冬の気配は全く感じ無い陽気?体も同じ?引き締めましょう
しばらくは暖かくなる。春は目前?ところが世の中そんなに甘く無い。本当の春は一月先?そんな覚悟も決意も知識も無い。政治の世界も経済の世界も働き方の世界でもこれ迄と何も変わらない?そんな事があるはずが無い。その事は自分の体の中で警告が発信されている?
そんな無様な体では長くは生きられない。これ迄そんな健康管理で良く生きて来れたね?そう言われている。その事は血液検査の結果で良く分かる。以前、掛り付けの眼科の女医から言われた言葉を思い出している。血糖値が高くても自覚症状は無い。しかし合併症が出たらその時点で眼が見えなくなる。
あの時の何とも不愉快な思いは忘れていない。幸いに今でもそんな事は無く反対に女医は廃業している。しかし自分の体の中で起きている事はもっと深刻に考えて血糖値を下げないと大変な事になる?ならない?そんな事は無いだろう?その対策は難しくは無い。
食事の量を減らすだけ。ところが愚かな人間はその程度の事が出来ない。2ヶ月後に期待している?そう悪魔に囁かれている。その時は季節は春。体重は4㌔減?それは無理だろう?見ていろ。煙草もパチンコも生き方迄変えさせられた人生は間違いなく後期高齢者となる。その先は奈落の底?そうでは無い。今年は素晴らしい桃が食える。その事を楽しみに頑張れ。了解です。
現在多くの街の再開発が進められている。この隣町の文化施設と福祉、保健、公民館機能を併せ持つ「キセラ川西プラザ」この建物は環境との調和、明るい空間づくり、風、光、人が行き交う賑わい散歩道等低酸素型複合施設としての評価も高い。ところが何度も見ていて気が付かなかった事に気付かされる。
この駐車場の入り口が市道に面している。その市道からの左折の入り口が狭い。その先に駐車場の料金ゲートがある。何でこんな設計をしたのかといずれ問われる。通りの車線は片側1車線。駐車場に入った車が一旦停車をすると後続の車は通りの通行を妨げる。この駐車場の設計はお粗末と批判される。
車だけでは無い。人(若者、ばか者)迄も出来たばかりの植え込みの中を踏み付けて入場している。いずれここにもフェンスを付けないといけない?よくよく見るとこの贅沢な複合施設は何の為に作られたのか?その事が問われる。それは全国何処でも共通の事かも知れない。
隣にある総合体育館。ここには駐車場は無い。体育館を利用する人は車を何処に止めるのだろう?それは聞かないと分らない。近くで市の建物を解体していた。この解体が終ると駐車場が出来る?それも聞いてみないと分らない。
(駐車場は現在3カ所に分かれている。南、北、そして西。一番広い駐車場は西。ここには220台。しかし一番遠いのでここは体育館利用者用?次に広い所が北。ここは88台。主に公園と弓道場利用者。一番狭くて通りに面しているこの狭い駐車場が南駐車場。30台駐車可。)と言う事。民間の三井のリパークが管理運営している。そう言う事。行政は関係ない?そう言うのかな?
1億円掛けて解体される公共施設。ここがどんな使われ方をするのか?これも聞いて見ると地域活性化の学習になる。現在多くの国の重要施策のあり方が問われてもその実態は殆ど知らない。国の事はお上に任せて置けば良い?そう多くの人が思っている。その結果が現状。
自民党と公明党に任せて置けば良い?そうかな?全く違う事を思い知る事は無い?そろそろその考えを変えないといけない。それでも個人的には如何ともし難い?そうかな?歴史を変えると言う事はそう言う事に違いない。そのモデルを隣町で知るとは思いも掛けない事だった。
知らないと言う事はそう言う事。汚れている猪名川の水。この水がそのまま飲めると思っている人は流石に居ない。ところがそうでない人もいる事を多くの人は知らない?白鷺が見つめているその先にそんな川が流れている。この川のお陰で多くの先人が生きて来れた事を現在人は知らない。何故この川が汚いのか?何故この川の水量がこれだけ少ないのか?そんな事も知らない。
信じられないに違いないがここは立派な堰。春になるとここでこの川の水は塞き止められる。その高さは3メートル余り。この堰の7〜800メートル上流にはこの時期でも塞き止められた川の水が満々と貯められ、その水を多くの市民が利用している。それだけではない。
この川の水は下流の住民も利用している。その川の水で多くの厳しい対立が在った事も多くの人は知らない。そんな農業は衰退し今はそんな事は関係ない?知らないと言う事はそう言う事。この可動堰はその事を教えてくれている。この堰は本当に賢い。農閑期には農業用水は不要。だから倒されている。
左は河川敷きの堤防の水際。ここにこれだけの大きい樹が在った事も多くの人は知らない。そんな河川管理がようやく改められられている。そんな事を思う人は少ない。これだけの木がこれだけ生き延びられたのは自然の摂理?そうでは無い。その事はこの下流1㌔先迄行けば良く分かる。そんな事を声高に語る人は居ない。
今日は隣町から歩いて帰る。歩いた距離は6㌔足らず。この倍は歩くつもりだったが途中で気持が変わる。隣町の市役所の窓口でも地域振興の担当窓口を聞いても直ぐには答えられなかった。それは我が街でも同じ。多くの役所の受付で同じ言葉を口にしても直ぐには答えられない。
これからその行脚をしないといけないと思うと気が重い?そんな事はありません。その事が分かれば教訓は少なく無い。中央の役所でも計画書は書いても実行は殆どが出来ない?どうして?それは担当窓口がなければ都合の良い様に言える?そんな事は無いだろう?ありません。
田舎に行けばその事が良く分かる。どんなに道が整備され公共施設が完備しても人影が疎ら(まばら)。住んでいるお年寄りが老い朽ちればそこは完全な空家になる。限界集落。そんな地域の報道は何も無い。その事を知っても何の益も無い。そうかな?
もうすぐ春。まず杉花粉にその事を思い知らされるに違いない。都会のアホなおネエちゃんは杉の木を切り倒せと宣う(のたまう)そんな生き方が出来無い事を何時思い知るのだろう?それは命尽きる時に違いない。その時でも己の不幸を嘆き悲しむだけだろう。ザマーミロ。
昨日ハエにもエリートが居る事を知る。人間にもクズと王様、王女は存在する。その役割の違いはまだ分らない。アホやのう。確かに。しかしクズと思われていたエリートバエの卵は糞尿、汚泥を分解し素晴らしい堆肥に変える。更に成長した幼虫(さなぎ)は粉末乾燥すれば素晴らしい飼料、養殖の餌になる。世の中日進月歩。そんな事は知らないのだろう。
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