効活用が出来ない。その原因は何?その答えは余りに無能だった。コストが掛かる。コストを掛けずに除雪は出来ない。その答えを聞きながら雪国の人の愚かさを知る。温泉がこれほど(何処でも)湧き出てもその有効活用も出来ない役所のアホ達。それを活かす事も出来ない地域の活性化。他所の事は言えない。確かに。
この景色は昨年迄は藪の中でした。公園の庭が綺麗になった時この場所を管理している五月山公園管理センターの監督者が綺麗にしてくれました。今は会話を殆どしませんがその原因は親父にある。悪口増減を口にされれば誰もが話をしたくなくなる。それでも仕事は嘘をつかない。今日、訪ねてきてくれた人にその感謝の言葉を口にしていました。感謝の生活の実践。その言葉を経営信条にしていた親父たちが育てた会社もその言葉は嘘でした。宗教団体も解散し今は創価学会の世界?それも嘘くさい。箱根駅伝で何と往路優勝。そんな時代が続く?
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