今日は曇天 箕面国定公園の実態と同じ ?
箕面の森は広い。昨年の台風の影響で多くの道が通行止めになっているが、箕面大滝迄の片道2、4㌔の道は今は問題なく歩く事が出来る。問題は滝道両側の尾根に上がる道の西側の多くの道が、台風の強風で大木がなぎ倒されて、通行出来無くなっている。
ただそんな事は監視のマスゴミは殆ど報道しない。だからその管理のあり方も問われる事は無い。それが現実?何か問題が?そう平然と開き直るオバカも少なく無い。多くの人が山に立ち入らなくなるとその実態は分らない。この惨憺たる自然崩壊は間違いなく、今年の春の花粉の被害の大きさを思い知らされても分らない。
人が人らしく生きる事はどういう事?その程度の事も携帯とにらめっこをしているオバカ達には分らない。只今インフルエンザが大流行。その対策は免疫力?それは山の中に分け入らないと身に付ける事は出来ない。その程度の事が分からない。
報道の社会的役割?そんな物は無い事を関係者は知らない。知っていても為す術が無い。どうして?山が崩壊すると深刻な社会となる。災害復旧工事も一部分しか出来ない。そんな社会がやって来る。公共放送の受診料は国民の義務?そんな事を言われた事もあるが、放送の内容は問われない?
そんな事は無いだろう?オチャラケの放送を垂れ流してもその責任は問われない。そう思われている。何たるオバカな国民だろう?日曜夜の大河ドラマの視聴率が2桁を切る?こんなくだらないドラマを誰が見るかい?親父は紅白のここ数年見ていない。そんなテレビは無用になる。なっている。
この建物の裏山の大木が強風でなぎ倒されている。ただ幸いな事にこの料理旅館はその被害を全く受けなかった。被害を受けたのは裏山。そこにはこの先に向かう滝道上の道?があるがそこは通行止め。(桜の広場)に向かう道。この道は多くの滝道を歩く人は知らない。(歩かない)
開通するのは今年の春と教えられる。桜の開花の時。その桜も手入れがされずに多くは枯れる寸前。私達はそんな生き方をしている。行政もそんな無様な管理も直接関わり合いは無いとすっとぼけている。箕面の市長は何をしてまんねん。若さを売り物にしてもその程度です。
そんな批判を関西の報道関係者は何もしない。報道の社会的責任も問われる事は無い。関西人はそんな生き方をしている。大阪万博で問われるもの?それは輝ける社会?どんな社会?松井知事にはそんな事は問われません。関西経済かも同じ?彼等にはそんな認識は全くありません。
明治の森。箕面国定公園は広い。その名前に恥じない活動は誰が何処でしているのだろう?ボランティア活動をしている人?彼等には権限とお金が無い。あるのは自己満足?そんな時代がこれから続く?今年の春は全国的に花粉の被害で悩まされる。その対策は今から必要になっている事も都会人は知らない。
今日の滝道横の水量は少ない。それだけ今年の冬は降雨量が少ない。と言う事はそれだけ大気(空気)が乾燥している。空気が乾燥すればそれに対応した生き方をしないといけない。その程度の事を教えてくれる人は居ない。今年のインフルエンザの流行は下火になったと言われているが、今こそ自分の体の免疫力を高める生き方をしないといけない。
お分かりかな?自分の体の免疫力。それは何で計れる。それは血液。その血液検査の方法。それは採血しないと分らない。そんな自分の血液の分析。それがこれからもっと簡単に行われなければならない。それを採血(献血で分る)その程度のサービスを日赤はどうして行わないのだろう?
半世紀前と全く変わらないお願いではあかんやろう?その程度の報道も無い?(アナタがやりなさい)アイアイサー。滝道を歩いているとそんな事は全く関係ない体験が出来る。空気が美味い。足腰の鍛錬が出来る。美味しい弁当が食える。一石何鳥になるのだろう?そんな事は誰も教えてくれない。自分でも分らない。そんなもんだろう。
明日から寒くなる。今年は暖冬で冬物衣料品が全く売れない。親父も買わない。買えない?買う必要に迫られない。ホントは暖かい服装を来て冷たい北風小僧の寒太郎と立ち向かいたい?そんな暖冬もしばらくお預け。景気に腰折れは無い?アホこけ。
消費の正確の動向も分析出来ないお役人。それだけでなく日銀の景気判断はその間違いを問われる事は無い?自分の生き方は自分で決めろ。今更そんな言葉は聞きたく無い?それとも何を今更?それもいずれ分る。今日は「北方領土の日」何時迄そんな言葉を口にするのだろう?ロシアにはそんな言葉は無い。
天龍寺の狛犬。何とも厳しい顔をしているが親父には全く通用しない。この罰当たりの親父は畏敬(いけい)の念が無い。最近の若者にも大人にも高齢者にもこの気持が分かる人は少ない。人を合い敬う(うやまう)。アンタにもネエじゃねえか?確かに。
最近理屈を並べる様になり無条件で受け入れられる様な人は殆ど居ない。(全く居ない)自慢にはならない。阿吽の呼吸。そんな生き方はこれからも出来ない?そう言うな。生き方は変えられる。そうかな?寂しいけれどそんな思いが枯れた時、棺桶に入る(はいる)に違いない。嗚呼。
そんな事はおまへん。ちゃんと見ているよ。ありがとうございます。
これからこの山で修行をする事は無い。勿論休憩もする事は無いに違いない。しかし心にさざ波が立てば間違いなくこの滝道から、上の道を訪ねるに違いない。その事は昨日の猿が教えていた。親父さん、この山の奥深くに貴方が慕う役行者の墓がある。
その時にはお参りしなはれ。そう言われていた。しかしその場所も今は道が倒木で歩けない。大丈夫。春になれば歩ける。嘘コケ。(修行の山は深い)この道は一度歩いた事がある。そのお墓は箕面の滝から約1里先にある。今考えてみれば良く行けたもんだと思われる程に遠かった。
その道を往復したのだから距離的にはも少し近いのかも知れない。そこ迄は軽々と走って往復する人も居る。何処から。それは滝上の駐車場から。今はそんな人は多いのだろうか?それは行って見ないと分らない。そんな元気はもう無い気がする。そんな事はありません。希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。(サミュエルソン)確かに。
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