転倒の衝撃は後遺症も出ず それでも肩のコリはひどい(笑い)笑い事では無い 確かに
先週金曜日の突然の災難は後遺症も殆ど出なかった。それでも足元はまだふらつく。その程度で済んだのだから感謝しないといけない。誰に?それは伝説の人「役行者様」殆どの人は知らないこの国の形が整い始めた頃の伝承の人。勿論歴史上の人物と言われているが天狗様とも呼ばれ、当時の支配者朝廷から人心を惑わしたとして伊豆大島に島流しにされている。
この辺りから話はおかしい。伊豆の大島に流された行者様は駿河湾を飛び越えて富士の山に登ったとも言われているがこれは伝説。皇室の成り立ちと同じ発想。それでも人は信じるか信じないかはそれぞれの生き方で違う。その程度の事を現在の伝道師達は語る事は出来ない。尤もらしい面をして尤もらしく語られる多くの常識は非常識?その程度の事も知らない人も少なく無い。
これが整備された緑地帯。地域分権、協働課の仕事もこの程度の事。その事を問い掛けられても開き直りしか出来ない間抜けな行政。折角整備したと大見得を切っても自分達は何もしていない。(アンタも同じじゃねえか)そう言われても何も恥じる事は無い。何時の日かこの場所に綺麗な花壇を実現させる?何時の日にかこの歩道がこの街のスタンダード(標準)になる?何年先の事だろうか?それはまち、ひと、しごと創成戦略で決まる?なら無理だな。見ていなはれ。
嘆く事は(ぼやく事)は何も無い。在るが侭を受け入れる。その事が求められている。ただそれでは何も変わらない。他とは違う街づくりには戦略が必要。その戦略を全く無能の行政に期待する事をしなければ良い。府市の一体的取り組みも期待出来なければ自分でやれば良い?その力をフルパワーにしても出来無い事は出来ない。ならば出来る事をやれ。それも無駄だな。嗚呼。
この城跡公園西門に続く階段も情けない事に右の手すりで体を引き上げる様になる。そのうち手すりにすがらないとこの階段は登れない。そうならない為の訓練はとにかく歩く事。今は4〜5㌔歩いても何の事は無い。(嘘をつけ)それでも12㌔程度なら歩ける。この脚力があったから先日の衝撃の転倒にも耐えられたのだろう。
それが無ければ半身不随になってもおかしくない倒れ方だった。85㌔の体重が濡れたアスファルトの道にたたきつけられ頭を打てばどうなるか?考えて見ただけで身震いがする。これからの健康法は危機管理が出来る歩き方。突発的な出来事にも耐えられる危機対応。危険予知に違いない。
今朝は歯の裏側の強く噛み締めたザラザラ感を歯医者でツルツルにしてもらう。それ程の衝撃に耐えてくれた肉体に感謝です。歳を取るという事は肉体は鍛えなければ急速に衰えて行く。これからは歩くだけでなく股関節と筋肉を鍛えなければいけない。その一番の方法は山歩き。幸いに近くに400メートル足らずの里山がある。これを生かさない手は無い。
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