久々の再会 野崎参りの話 菜の花は駐車場だけ?
本日の目的地は大東市飯盛山。今迄全く知らなかった山。歴史を知らないと言う事はこういう事?家を出たのは2時過ぎ。大東市野崎の駅を降りたのが3時過ぎ。その時間で寄り道をしなければ目的は達成出来たに違いない。ところが菜園の叔父さん(85歳)に声を掛けたり、地域のNPO法人の責任者と話をしていると4時を過ぎる。
この時間から飯盛山は遅い。簡単に考えていたが速攻で山を駆け抜けるだけで片道1時間半。城址をゆっくり巡ると2時間。今日はその下見をしただけで引き上げる。今度行くのは5月になってから。その時は野崎参りも出来る。 現在の若者は野崎参りと言われても全く知らない。現在は屋形船でなくJRに乗ってお参り?野崎の駅は工事中。ホームが狭く不愉快な思いをする。
ゆっくりと大東の街は改めて探索する。この街が想像を超える大雨で大災害を受けた歴史を知る人は少ない?川は整備されていたがその川の中に自転車が投げ込まれ、川の中にゴミが多かった。この街の上流に寝屋川市があるが、そこの川の流れとは全く違っていた。その事は改めて河川管理者の意見と取り組みを聞く。無視されるに違いない?
この道は旧街道?歩道を歩く人は少ないが皆無では無い。この道を5月の人通りが多い(野崎参り)の時はどう歩くのだろう?心配ない。車が避ける?それともこの旧街道を歩く人は少ない?どっちゃ。それは来て見れば分る。この駅迄の道と観音様の道は更に狭い。
それでも一方通行では無い。出来ないから?やれないから。さすがにこの道は5月の(野崎参り)の時は車は通行禁止?それも分らない。地域振興施策も言うは易し。行うは難し。この後、久々のご対面。野崎参りでした。屋形船ではなくJRで。菜の花は駐車場の脇で押しつぶされていました。
最初に来た時は皐月が咲いていた雨上がりの時だった。今年は同じ頃来れば又賑わいも違う?それとも最近はそんな元気な年寄は少ない。若者達は興味が無い。しかしこのお寺さんの役割が再び見直される。それはこの街の地域創生化の取り組みが成果を出した時?
東海寺(しょうじ)太郎の懐メロは知らない人が多くなったが、この街の地域創生の取り組みが全国的に光り輝く時は遠く無い。ホラを吹くな?間違いない?間違いも良い処?そうなれば月収100万の地域活性化公募のセンタ−長も首だな。(笑い)なりません。期待しています。
野崎参りは屋形船では参れません。このお寺さんは江戸元禄の時、関西の有名な贅沢な場所(お参り)だったが、今は知る人も少ない。そんな罰当たりな生き方をしている。役行者様もきっと修行をしてあるべき生き方を教えてくれたに違いない。今は本当に情け無い生活をしているが必ずお参りをします。
今日は時間的に余裕が無くなりこの先で引き返す。その場所は最初に来た時より少し先だった。その先尾根道を少し登ると大阪平野が一望出来る。その城はその東側の石垣が京から見えたと言われている。歴史に名を残した織田信長の先輩。彼の名前を知らない生き方が今、問われているに違いない。
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