今日から12月 師走 京都の紅葉も終り 大阪箕面の紅葉も同じ?
金戒光明寺から声を掛けられていたのに誤りは無かった。このお寺さんは法然が開いたと言われているが、これだけの立派な広さと建物は当然、後世の人が長い歳月を掛けて完成させている。法然が阿弥陀如来の南無阿弥陀仏を唱えれば誰でも成仏が出来ると説いた教えは親鸞が後世の人に確実な教えとして広めたと言われている。
現在でも一番信徒の宗派は浄土真宗。ところがこの宗教の教えも今は知る人も多くは無い。創価学会を始め多くの新興宗教にその影響力が移り変わっているかの様に思われているがそうでは無い。それよりも何よりも現在の一番信徒の多い宗派が分裂を繰り返し、悩める現在人の精神的支柱にも成れない。
その批判をしていた創価学会も今では自民党の最大支持勢力?その事が問い直される事は無い。それでも改めて法然、親鸞の教えを噛み締めてみるのも大事な時を迎えているからだろうか?ただこの広いお寺の境内の内外ではそんな事を考えている人に出合う事は無かった。
その創価学会も大阪ではおおさか維新の会に負ける。その巻き返しが行われているがその方法は手を握る妥協の産物。政治に関心が無いと言う事はそんな無様な政治を批判も出来ない? 大阪では今、深刻な生活弱者の連携が更に弱くなっている。それはどうして?
人の事はどうでも良いと考えている人が多くなっている。やって良い事といけない事もどうでも良い?総理大臣でも経済連の会長でもそれは同じ?これは大阪だけでなく東京でも全国各地でも同じ事?その改革者にならないといけない?アホやのう。
そんな事はお主ではお呼びで無い。伝道師を呼べ。そう言われていた。現在の伝道師。その人が仙台で語り掛けている事は感謝の気持。生かされている事に感謝する。しかしその先に進む為には空海やキリストが見せた奇跡を起こさなければいけ無い?そんな事が出来たのは昔々の話。
そうだとしたら無理だな。奇跡を起す。ただその事は無理だと言う事を私達は思い知らされている。その事を経験しても尚、神風は吹く。訳が無い。金戒光明寺の中を歩きながら真如苑の素晴らしい紅葉の落ち葉を探していた。その場所は金戒光明寺の中には無かった。宗教法人が違う。その事も始めて知る。
金戒光明寺の紅葉は盛りを過ぎていた。しかしこれだけの美しさを見せてくれたのはこの寺の悲劇を親父に教えてくれたの違いない。その悲劇は江戸幕府の終わりの時。明治新政府の実現は歴史ドラマでも多くの事を教えてくれるが、この寺で繰り広げられた厳しい対決は誰も教える事は出来ない。
紅葉の盛りの時は過ぎていた。それでもこれだけの美しさを見せてくれたのは今回もまだお参りをしていない会津武士の心意気だったのかもしれない。武士の世の中が終る犠牲は計り知れなかった事を全く知らない現在人。100年先の人達はどんな評価を下すのだろう?
それともこの国の歴史はもっと劇的な変化を遂げるのかもしれない。残念ながら多くの現在人はその姿形は眼には出来ない。人生100年時代。笑う事も出来ない。現在多くの人達は自分達の生きている姿に気が付いていない。紛れも無く長くは今の幸せを重ねる事は出来ない事を。
これだけの赤いモミジも有り体に(正直に)告白すれば、今年も終わり。今年の課題はどれだけ乗り越えられたのか?そんな事は何も考えていなかった。心の中に尤もらしい目標を抱いてもそれは何の意味も無い。それでも何も考えないで生きているよりもマシに違いない。?そう思っていたがそれも違う。その事を教えられていた。
菩提樹の木がこんなに大きい事を始めて知る。真如堂到着。このお寺さんは金戒光明寺とは全く別の新興宗教。信者は他の信仰宗教の様に不祥事を起こしていない?ただ親父の様な物知り?でも長い間関西に住んで居ても名前ぐらいしか聞いていなかった。素晴らしい紅葉。これでも盛りを過ぎていた。
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