まち、ひと、しごと、創生戦略?担当部署は何処?何をしているの?
この川は寝屋川。この川の堤防の護岸工事の壁が何故これだけ高いのか?流石にその程度の事は誰でも分る。分らない?そんなアホもいる?しかしここが大東市で過去にこの川が氾濫し大災害が発生し、その河川管理の責任が裁判で争われた事は殆ど知らない。
その裁判は国の勝訴に終り、裁判で争われた河川管理の責任は問えないと最高裁の判決が出ている。しかし、この高い堤防護岸工事はこの歩道橋に上がってみるとその高さに愕然となる。これから高齢化が進めばこんな橋は多くのジジババは歩けない。
そんな河川管理の現在進行形がこの現実。この壁は下流大阪市内、大阪湾迄続く。東南海大地震で大阪湾に5メートルを超える大津波が押し寄せればこの地域でもその危険は高まる?川の中の清掃は一向に行われない?それでも悪臭は無い。この川を遡ればその理由も良く分かる?
この川は寝屋川。これだけの高い護岸工事をすれば洪水被害の心配は無い?確かにその通り。しかしこの川の水質は見向きもされない。この川の上流には洪水対策の大きな貯水場がある。そこは広くて大きな公園になっているが大雨が一気に流れ下らない様に対策が取られている。
同様の貯水場が大阪には南部地域(花園公園南)にもある。そんな事は地域の人でも余り知らない。この川が合流する恩地川。この川は大阪柏原の住宅地から流れ出しているが、生駒の西を流れる川はドブ川。その事を河川管理者(大阪府)に言ったら水質管理はしていると開き直られた事を思い出す。
その状況は今でも何も変わらない?どうして?地域の川が汚れても何も困らないから?そんな人間の生き方を何時迄も続けられる?そんな環境は求める事が筋違いかも知れない。以前はもっと汚れていた?確かに。この川を綺麗にするには100年掛る。都会の川は殆どがこんな川になっても誰も何も困らない。
名前は聞いていたがこの天下人が歴史上果たした役割は何一つ知らない。近くの有名な(野崎参り)は(屋形船)でなく、数年前にJRの最寄りの堰から歩いてお参りをしている。その先にある三好長慶(ながよし)の飯盛山(いいもりやま)城址(しろあと)
歴史街道「ガイドブック」を手にして歩かないといけない。「諸人之を仰ぐ北斗泰山」その偉容は現在何処迄覗き見る事が出来るのだろう。素晴らしい大阪平野を眼下に納める事は何よりの悦びに違いない。今、世の中は多くの課題を目前にしてその改善の道は容易では無い。その事もきっと教えてくれるに違いない。
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