穏やかな年の瀬 しかし現実は厳しい ところがその現実すらまともに報道されない?
年末の穏やかな一日 この上に立派な耐震貯水槽とその関連防災施設が3億円の政府の補助で完成しました。その場所で残された植樹帯とその土止めの板が見事に出来たがその価値はほとんど分からない。アホはアホなりに大人しく生きれば良いがそんなアホに限っての飲み終わった缶をポイ捨て。それでも誰かが片付けると思っている?それでも関係無いと思っている?速攻で片付ける。賢い真似は殆ど出来ないがアホな真似は簡単?
この左上に出来た耐震貯水槽 建物は完成したがまだ共用は出来ない。何故か?いつから使用開始が出来るのか?その広報は全く無い。この建物もどれだけ役に立つか分からないがその前の道は本当に綺麗になりました。日本一の歩道。親父が一人で喜んでいる。
この整備した公園もまだ多くの人に愛されていない。千客万来。そうは行かなくてもこの石のベンチに座れる様になっただけで上等。この石のベンチの前で跳躍のストレッチが出来る様になったのでその教室を来年開講します?これからこの街の高齢者100人を集めてここでウンチクを語る?そんな話は誰も聞かない?そうかな?医者に掛からなくても楽しい毎日を過ごせても受講者はいない。バカじゃねえか?そう言われても飛んで火に入る夏の虫。そんなチラシを配らないといけない。一遍上人もそんな生き方をしたのだろうか?レベルが違う?そうかな?
この藤棚のコンクリートの椅子に座り色んな人が色んな思いを語る。そんな憩いの時が重なる幸せは来るのだろうか?来る筈もない。それでも「希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる」これはアメリカの詩人サミュエルソンの言葉ですが、彼が生きた時代は親父は知らない。それでもこの年になっても彼の多くの言葉は親父の心の支えです。
これから老いの時を重ねる時、忘れてならない事は体力、知力。そして時の運です。面白くなければ生きる証を手に出来ない。多くの人の常識は非常識で有る証明が為された時、失意の底で人は何を思うのだろう?これからそんな時代がやって来る。それでもヘラヘラと笑って過ごせるのだろうか?そんな生き方はバカボンでも至難の技に違いない。
この大きな溝はこの庭の水捌けを考えたわずかな勾配が付けられている。しかし大雨が降らないと本当の効果は分からない。それでもこの水捌けの悪い庭の様相が様変わりしている。次に期待出来るのは春の菜種梅雨?それ共梅雨の長雨?いずれにしても足裏感覚で何度も修正を繰り返しているので水溜りは問題にならない?
どうしてそんな事が言える?それがプロの仕事だろう?土素人がよくそんな事が言える?コロナウイルス対策の専門家がどうしてこれ程の無様な事しか出来ないのだろう?批判されないから?結果の認識が余りにお粗末?他人事で無い事を思い知らされても分からない。
今年は多くの事を口にしましたが自分の生き方は何一つ変えることが出来ませんでした。多くの人に不愉快な思いをさせ多くの人の気持ちに添う事も出来ませんでしたがこればかりは息を引き取るまで変わる事はないでしょう。親父の性格は多くの人から言われた通り「自己中」人の意見は余程の見識者でも聞く耳を持ちません。
それが原因でどれだけの墓穴を掘った事でしょう。それでも王道を行く。最低の生き方。それでもその全てを受け止め嘆きの想いを噛み締める?よくそんな生き方が出来たと褒める人は誰もいない。どうしてそんな卑屈な生き方しか出来ないのか?思い嘆いた事が無かったのはどうしてだったのだろう?もっと楽で人と楽しく暮らす事も出来たに違いない。その真逆の生き方をすれば当然の報いを受ける。
その結果がこれ?それは違う。まだまだこんな物ではない高みがある。その高みを目の当たりにした時どうする?その事がこれからの大きな課題に違いない。その課題を手にして問われる事はこれまでの生き方。今年はその課題に敢然と挑み侮りの試練を乗り越える事が出来た。来年はその成果を確認しないといけない。
世の中はそんなに甘くない。西国浄土の夕日は今年最後の輝きを見せながらゆっくりと沈んでいく。明日は元旦。今年の年末は久しぶりに美味しいステーキを口にする事が出来ました。タレ無しで肉の味だけでこれだけ旨い肉が食えたのは貴方のお陰でした。長い間うまい肉を口にする事が出来ませんでしたが今年これだけのブランド牛(鹿児島姫牛)が食えました。唯厚さが5ミリ。来年は佐賀牛の4倍の厚みを食える様に頑張ります。アホか。その程度の生き方で充分です。
少年老い安く学成り難し 一寸の光陰軽んず可らず(べからず) 未だ覚めず池塘春草の夢 階前の悟草既に(すでに)秋声
親父の蘊蓄(うんちく) 池塘(池塘)・・・池の辺りの堤(つつみ) 悟草(ごそう)・・・青桐(あおぎり)の葉っぱ
(池の辺りの堤に萌え出る若葉の様に青春時代の夢がまだ覚めきらない間に、階前の前の青桐(あおぎり)の葉は早くも秋風に吹かれて寂しく音を立てずに散っている。少年老い易く学成り難し。人生も同じです。)
今年もおバカな紅白は見ないで天才盲目のピアニストの演奏を聴きながら1年の反省をしていました。親父の大好きなベートベンの第九は聞けなかったけれど「熱情」を聴きながら年の瀬の大晦日を過ごしていました。今年も多難の年でしたが新年はその課題が爆発する。
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