総理は退陣しても政治の世界は何も変わらない?
見向きもされなくなった祈りの世界 人は何故に生きそして何故に死んでいくのか?そんな事が問われなくなって久しい。そんな国民を外国人は信じられないと両手を広げるけれどキリスト教信者の多いアメリカ人でもイギリス、フランス人でも哲学者の言葉を理解できる人は少ない。
仏教の伝道師はこの国には少なく無いと思えるが直接そんな言葉は創価学会でも聞けない。この国の多くの人はそんな事はどうでも良い情けない生き方をしている。それが情けないとは全く感じない。そんな生き方が罷り通っている。何時かはバチが当たる。その時が今でもそんな感覚はどこにも無い。
安倍総理が退陣しても政治は何も変わらない。長老達が決める政治はもう終わりだとは誰も感じない?そんな事はないだろう?何時までも無様な政治は続かない?そんな事も関係無い?熱中症、コロナの深刻な状況は毎日の方に放送されてもそんな生き方は問われない?
その事を語りかける伝道師はどこで何をしているのだろう?目の前にいるじゃねえか?そう目の目にいる。その事に気がつくのは何時の事だろう?分かりません。その程度の事だろう?そうかな?これからその答えが見えてくる。まさか?本当です。
今日綺麗にする予定だった忠魂碑の前の階段。季節外れの紅葉(もみじ)の枯れ葉が綺麗に清掃されている。誰が綺麗にしたのか予想はできたがその予想は外れ。当たりはこの場所を管理している(これまでは全く管理していなかった)担当者だった。後で気がつくがこの左上の藤の垂れ下がっていたツルも切ってくれて床面の清掃もしてくれていた。ただ親父の様な丁寧な仕事ではなかったがそれで充分。これからは段々親父も毎日は来れなくなる。その管理者がこの公園の管理者であれば願ったり適ったり。明日はもっと良くなる?
この場所も車を停める所では無い。車を停める駐車場を整備してもそこに停めないおバカ。注意をしても平然と無視をする。その対策もこの公園管理者に取らせる。そこまでしても無視する。その対策は簡単です。そこ迄考えている。
暑い日は続きますが明日から9月。今年も早いもので3分の2が過ぎ去りました。今年の初めに祈念した多くの事で実現した事は何もありません。強いて実現出来た事は健康管理?しかしその健康も片足立ちが目を瞑ると1秒も出来ない。何たる無様。何たる体のバランス感覚。体は固く股関節の老化はいずれ思い知らされる。これからの10年を生き抜く体力は完全に失せている。
今日は庭の清掃はゴミを掃いただけ。庭の整備の道具は暫くはホウキだけで充分。雨が降れば凹みの箇所が分かるのでそこに土を入れるだけ。それを繰り返せば晩秋には素晴らしい庭が完成する。本当の素晴らしさは多くの人が足を踏み入れる様に成る事?ただそう成るとこの庭の良さは失われる?そんな心配は無い?その価値は心を開いて眺めないと分からない。かもしれない。
この庭の決定的悪条件は流れ込んだ雨水の水の流れが悪かった。この庭が墓場の様な湿った地面になったのも必然の結果だった。その庭が放置されたのはこの庭を綺麗にする人が居なくても誰も困らなかった。そういう事?それだけではなかった。この庭には左に4本。前に3本の立派なトウカエデの木が植えられている。その木がこの庭に溜まった水分を徐々に吸い上げていた。それが親父の余計なお世話で綺麗に成る。
これだけの立派なトウカエデの木々の枝も庭が乾燥すれば水分の補給が侭ならない。その対策として池は作ったがその池にどれくらいの水が溜まるのかは数ヶ月しないと分からない。このトウカエデの木は街中の街路樹としても良く見られるがどの程度の生命力があるのか分からない。それはこれから数年経たないと分からない。その責任は忘れてはならない。その管理を管理センターはしてくれるのだろうか?それは分からない。無責任だな?そうとも言える。それだけの仕事をしたのだろう。
ここは立派に整備をされた駐車場。ただ満車になる日は限られている。近くの体育館で大きなイベントがある時。そして今年は中止になった花見の時。この駐車場はそんな使われ方をしている。この駐車場ができる前はここは桜の名所であり公園だった。その場所を造成して作られた駐車場。その利用価値は見方で大きく変わる。そんな事を語れる人は殆どいない。
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