親に可愛がられる子供は幸せ?虐待される子供は不幸せ?そこから間違っている。
3人の女の子供を連れてお母さんが歩いている。顔は良く分からなかったけれどその中の一番幼い子供が声を上げながら公道を歩いているが、親は声を掛けるでも宥める(なだめる)事もしない。全く表情を変えないで子供の手を引いているがその腕も強弱は無い。子供も何んで泣いているのか分らない。兄弟にも完全に無視されている。
この先に広い道がありその先が本日の目的地、隣町の市役所。子供が鳴き止まない家族も同じ敷地に入って来る。この時、夕方の5時を過ぎていたので急いでいた。子供を3人も抱えて若いお母さん。大変な気持は良く分かるけれど子供の気持を何んで聞いてやれないのだろう?
子供の不満は聞かなくても分る。聞いてやってもその気持に答えられない。そんな時どうしていたのだろう?眼で威圧しそれでも聞かなければ張り倒していた。それが躾でも何でも無い事は分っていてもどうする事も出来なかった?そんな事は無い?
我が儘を(わがまま)を聞いてやるには3歳迄に教え込まないといけない。それが出来ないと悲劇が起きる?それが現在の深刻な問題?そうでは無い。そんな社会をどう生きるか?その事は親に問われてもその対応も出来ない親は少なく無い。その時は警察の出番。
ところが今の警察は事故、事件が起きないと対応は出来ない。そんな時、お呼びが掛るスーパーマン。その程度の事も皆様の報道機関は対応出来ない。政府がその対策に万全を期す?アホこけ。どんな面をしてそんな事が言えるのだろう。この街の何処かで生きている可愛らしい女の子と賢いママはどんな会話をしながら今日を生きているのだろう。
そんな社会を育てるのは行政の仕事ではない。誰の仕事だろう?その事を問われていた。社会を明るくするのも暗くするのも世の中で役目を終えた高齢者の仕事。この街にもあの街にもそんな人は居た。今は過去形になり隣は何をする人どどころか、殆どが関わり合いの無い生活をしている。知らない人を見たら逃げましょう?何たる社会だろう。
この商店街も潰れそうで潰れない。しかし数年前にこの商店街の活性化の話をした福組合長のお店はシャッターが下りていた。この商店街の先には市役所があり市立高校、官公庁の出先機関もある。それでもいずれこの商店街もその生き残りが問われる。(既に問われている)その新陳代謝の波をアナタは知らない。
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