秋本番 元気なオバちゃんと不愉快なおじちゃん おばはんの歳を聞いて批判される
毎年紅葉のシーズンの見事な紅葉を楽しみにしている。今年はフォトコンテストが行われる。親父も是非1枚とチラシを貰うがどうしますか?そんな人に自慢する写真は撮れない。しているじゃねえか?そう言う人もいるが親父の写真はグリコのオマケ?そう言うジョークも中々通じない。親父の写真は本文の記事を読んでもらう撒き餌?そう言われても分らない。それでも結構。
今年の紅葉は残念ながら色が艶やかでは無い。艶がない。つやがないと言われても分からないと言う人もいるが、それは見れば一目瞭然。今日、元気なオバちゃんの歳を聞いて一緒にいたオッサン(旦那では無い)から、女性の歳を聞くのは失礼と言われる。良く言われる言葉。ただ親父は自分の年を言ってから相手の歳を聞く。
それは常識だと思っているので男とか女とかは気にしていない。それが失礼と良く言われるがその時点で会話が成立しない。良い歳をしたおばちゃんが若く見られたい?それとも女で勝負する?それは無理だろう。若い女性の歳は流石に聞けないがおばさんが歳を聞かれて答えたく無い?
その気持も分かるけど歳は聞かなくても大体分かる。その程度の事だろう。年相応の生き方をすれば良い。若く見られても仕方が無い?そうは思わないのだろ?男も悪い。良い歳をしたおばはんにええカッコをしてもしょうがない。それともまだそんな下心がある?
人それぞれの想いを否定しないがそんな生き方は無理だな。合わない。それ迄の親しげな会話がぶち切れる。踵(きびす)を返す。回れ右。久し振りに歩く道。この道もハイキングコースと川西市は看板を立てているが、このコースもゴルフ場の横を歩く。但し先日の読売コースとは大違いのコース。看板もセコイ。
参道の真ん中で三脚を立てて写真を撮っている叔父さんがいる。良く居るタイプ。写真を撮る最低限のマナーも無い。ここは平日で殆ど観光客もいないがその程度の事が分からない。それでもさり気なく声も掛けないで参道の階段を登る。そこに本堂があるが社務所には警備員のオッサンがいるだけ。
本堂前で手を合わせる事も無かった。この寺で住職の顔を見た事は無い。それは近くの寺でも同じ。(それは違う。写真ばかり撮らないでお参りに来なさい。そう言われた事もある)このお寺は満願寺。全ての願が叶う?願は祈るもの?
本願の本は本当、本物、本心、本気、本願?そのどれだと問うていた守谷はいま何処の空で生きているのだろう?それともあの世で研修をしているのだろうか?この世の中でそんな事を問う程オバカは居ない?その程度の事を考えていたら別の生き方が出来たに違いない。
この看板は誰が何の目的で立てたのか分からない。左はゴルフ場。その敷地の中を歩く事が原則お断りされている。そんな事は何も表示されていない。こんなコースを通らなくても山の中を歩けるコースがある。そのルートを何で明示をしないのだろう?
