大阪は今日は寒い それでも寒さは峠を越す?そうかな?
本日の目的地。豊中市役所庄内駅前庁舎。この看板を始めて見た時、親父は感動していた。親父がこの街に大阪に来て初めて住んだのが18の時。田舎から出て来て初めて住んだのは正確に言えば会社の寮。その会社の外観は取壊されて当時の面影は全く無いがその会社の敷地はそれは広い物だった。
その中にあった工場労働者の宿舎にしばらく住んで、その後にここに来た。紡績会社の敷地の中に出来た新築のアパート。そこで東京オリンピックのバレーボールの試合を見る。休みの日は近くの食堂で定食を食い当時の新興宗教(今とは全く違う)創価学会の勧誘で入信する。
今でも立派な創価学会員?全然。その当時仲良しだった従兄弟の一つ上の優しかったお兄さんが交通事故で亡くなる。その時言葉を失って嘆き悲しんでいる時に集会にしつこく誘われる。その時からこの宗教は関係ないと関わりを持っていない。
あの時あんな悲しい事が無ければ別の人生を歩いて居た。そんな街はすっかり変わっていた。しかしそれはまだ序の口。これから大きく更に進化する。その時親父達は何処の空でどんな景色を見ているのだろう。現在格差社会が大きくなっていると言われるがその実感は全く無い。
ところが貴方が知らないだけ。厳しい現実は豊かな社会でも何も変わらない。知らないと言う事はそう言う事だろう。オバカなTVの報道では景気は国内消費が支える。そんな結構身分は報道関係者と政治屋さん?そして結構毛だらけ猫灰だらけの地方公務員?
もっと居る?かもしれないね。しかし一番のマヌケは生活弱者に違いない。施しを当然の権利と思えば何時迄立ってもその生活は変わらない。(コラ)その事が分かれば爪の先に灯(ひ)を灯(とも)してでも生き方を変えられる?その証明をしないといけない。食いたい物は食いたいだけ食っていてはただ無様に生きるだけ。そして死んで行くだけ。?
この綺麗になった道一杯に自転車が溢れていたのは数年前の話。今はその自転車がこの「庁舎」の一階に駐輪のスペースを確保している。そして2階は就労支援センター。三階はキッズコーナー。ただ現在この地域の多くの公共支援設備は分散している。それが一カ所にまとまる「南部コラボセンタ−」の完成は数年先になる。ここではなかった。
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