名塩道路整備事業は最終?まだまだ しかしこれは凄い
久々の名塩道路工事現場。ここは何処だ。と言われても殆どの人が分らない。関係ないから?しかし工事はそろそろ始末をつけないと物笑いの種?この名塩道路整備の計画が立案されたのは昭和の終り。ところが今の元号が終ろうとしてもこの道路はまだ完成をしていない。
完成されていないどころではないの話ではない。まだまだ続く。何でそうなったのか?そんな事は誰も説明出来ない?そんな事もどうでも良いのだろう。しかし凄い工事が進んでいた。だがこの工事も洪水が起きる梅雨時と台風シーズンは工事は出来ない。どうして?それも見れば分る。
見ないと分からない。知らないと言う事はそう言う事。この工事。何時完成するの?それは明日教えてもらう?誰に。偶然同じ名前のKさん。国土交通省近畿地方整備局。兵庫国道事務所建設監督官。この工事の監督官。立ち入り禁止の場所でガードマンに注意されても作業現場で親切に対応してくれる。
明日改めてお礼に行かないといけない。止めて下さい。邪魔。そう言われても1日では何も分らず。分らなければ分る現認しなはれ。これは親父の信条。現役時代もそうだった。しかし多くの人がその事を嫌がる。何故だろう?この理由もはっきりしている。出来無い事は出来ないから。確かにその通り。さすがの親父でもその程度は理解出来る。
この看板を見てようやくこの工事現場の概要が分かる。しかしこの中央部の生活道路の橋の架け替えも行われる。その完成時期。完成後の姿。それよりも何故?そんな話は何も分らない。この地図を拡大してもそんな事は分らない。
ここ迄は片側2車線の広い道が完成しているし、その先の橋も完成しその車線も片側2車線の立派な道が既に完成している。しかしこの先が片側1車線の狭い道でこんな無様な車線規制が行われている。ようやくこの区間の拡張工事が始まっている。道を武庫川側に張り出す。
そしてこの手前の橋を架け替える。何でそんな事をしないといけないのか?その訳が分からない。(親父でもまだ良く分からない)その説明はまだ聞いていない。アンタが知ろうと知りまいとそんな事は関係ない?そんな事は言わせない。現場の監督官もそんな事は言わないに違いない。
馬鹿メールまだまだ続く。携帯メールの着信音が本当に耳触り。(商品を送りました)バカヤロウ。住所も知らないくせに。その程度の返信もしない。出来ない。その程度の事も知らないと思っているのかいな。アホそのもの。もっと賢く真っ当に生きなはれ?無駄だな。こいつらの地獄が見える。
ここは数年前迄は雑木が生茂っていた所。その雑木が綺麗に払われここに新名塩道路の橋桁が出来る。そうすればここに2車線の南行き(宝塚方面)の道が出来る。これ迄頭の切り替えが出来ていなかったが、ここに片側2車線の道がこの先の(北側)旧福知山線のトンネル部分から降りて来る。
これも確認しないと断定は出来ない。こんな手間が掛かったのは最初から分っていた、そうでは無い。用地買収がうまく行かなかったからに違いない。これは確認する。そうすればここが最後の難区間。この2㌔足らずの道が完成すれば名塩道路は完成?ところがそうは問屋が卸さない?東久保-赤坂峠間はもっと先になる?これも確認していない。
この道路整備事業が梅雨時と台風シーズンは出来ないと言われた意味がやっと分かる。この川の上流。武田尾の堤防整備事業と全く同じ。大雨で川の水位が上がればこんな工事はひとたまりもない。それ迄に何とか渇水時に出来る事を完結しなければならない。それ迄に何処迄工事は進むのか?注目です。
この橋が架け替えられる。そしてこの上流に仮設の橋が出来る。その意味が分からなかった今日見学してこの大工事を見て少しだけ分る。この正面の名塩道路の高さが新設分(下りのみ)が高くなる。登りは(西宮山口方面)は今の侭1車線が拡幅されて2車線になる。そうなるとこの橋もどんな形になるの?それが分らない。
仮設の橋の杭打ち。この音は結構うるさい。近くの人はウルサイに違いない。親父なら怒鳴り込む。杭打ちの音でも叩き込んでいる音ではなくグルグル回転している。始めて見る杭打ち。しばらく眺めていたので工事関係者から横目で見られる。それでもカメラを下げているので余計な事は言われなかった。言われたら又、鎌首を持ち上げていた?適わんなー。
ここが対岸。これから旧ピッチで整備される?それは分らない。この後、川沿いの道を進む。暫くすると直進出来ない。坂道を右に登る。意外に感じたのは立派な家が多い。始めて歩くが人の気配が全く無い。それでも豊かさが感じられた。ただその豊かさも老を重ねると難儀かも。車無しの生活は厳しい。
ここは坂道の突き当たり。右に行けば来た道の上に出る。躊躇(ちゅうちょ)する事はなかった。目的の水道橋はこの先。上流。左に進む。しかしその少し下は武庫川の崖。昔は子供達絶好の夏の水泳場。今はそんな面影は何処にも無い。急流と淵だけが残っているがとても泳ぐ事は出来ない。汚れている。
これは南天では無い。ピラカンサ。立派な家の玄関。カメラを構えて写真を撮っていると犬の散歩のオバちゃんに眼を飛ばされる。軽く頭を下げても無表情。不審者扱い。それでも親父も無視していた。別に写真ぐらいどうって事は無い。住宅地は結構な坂。それでも息を切らす事もなく淡々と歩いて居た。
この上の公園にトイレがなかったのでこの階段の途中でフェンスの下をめがけて小便をする。誰も居ないと思っていたがすっきりして階段の上を見ると公園で立ち話をしていた親爺がいる。飼い犬もおとなしく(待て)の体制を取っていた。流石。
この橋は公道では無い。水道橋のオマケ。どんな人が渡るのだろう?結構高さがあり高所恐怖症の親父はこれが限界。手すりをしっかり摑んで降りていた。昔は子供達の遊び場だったかも知れないが、今はそんな子供達も居ない。高齢者も散歩で利用しているのだろうか?それは無理かも。
この奥が武庫川渓谷の下流最終点。この左の崖の上を旧福知山線は走っていた。今は立派な廃線敷きが整備されている。この7㌔先に武田尾の駅がある、春になると多くの人が散策に訪れる。途中、照明のないトンネルがあるので懐中電器は必要。この散策の道は歩るきに自信が無いと無理。ヘタリ込む?
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