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2019年10月 7日 (月)

秋の日はつるべ落とし 日暮れが早くなる 間抜けな生き方は終りだな。

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この素晴らしい中山観音奥の院参拝ルートは中山従走路の途中に出る道でも在る。この手前で道案内をした賢い大阪市内の小3の子供とママには引き返させている。この道は左が谷。右はすぐ下迄住宅地が迫っている。しかしこの道(尾根ルート)からは2㌔先迄出る事は出来ない。気持の良い尾根ルートは人一人歩く道が整備されているので足元は心配ない。

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この道は保安林として指定されハイキングコースとして整備されている。しかしこの地権者は国?それとも県?処がどちらに問い合わせても曖昧な答えしか返って来ない。多くの国民も(保安林)とは何か知らないし興味も無い?処がこの道は高齢者でも元気であれば90歳でも歩ける。ただその条件をクリアー出来る人は多くない。その事はこの先に進めば分かる。

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足元は良く無いが気を付けて歩けば何も問題は無い。このコースの道案内があるが距離表示はアテにならない。その理由は歩いて見れば分かる。道案内が無いとその事が分からない。

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この薄暗い木立の中の道は初めて歩くには道案内が必要。そんなガイドが居なくても自己責任で歩く事は出来る。この道は誰も管理していないと思われているがそうでは無い。道を遮る倒木は綺麗に取り除かれている。ただその管理者の標識は何処にも無い。久し振りに歩いて見ると感動と不安の思いが交錯していた。何とも言えないコンコロ持ち?どれだけの人がこの思いを共有出来るのだろう?

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道無き道の様に見えるがここはまだ序の口。道は段々アップダウンを繰り返しながら徐々に登る。ただ登りは長くは続かない。この先でもまだまだ平坦な道もあり登りもある。視界はしばらく聞かない。それでも右は整備された住宅地が眼下に広がる。この新興住宅地は高級住宅分譲地。この広い丘陵地の住宅整備の歴史は古いが自然災害、住宅地の崩壊は一度も起きていない。

そんな素晴らしい住宅地の開発が何故出来たのか?その程度の報道は何も無い。どんなに想定外の豪雨があってもこの住宅地で大きな災害が起きないのは谷と用水路がきちんと整備されているから。谷をきっちり残しそこに住宅地は建てられていない。この素晴らしい土地開発はどうして全国に注目されないのだろう?その住宅地はこの尾根ルートの近く迄迫っている。

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このルートの素晴らしさはすぐ下迄住宅地が迫っていてもそんな事は全く感じさせない。左は深い谷。簡単に自分の尊い命を絶つ事が出来る。しかしそんなオバカは居ない。この道を歩いて居てもそんな心配は何も無い。人一人歩ける道をそれてもその外に草むらがあるしない処でも一気に切れ落ちる処は無い。こんな素晴らしいハイキングロードも多くの関西人は知らない。元気な高齢者が歩くにはそれなりの体力が必要です。親父も何時迄歩けるのでしょう。

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後ろを振り返ると決して平坦な道でない事が良く分かる。この道を初めて歩いた時、出合った老人は杖をついて山頂迄の距離を聞いた時笑っていた。その体力ではこの先に進めない。流石にそこ迄は言わなかったがそう思っていたのだろう。そこ迄も言わなかった。「急な登りはもう少し」そう笑っていた。その声に励まされ山頂を目指したがそれは叶わぬ願いだった。

その原因はこの先、谷に下る。その先をもう位置で尾根に出ないといけない。その元気は残されていなかった。選択したのは右の急な階段。しかしその上はその時点では何も分からなかった。それはこのブログの最後で分かる。ここ迄見て頂いたお礼です。その前に休憩です。

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このインチキ看板に騙されて遭難しそうになった事がある。(大袈裟に言うな)大袈裟ではありません。この先に崖を登るのをズルしてこの看板のシンボル広場の方向に歩いた事がある。しばらくは緩やかに尾根を下る。処が谷に近づくと道が消えている。嘘でしょう。処が何処を探しても道は急に無くなりその先は急なシダが生い茂る道。そのシダが抜け落ちた地肌があるのみだった。

この道は以前はこの谷を管理していた営林署の職員の通り道だったのだろうが今は尻餅をつきながらただ滑り落ちるのみ。この道は今は通れない。ところがそんな標識は無い。今日東京の林野庁の優しい職員(係長)の見解を窺うがエリートの当たり障りの無い見解しか聞けなかった。管理しているのは大阪の出先機関。その担当職員もその又出先機関。それがこの現状。

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ここからこのルート最大の難関が待ち受けている。山頂迄1、1㌔。この距離表示は間違っていないがこの先の尾根を越えると急に谷に降りてそれから急な尾根が待っている。その先が中山山頂。大した距離では無い。ところが谷に降りるのが精一杯。その先を進まず住宅街に出る。これが正解だった。山歩きの絶対的条件は体力の限界迄挑戦してはいけない。余裕を残して退避する。その常識も誰も教えてくれない。多くの遭難者はその反対を良しとしている。

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写真では良く分からないがこの崖は軽く7〜8mを軽く超える。老人に合ったのもこの近くだった。昨日と同じ様な時刻。ただあの時は明るかった。と言う事は初夏の頃。こんな道を軽々と降りて来るのを見ながら唖然としていた。そんな親父を見ながら笑っていた。もう少しだと思ってくれたのだろうか?今は生きているのか分からないが親父にはそんなマネは出来るのだろうか?そう思いながら歩いて居た。

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やっとの思いで尾根道を登り詰める。この先は一旦谷に降りてその谷を渡る。その先に尾根道が続く。その道が長くは無いけど急な登り。その先に聖徳太子が修業したと言われる(天宮塚)がある。中山観音奥の院も聖徳太子ゆかりの寺。ただそう言い伝えられているだけ。それでもこのお寺さんは関西では(安産祈願)の腹帯が有名。知らない人も少なく無いが。

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この下が谷。谷川は切れ落ちているのでバランスを失えば無事には帰れない。足元を確かめながら山側に体重を落として進む。

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この階段を登ると別世界が見えて来る。

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暗くなった谷からこの階段を上がるとこの地域は中山山頂に近い。ここ迄住宅地が開発されている。しかもここは高級住宅地。

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