台所の蛍光灯の豆電球?が切れる 簡単に新品が買えない ヨドバシで買えるのかな?
今年は多くの南天を見る。これは吉兆の兆し?ノウ天気の親父は勝手にそんな事を考えている。この川は(足洗川)写真は綺麗に撮れているがとても足が洗える様な綺麗な水では無い。その原因はこの川に小さな温泉水が吹き出しているから?その小さな吹き出しを見た時、最初は温泉とは思わなかった。
そこから鉄分が吹き出しているので川の水も黒い?これは親父の推測。そんな検証はされていない?(されているのかも知らないが親父は知らない。教えてくれる人にも迄出合っていない。)そんな事もどうでも良い?そうかな。昨日はそこ迄歩かない。そこ迄歩くには気合いを入れて歩かないといけない。
宝塚自然休養林?この案内図もおかしい?何で森林管理局がこんな看板を出すの?何の役にも立たない。この看板を見てこのルートは歩けない。どうして?距離表示も所要時間の表示も何も無い。中山奥の院、中山従走路コースの案内図でも何でも無い。そう思えば腹も立たない。
この道は奥の院参拝を毎日の様の行う人が歩く道。途中迄は足洗川の近くを歩くので道は平坦。それでも途中の道でこんな厳しい現場もある。ただ毎日の様にこの道を歩く人は片道2㌔弱の道を楽しんでいる。そのスタンプラリーを楽しんでいる。そんなマネは到底出来ない。ただこの山の深さ、聖徳太子の教えは何も知らない。それでも余計なお世話。健康の為に歩く?その健康も長くは続かない?そんな事は知らない。
最近、体調が良く無いのでこの石ころの道が足に心地好い?不安定な石ころを確認しながら歩くと変な自信が湧いて来る。いずれ膝が弱りこんな道が歩けなくなる。まだまだ若い者には負けないと思っていたが、そうでは無い事を思い知らされている。そう感じれば尚更の事、山に分け入りしっかりと歩かないといけない。
ここはもう引き返している。もう少し歩けば元に戻る。人生は後何年?それが寿命。それを推し計る事は出来ない。ただそれを手をこまねいて(何もしないで)待つ事もない。色んな形でこの親から受け継いだ体力、知力を生かす。淡々と歩けば良い。その事を教えられていた。さあこれから心斎橋にお出掛けです。
| 固定リンク
コメント