今日は晴天 明日は雨天 春はまだ見えん ガスターテン?
この道は箕面聖天(西江寺)の裏を抜け(聖天展望台)に続く箕面市の私道。しかし土地の持ち主は近くのお寺さん(西江寺)。この崖の下の「橋本亭」は永年箕面滝道入り口の歴史的建造物として多くの人に親しまれていた。その建物が今、取壊されている。原因はこの崖の崩壊の危険が迫っているから。
ここは役行者が白髪の老人「歓喜天」と対談したと言われる石がある。そんな事実がある訳が無いと今では多くの人に見向きもされないが、親父は信じている。現在人は在った事でも都合の悪い事は無かった事にする。そんな指導者が支持される。その程度の国民の行く末はどうでも良い。
問題は自分がそんな生き方(どんな生き方)が出来れば良い。役行者も実在したかどうかも怪しい。それでもこの国の歴史を考えればこの国はそんな国だった。何も今更否定する事は何も無い。この西江寺を偶然知った時は何とも言えない清々しい思いがしていた。これからのそうありたい。
昨日は裏門からのお参りであったが風もなく参拝者に出会う事も少なかった。これから暖かくなるとお参りをする人も増えるが、流石に滝道を歩く人が立ち寄る事は無い。現在人はそんな生き方をしている。以前、この上の聖天展望台に叔母ちゃん二人を案内したが礼を言われる事も無かった。
そんな事はどうでも良いがその程度の生き方が何時迄も出来無い事を知らないのだろう。親父にも言える。(歓喜天)そんな出合いはこれから期待出来ない。しかしそんな生き方はする事が出来る。それが現在人の生き方に違いないが殆どがそんな生き方は出来ない?歓喜する出来事?それはどんな出合いだろうか?
立て札の文字が薄くて読めない。そしてこんな道は地域の人しか歩かない。私達の日々の生き方も同様に違いない。どうでも良い事に執着し大事な事は何も知らない?分らない?それでも関係ないと恍けられる。恍ける(とぼける)?そうでは無くてその程度の生き方しか出来ない。役行者の教えは淡々としていた。
阪急宝塚線石橋駅ホームの看板。このホームは親父が二十歳過ぎの時から殆ど変わっていない。あれから半世紀以上の時が過ぎ、多くの事を経験したが手に出来た物は少なく失った物は計り知れない。それでも同年輩の人の生き方と比べれば元気な生き方が出来ている。
ただそれだけ。その価値の大きさはこれから痛感するに違いない。ガスターテン。某製薬会社の医薬品。胃のもたれ、ムカツキの胃薬。その薬の医師処方薬を飲んでニンマリしている。その程度の事だろう。人間はパンのみに生きるにあらず。この言葉はキリストの言葉である事を知れば笑えて来る。
人間は救いを神に求める?仏に求める?日蓮さんに求める?親鸞さん?空海さん?最澄さん?その他多くの伝道師がこの国にはいた。今は誰を信じる?自分自身?アホやのう?そんな生き方は誰にも出来無い事を実感出来ない?そんな罰当たりの生き方は年老いて証明される。その事を知らないオバカな生き方をしている。
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