それは知らないから?このコースは途中迄ゴルフ場の横を歩く。万一の事故の保証はしない。これはゴルフ場支配人の言葉。覚悟して歩け。それだけではない。宝塚警察の看板は歩行者注意。歩行者に車注意では無い。警察はその程度の案内しか出来ない?アホでしょう。
この階段を下から登り切れなかった間抜けなマウンテンバイクがいた。誰が見ても(歩行者専用道路)?車両が進入するか?しかもご遠慮下さい。この看板を立てたのは誰?行き先表示の案内板で隠されている。久し振りにこの道を歩く。元気なおばちゃんが石ころを並べていた。
それでもこんな石ころを並べなくてもこの道は多田源氏が馬でお寺に駆け上がった道。今は殆ど歩く人は居ないが道はしっかりしている。このハイキングコースも歩く人は殆ど居ない。満願寺も多田神社も知らない人が多い。このハイキングコースも親父が知ったのは偶々だった。
今日久し振りに歩いて感じた事。不愉快なオッサンに意見されたが8㌔歩いても疲れる事は無かった。ザマーミロ。(コラ)最近は不愉快な輩が本当に多くなる。それでも優しい人もいる。心通う人を多くしないといけない。心が通えば理屈はどうでも良い。理屈がどうでも良ければ対立は無くなる。確かに。
山は深いが山道は短い。この近くには集落の公園が在る。その先には少年野球が出来るグラウンドがある。この近くでトイレを探した時、見つけた簡易トイレもある。狭かったが意外に綺麗だった事を思い出していた。山歩き、トレッキングの時、綺麗事ばかりは言えない。
それでもトイレの場所は少ない。そんな時、誰にも知られない所で腰を降ろさないといけない。そんな事を教えてくれる人は居ない。そんな男になりたい。アホやのう。そう言われても。そろそろそんな人を見つけないといけない。今年の秋はそんな思いが適うのだろうか?
山道の先にはこんな素晴らしい新興住宅地が開けている。しかしこの素晴らしい戸建ての持ち主は高齢化している。後10年するとこの地域は買い物難民が溢れ出す。地域の過疎化は地方だけでは無くこの地域にも押し寄せる。それでもこの地域の人達は豊かな生活が保障されている。
但し厳しい現実(条件)もある。それは元気で自分の事は自分で出来る事。ただその条件は非常に厳しい。一人ではその条件を満たす事にはならない。夫婦と家族。全てがその条件を満たさないといけない。これからその条件は本当にに厳しくなる。それでもその対応は非常に難しい。
その難題をどう克服出来るか。その解決方法は誰も手に出来ない。その程度の事も誰も教えてくれない。介護の負担は半端で無い事を誰も教えてくれない。介護施設に入るにはまとまったお金が必要。そのお金が用意出来なければ家を処分しなければならない事をまだ殆ど知らない。
素晴らしい個人のお宅。この素晴らしい紅葉を愛でる事が出来る人は本当に幸せに違いない。しかし人が住んでいる気配は全く無い。静かに生活をしている。それとも仕事に出掛けている。そんな事もどうでも良い。ただ間違いの無い事は間もなく枯葉は庭に落ち、厳しい冬の寒さがやって来る。その時の生き方が問われる。余計なお世話。確かに。人の事を講釈出来る身分では無い。
この銀杏の葉っぱもお掃除をする年寄りを見かけなかった。核家族が進み高齢者は介護施設、働き盛りのパパとママはお仕事。子供達は家を出ているので公道のお掃除は行政にお任せ。ところがこの道の管理者はそんな事は全く考えていない?地域の元気なお年寄りの美味しいお仕事だとは誰も考えていない。
そんな年寄りも居ない?そんな事は無いだろう?いずれそんなサービスが求められる。問題はそのお金だな。誰が払うかが問題だな。アホ。ボランティア。奉仕活動でお願いします。それは無理でしょう。そんな時代は終わりました。これからはただでは何も出来ない?
なんじゃこりゃ。薮になっていた所がその草木を切り倒して明るくなっている所がゴミ捨て場になっている。悪臭はしていないから行政に苦情は無い。この土地の持ち主がこの有様を良しとしている?そんな事は無いだろう?綺麗にすればその資産価値は上がる?そんな事は期待出来なくても行政は改善命令は出せない?反対に開き直られる?それにしてもひどいね。自治会長。
まだまだ続く。しかしゴールは近い。今日は8㌔歩く。昨日は2、6㌔。一昨日は7㌔。明日は久し振りに茨木の大門寺の紅葉を見に行く。この近くの安威川ダムもその進捗、大工事は関西人も知らないがそんな事もどうでも良い。大阪は景気が良いのは土建屋さんだけ。そんな事もどうでも良いのだろう。
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