十三(じゅうそう)大橋を越えるとそこは思い出の地
久々の十三(じゅうそう)駅前。この駅のすぐ西側の火事は知らない人も少なく無い。その跡地はすっかり様相が変わっていた。「炭火焼き肉丼」切り立て牛肉専門店。久し振りにおいしい焼き肉を口にする。1階は持ち帰り。2階はカウンターの狭い席。少し待たされる。
ところがこの焼き肉丼。580円。ただ物では無かった。肉が美味い。タレが絶品。米が美味い。米粒1つ残さずに完食。近い内にもう一度出掛ける。昨年は殆ど肉が食えなかったがその原因は美味い肉が高過ぎただけ。美味しい肉が安い値段で食えれば条件は変わる。そんな生き方をする。
冬空とは思えない空。風も無く穏やかな空を見上げながらニンマリとしていた。ただ現実は非常に厳しい。そんな事も知らないオバカが本当に多い。そんな事を口にすると厳しい反発を受けるが、今年は今迄の問題の先送りがそうでは無くなる?
それでもお互いに譲歩が無ければ罵り合いが続く。罵り合いだけでは済まない。行動でお互いの縄張りを明確にする。そうはならないと言われて来たがその根拠も危うい。アメリカも中国も口先だけの対立でない事を日本も思い知らされるに違いない。
その事がまだ殆ど明確にされていない。親父的には中国がその振り上げたコブシを下ろす?そう思っているがこの国の体制はそんな事を許すのだろうか?共産主義の愚かさはそんな事は絶対に看過(難しい言葉。意味は辞書を引いて下さい)しないに違いない。
対立は今年1年では終らない?そんな解説者は居るのだろうか?知らないと言う事はそう言う事だろうか?トランプ大統領の期待は何なのだろうか?アメリカ第一主義?メキシコとの国境は南アメリカの貧困難民で打開策が無い。その壁も認められない?ただ不法難民は厳しく取り締まる。この問題はアメリカ国境だけの問題ではない。オバカな日本人はそんな事も知らない。
右は十三大橋。昭和6年に掛けられ大阪大空襲でも破壊されていない。アメリカの大阪大空襲の目的は木造民家の絨毯(じゅうたん)爆撃が中心だった。そんな歴史は殆どが知らない?知った処で何の役にも立たない。アメリカと言う国はそう言う国。(今は違う?)そうかな。そんな事も何も知らない。
左は阪急電車の鉄橋。神戸線、宝塚線、京都線。3本の橋がある。正面の建物は大阪北ヤードの高層ビル。3棟の様に見えるが実際は4棟。左が高層マンション。少し低い建物が高級ホテルと商業施設。右の2本の建物が商業施設とオフィスビル(グランフロント大阪)
数年先にはこの右側に大阪北ヤード2期工事が完成する。この広大な広い土地は元々は国有地。今は独立行政法人UR賃貸が保有?国有地の払い下げ問題はセコイ話?森友学園払い下げ問題が昨年問題になったがこの実態は殆どニュースにもならない。知らないと言う事はそう言う事?違うだろう。
浄正橋。この橋の名前を改めて見て見ると今年の課題を言い当てている。親父が大阪に来た事は福島区浄正橋。この辺りは市電が走り道路の舗装も不充分で黄色い砂埃が舞い上がっていた。今は市電も廃止され薄汚なかった茶色のコンクリートの壁や建物が綺麗になっている。
ただ世の中は清く正しく美しく浄化されているのだろうか?そんな事もどうでも良い?確かに。近くに大阪検察庁の高層ビルがあるのは何とも皮肉?そんな事を思う人は一人も居ない。(笑い)。国有地払い下げ疑惑は森友学園側の不正のみが告訴され、一方の行政側には何も瑕疵(かし)は無かった。
この言葉の意味もむつかしい。総理夫人の忖度は何も無かった。この漢字も全く知らなかったが今でも読めない人も少なく無い。(そんたく)それだけでなくそんな事実さえもなかったと公文書が書き換えられている。その責任も問われない。何たる国家だろう。今年はその天罰を受ける。
そうでなければこの国は子々孫々(ししそんそん)に汚名を残すに違いない。そんな事も関係ない?知らない?アホンダラとはこういう事かも知れない。しかし、今日の大阪はそんな事を全く感じ無い懐かしさがあった。青春は2度と訪れる事は無い。あの薄汚い貧しさは一体何だったのだろう?それは今でも変わらない?そんな景色は何処にも無かった。
森友事件をスクープしてNHKを退職した司法キャップ(NHK在職時)が今ここで働いている。多くの人は森友問題は終ったと思っている。しかしその事実は何も知らない。その解明も求めていない。問題は森友学園側。籠池理事長の不正。補助金詐欺で一件落着。
何故国有地払い下げが格安に行われたのか?何故その場所に小学校が無理矢理に認可されたのか?そんな事はどうでも良かった?大阪の良識はその程度の物?そんな事は無いだろう?それともそれが当たり前?その謎はこれから追求される?それともそんな事はどうでも良い?そんな事が許される訳が無い。
大阪水道局資材置き場?大阪工業試験場跡地?には大きな分譲マンションが出来ていた。親父が近くの会社の薄汚い職場で働いていた面影は何処にも無かった。こんな高級マンションに住む人はどんな暮らしをしているのだろう?しかし教育環境はお世辞にも良いとは言えない?
それともそんな事も関係ないのかも?交通アクセスも良いとは言えない。大阪駅迄は歩いてどれ位掛かるのだろう?余計な心配をしていた。親父の働いていた空襲にも耐えた建物は建て替えられていた。営業4年で道が開けず1から出直しの決意で臨んだ現場も親父の期待にはそう事も無かった。それでも4年間。黙々と働いていた。
工場は親父達が大阪府三島郡島本町桜井に移転後に綺麗に建て替えられていた。島本町に新工場が完成して移転した時が親父26の時?それから3年後に結婚をしている。新婚の時この工場はまだ完成していなかったに違いない。
唯々黙々と働いていた。何の為だったのだろう?これからその半分も生きる事は出来ない。その事を考えると人生の果敢なさは無情としか言えないのだろう?確かに。果敢なさと感じるか波瀾万丈と感じるか?それも己の生き方次第に違いない。この後淀川の堤防に上がる。
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