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2019年10月29日 (火)

中山観音先日転倒のお礼参り オイオイ 関西連合ではあるまいし(笑い?

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近くの地元銀行の大きな建物が解体工事進行中。解体が終った建物は既に別の建物の土台が建築されている。何が出来るのか分からないが感じとしては老人介護施設?しかし当たりではない気がする。いくら何でもこの住宅地域の中にそれは無いだろう?それとも介護付き元気な高齢者用高級マンション。

それも違うかも。どうでも良いけど。この解体中の建物はコンクリートが厚いので騒音もうるさい?近くに住んでいる人は迷惑に違いない。家を出れない人はその騒音と振動にたまらん?それでもしばらく後辛抱下さい?そう言われている。遅い時間しか親父は見ていないので実際はそれ程でも無い?そんな事は無いだろう。

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中山観音参道のこの時期の風物詩「ダリアの展示」反対側は「ピラカンサ」花の名前を言われても分から無い。お見せしましょう。

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最近言葉が完全に出て来ない時がある。物忘れでもないし認知出来ないでしょうでもない。完全に言葉が出て来ないだけ。それが言葉が記憶から完全に飛んでいる。そうも言われる。それでも全く気にしない。一生懸命言葉を探すと頭が痛くなるのですぐ諦める。そのくせ頭の中では多くの言葉を引き出すけれど簡単には出て来ない。

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本日の親父の目的地は閻魔大王にお礼参り。閻魔大王は閻魔堂の中で眼を見開いているが親父の姿を見ると一瞬固まる。閻魔大王に説教をするのは親父位の者。先週末の転倒で救急車で運ばれ今頃は意識不明でベッドの上で閻魔大王の面接を受けてもおかしくなかった。

こうして元気に現れると「どんこん」ならん?どうにもこうにもなりません?そう言われていた。案ずるな。いずれお助けを懇願するのは親父だから。それでも信じる気配はエンマ様には無かった。お陰様で助けて頂きました。親父の皮肉に眼をパチクリと見開いていた。

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人の生き方は哀れである事を多くの人は知らない。どんなに幸せと思ってもそんな時は何時迄も続かない?疑問符が付くのはそうでは無い人も居る。何時迄も愛睦まじく金婚式を迎えても憎み合う事は一度も無い?

本当の幸せとはそう言う事かも知れないがそう言う幸せは求めるだけでは得る事は無い。その程度の事が分からないから人生は素晴らしい?ちっともそうは思わない。それでも神仏を信じる?そこが不思議かも。

本当の救いは神仏にあるのではなく自分の心の中にあるのかも知れない。そんな人とこれからどれだけ巡り会う事は出来るのだろう?阿吽の呼吸。それは理屈では無いに違いない。理屈をこねくり回すからおかしくなるのかも?

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今年のダリアは今イチと思っていると大黒天に笑われる。笑う角には福来たる?それは間違いです。どんなに楽観的な生き方をしても貧乏神がついて廻る人も居れば、どんなにえげつない生き方をしても大黒様を従えてデカイ顔をして無様な生き方をする人も居る。

世の中様々です。その世の中を笑いながら生きるのも勝って。苦虫を噛み潰しながら暗い生き方をするのも勝って。大事な事はどんなに楽しくても苦しくてもそんな時は長くは続きません。高々人生100年。そんな人生を手に出来る人の確率はどれ位?貴方でない事は間違いない。確かに。

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ここから奥の院迄2キロ弱。ところがこの道の半分以上は急な石段。その石も平安時代から積み上げられた道。この道を多くの人が登り下っているが現在人の多くは簡単には歩けない。この厳しい山道をただ手を合わせるだけで参拝した私達の先輩達、先人は本当に尊敬に値する。

それ程に厳しい道。往復4㌔弱の道を毎日歩いている人も居るがとてもマネは出来ない。その人達に負けない生き方は自分の弱い心に対する飽くなき挑戦。この道をどんなに毎日歩いても人の心は理解出来ない。

多くの山伏が修験道の道を歩いても生活弱者を支える事は出来ない。それは何故?それが人間の愚かさに違いない。どんなに悟りの心を開いても人の為に生きる事は出来ない?生きるとはそう言う事に違いない。

しかし偉そうな事を言ってもリーダーには成れない。その証拠を日常の暮らしの中で一杯眼にする事が出来る。悩む事は無い。自分を追いつめる事は何も無い。誰もそんな生き方は出来ないと思えば苦しむ事は何も無い。

心を開いてゆっくりと息を吸い込み、ゆっくりと息を吐き出す。それを歳の数だけ繰り返せば仙人に成れる。まさか。例えばの話。枝雀師匠も何故それ位の事を考えてくれなかったのだろう?そこがオチャラケの芸人とは違う所だったのだろう。嗚呼。

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紅葉の盛りの時はもう少し先。今年の11月は暖かいと予想されているから師走にならないと紅葉の盛りは見れない?先日の転倒でこれ位頭が崩れてもおかしくなかった?アホこけ。この形になっていたら親父は仏様になっていた。

頭は人一倍大きいけれど衝撃には弱い。だから人は頭を地面に直接打ちつけてはいけない。その程度の受け身の体制が取れないと突然の危機には対応が出来ない。現在口先だけの自己防衛しか出来ないが本物の自己防衛は訓練が必要。その訓練は自由な体の曲げ伸ばしに違いない。アホやのう。

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身動きもしないで固まっている蜘蛛。蜘蛛の糸は簡単に切れるがこの糸も重なり合えば多くの人を支える事が出来る。嘘です。ただこの小説は有名な作家が短編にしている。(蜘蛛の糸)作家は芥川龍之介。ただこの作家も自殺をしている。

賢い人でも生き延びる術を知らない?無様な生き方をしても確率的に100歳以上は生きられない。死に急がなくても人は誰でもお迎えが来る。お迎えが来る時は静岡掛川の大雲院の大和尚に教えられたがオギャーと生まれた時に決まっている。その時迄に若い頃決意した(可能性の追求)に立ち帰らないといけない。その事を先日教えられたに違いない。

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☂上がりの道だけど今日は流石に滑らない。お気に入りで敵(かたき)の様に履いている運動靴の靴底もよく見て見るとツルツル。これでは坂道で滑っても何もおかしくない。靴が滑るのでは無い。自分の体の重心が滑っている。

だから坂道や雪道、凍った道で無いと滑らない。その事が分かれば歩き方にも滑り難い歩き方がある。賢くなると言う事はそう言う事?違います。滑り難い靴を履きなさい。了解です。ただ親父の足は幅広、甲高、靴底に掛る重心が左がおかしく靴底(裏では無い)が凹む。

その全てを満足させる靴は無い。どうする?探しましょう。選びましょう。無理だな。諦めるな。求めれば叶う?ジジイには無理かも。(笑い)某メーカーの一足2万円の靴でも駄目だった。それでも安物?そう言われると年金生活者には辛い。滑らなくて靴底が部分的に凹まない靴。しかもどん百姓様?そんな靴は何処にもない。そんな事は無い?どっちや。探しなはれ。

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