地域活性化 経済だけでなく医療も暮らし方も絶望?
大阪西九条の駅から大阪市建設局野田公営所迄歩く。目的は淀川左岸線(2期工事)及び淀川南岸線の計画の概要を知る為。何の為に?淀川左岸線は一期工事に疑問を感じていたから?そんな事を言われても分らない。だろうな?そんな事に関西の報道機関も全く関心は無い。何でだろう?関係ないのだろう。
大阪市建設局野田公営所は低い建物だったが、帰りに立ち寄った大阪中央卸売市場は凄い業務棟が完成している。この建物は言う迄もく昔の(親父達が若かった時)姿を知るジジイにとっては隔世の感じがしていた。親父が18の時就職した印刷会社の担当部署で営業をしていた頃、足を運んでいた会社の面影は何処にも無かった。
印刷会社でビジネスフォーム?その説明は簡単に出来ない。当時は日本の大企業には電子計算機の活用、タイプライターで取引データの入力。その用紙が両側に穴の空いた用紙が求められていた。その穴の間隔を正確に開ける技術がなかった。どうしたの?アメリカの技術を導入する。
親父はその頃、新人で担当は手書きの連続用紙。これは全く役に立たず。タイプライターで大量にデーター入力が出来る方法が主流になる。この話は殆ど知らない。現在はその連続用紙の情報入力は続いている。ただその多くは連続から単片(シート)変っている。
ガス料金、電気料金、水道料金。その請求、受領書多くがロールにデーターのみを印字して単片で渡されている。競馬のマークシートも宅急便の伝票も今でもその技術は失われていない。会社の経営信条。私達は「事務革新のパイオニアになり、日本経済発展の為に貢献します」今ではそんな言葉を口にする事は無い。
この先は歩道は無い。全国各地からの果物の搬入、大阪、関西の市場に配送。親父はカメラを下げていたので注意をされなかったが、一般市民は立ち入りは出来ない。ボヤボヤしていると弾き飛ばされる?但しそんな看板は何処にも無い。
お役所仕事とはそう言うもんかいな?そう感じたのは7〜8年前だった気がする。そのお陰で大阪建設局野田公営所も見つけられる。(それでも間違う)パソコンのGoogleマップのお陰で約束の時間を大きく遅れる事はなかった。
遅くなりましたが淀川左岸線、淀川南岸線の工事の概要は分りました。ただ工事の完成時期が7年後。それ迄はどんな期待が出来るのだろうか?そんな事も多くの大阪人は知らない。これからはこの区間を往復すれば色んな景色が見れる。それが楽しみだな。生きていればな。
生きると言う事はそう言う事だろう?違うのかな。地方はどんな生き残りを考えている。国の補助金頼りの行政しか出来なくても生き残りが出来る?知らないと言う事はそう言う事?医師迄足りなくなる。その医師は地域の年寄では無い。地域医療の将来を担う若い人達。
その医者も地方は激変。それを過労死のレベルを大きく超えた労働時間で補う?地方の医師会。地方の医療行政は何故批判をされない。深刻な問題も知らないと言う事はそう言う事なのだろうか?掛り付け医の充実と改善。地方の責任者は閻魔大王の面接を知らないのだろう?
都会でも例外ではない。団地では地方と何も変わらない。その対策は簡単だけど出来ない。アホよのう。その程度の警告では済まなくなる。今年は全国行脚。是非お願いします。知らないと言う事は本当に他人事では無くなる?どんなに健康管理を口にしても現実は改善しない。その事を今年は思い知らされる。
素晴らしい散策の道。左は中央卸売市場。場内で美味い食事が出来る所があると聞いているが場所は知らない。今日はこの後、中之島中心部迄歩いて堂島の先で地下に潜る。この道も歩き慣れている道。今、大阪市は外国人観光客の取り込みを行っているが殆どの外国人はこんな道を知らない。
何でだろう?知らないから?知った処でつまらない?ところがそうでは無い事を知らない。交通のアクセスが全く無い。そんな事もどうでも良い?そうかな?それでは100聞は1見にしかず。写真の威力を知りたまえ。
この散策の道も誰が定期的に清掃をしているのだろう。地元の信金が通りの命名権を獲得している。しかしこの組織が定期的に掃除をしている訳では無い?この企業が社会貢献出来るのはこの道を気持ち良く歩く人を多くして、一人でも多くの人に健康のありがたみを実感してもらう?そんな啓発が出来るのだろうか?その程度の考え方も理事長は教えられる事は無い?
この素晴らしい散策の道を大阪シティ信金度ロードと名づける感覚は違和感を覚える。そんな名前を付けてもらわないと維持管理が出来ない?確かにこの地域にそんなお金持ちはいない?それでもこんな道を整備するお役所。このお間抜けさは関西人でないと分らない?そんな事は無いだろう。全国何処でも同じ。違うのはその地域に人の生活が定着しているかどうか?そんな事も何も知らない。
この地域は今でこそ川幅が狭いが信長が毛利の水軍を叩き潰した時はもっと広かったに違いない。毛利の水軍は信長の水軍など相手にしなかった。広島カープが読売のへなちょこを今シーズン相手にしなかったのと同様。ところが信長はその対策を取る。
読売が今シーズン補強をした方法とは全く違う方法?知らないだろう。それ迄の木造船に鉄板を張る。そんな事は誰も考えなかった。それで敵を完全に打ちのめす。その結果は大阪の抵抗勢力大阪城の息の根(補給)を止める。大阪城石山寺の陥落。
ところが信長のこの罰当たりな行ないは光秀の反乱でその命を奪われる。光秀も長くは天下人に成れずに秀吉の天下でようやく戦乱の世は一時的に終る。しかし本当の天下人は秀吉亡き後の家康だった。そんな歴史も現在では全く無視されている。そうかな?大阪都構想。現在その間抜けな論争は全く注目されない。
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